2017年の冬に出版されたZINE『TARO&NAOTARO』。5歳の太郎くんと直太朗くんの絵で構成されたこの一冊をきっかけに、原画展が行われた。企画と制作に関わったのは、作者である太郎くんの母であり、ZINEのデザインを手がけたグラフィックデザイナーの矢部綾子さん、直太朗くんの母でスタイリストの堀江直子さん、展示会場〈brownie and tea room〉のオーナーである小梅さんも小学生の男の子を育てる母だ。子どもたちの個性や感性を尊敬しながら一緒に育むまなざし、一瞬で通り過ぎる姿を未来に残し、伝えていく3人の母たちに話を聞いた。
矢部綾子(以下、矢部):堀江さんとは、昔一緒に仕事をしていたことがあって、知り合いでした。4年ほど前偶然会ったときに、子ども同士が同じ年だと知ってから何となく気になっていて。その後も共通の知り合いを通じて、子どももふくめて遊ぶ機会があって、仲良くなっていきました。直太朗くんの絵は、堀江さんのインスタグラムを見て、すごく良いので実際に見せて欲しいとお願いして。そうして『TARO&NAOTARO』のZINEの制作が始まったんです。きっかけは、直太朗くんがダウン症だからという理由では全くなくて、ただただ“絵”に惹かれたから。子どもたちの絵が良いから、「こんなの描いているんだよ」って見せ合ううちに「なにか作れたらいいね」という話になったんです。
堀江直子(以下、堀江):インスタグラムは、育児のドタバタ日記のようになっているんですけど……(笑)。日々どんどん生み出される直太朗の絵が、母として胸にくるものが多かったので、思い出アルバムをつくるような感覚でアップしていました。それを気に入ってくれる知人も多くて。実際に、一冊にまとまったものを見ると、二人の絵がますます輝いて、ページをめくるたびにうっとりしてしまう。親ばかですよね……(笑)。デザインしてくれた矢部さん、この原画展を開いてくれた小梅さんに感謝の気持ちでいっぱいで。
小梅:堀江さんと私は、知り合って20年ぐらいなのですが、いつも堀江さんの子どもに対する向き合い方が素敵だなと思っていました。直太朗くんがダウン症の子だからではなく、こうすべきだという型にはめずに、直太朗くんをみて、さあどうしようかと考える姿勢なんです。堀江さんのインスタグラムを見ていると、直太朗くんがものをひっくり返して部屋の中がすごいことになっていたり、お母さんとして本当に大変そうなんだけど、そういうすごく大変なことを、自分なりに工夫して楽しんでやっているのが伝わってきて。直太朗くんが絵を描いているときもきっとそうだろうと思っていたので、ZINEを見たとき、純粋に「あ、いいな」と思ってすぐに、うちのお店で原画の展示がしたいと声をかけました。
矢部:小さい子どもって、障害がある・ないにかかわらず、何においても“差”が少ないと思うんです。この本を作ったのが約1年前なので、今よりもっと少なくて。今はもう5歳になるんですけど、私から見ると、太郎は1年前よりも描く絵がずいぶん変化してきているなと思うところがあって。なので、小梅さんが「展示をしませんか」と声をかけてくれたとき、迷いました。太郎は普段の生活の中でたまに絵を描くくらいだけど、直太朗ちゃんはまだ言葉を話していない中で、変わらず自然体で絵を描いている。そんな風に絵を描くふたりの差が開いてると考えたとき、やるべきかどうか迷ったんです。
小梅:最初、矢部さんは太郎くんの絵が変わってきているからどうかな……って言っていたんだけど、私は新しく描いてほしいというよりは、このときのままがいいなと思ったんです。このときの絵をいろんな人に観てもらえたらって。
矢部:うん、展示を終えた今は、本当にやってよかったなと思っています。ZINEに載せているのは、太郎も直太朗くんも、大体3〜4歳のときに描いた絵ですけど、それより幼いと力がなくて絵にならなかったりするから。ちょうど自分で描くことを意識ができて、かといって、外からの影響を受けすぎていないところが抽出できているんじゃないかなと思います。いろいろなことに影響されず、誰に見られる意識もなく描ける時期って一瞬で通りすぎてしまう。5歳くらいに成長すると、具象的になっていく気がするので、太郎にも「これ描いて!」とお願いされても、なるべく描かないようにしているんです。たとえば、私が犬の絵を描けば、太郎自身が犬ってこういうもなんだと思って描いてしまう。あまり外から影響をうけていない時期だからこそ、思ったままに描いた方がいいなって。
声を出すように絵を描くこと
堀江:直太朗が絵を描き始めたのは、私が世田谷にある〈アトリエ・エレマン・プレザン〉01(以下、エレマン・プレザン)へ見学に行ったことがきっかけでした。ダウン症の人のためのとても素敵なアトリエで、直太朗がダウン症だとわかってからずっと訪れてみたいと思っていたんです。ダウン症についての知識がまだ浅かったころは、漠然とした不安を抱えていたんですけど、あるとき〈エレマン・プレザン〉の記事を読んだことで、不思議と「不安」が「楽しみ」に変わっていったんです。それで世田谷のアトリエを訪ねて、東京代表の佐久間寛厚さんともお会いすることができたんですけど、そこで佐久間さんから「ダウン症の人たちにとって、絵は“心の声”なんです」と教えてもらいました。早速、画材を揃えて直太朗に見せると、すぐに絵筆を持って、目をキラキラさせて夢中になって描き始めました。そのとき、直太朗は4歳になっていたんですけど、まだ言葉を話すことがほとんどなかったので、佐久間さんが言っていたとおり、本当におしゃべりをしているようだったんですね。子どもが言葉を覚えると家族が喜ぶように、私も直太朗が一枚絵を描き終えると、新しい言葉が生まれたような気がして、毎回とてもうれしかった。6歳になった今でも、言葉はまだ少ないですけど、絵の声はたくさん聞こえてくるんです。だから、朝起きたとき、ふとしたとき、いつでも直太朗の好きなときに描ける状態にしておいてあげたいと思っていて。でも、まだまだいたずらが大好きな小さな怪獣のような時期なので、絵の具を思い切りひっくり返すこともあって、なんとか画材を固定できる方法はないかとずっと考え続けているんですけど。だから、壁にも床にも好きに描き放題のアトリエを作ってあげることが、いまの私の夢です(笑)。
矢部:そう、ちょうど展示が終わってから、そういう場が作れたらいいよねって話していたんですよね。今回は、ダウン症の子もそうでない子もたくさん来てくれて。壁に貼ってある絵を観て、みんな刺激を受けるようで。テーブルの上に絵の具を置いていたから、どんどん絵を描いてくれて。それがすごくよかった。描きたい欲求ってどんな人にでも根本にあるんだなぁと改めて思いました。そういう解き放たれる場所が少ないから、作れたらいいよねって。
小梅:うんうん。あと、今回の展示で、以前から知っている菓子研究家のfoodremediesの長田佳子さんにお菓子をお願いしたんです。この展示の企画を考えているときになんとなく、長田さんにお菓子を作ってもらえたらいいなと思っていて。思い切ってお願いしてみたら、長田さんから「昔ダウン症の子どもたちにお菓子作りを教えていたんです」というお話を聞いて。テレパシー? すごい!? ってみんなで驚いたよね(笑)
矢部&堀江:そうだったね(笑)
小梅:今回の展示は、純粋に良い絵を観てもらう場に、同じ方向を見ている人たちが偶然にも集まったことが、すごくうれしくて。太郎くんはこの年齢だからこそ描ける純真な絵がいいなと思ったし、直太朗くんに対しては、ひたすら画伯だなぁと思っていました(笑)。堀江さんは、あの画伯の姿を毎日ライブで観られるんだなって。色もすべて自分で選んで混ぜているというのがすごいなと。
矢部:うん。子どもって、描き込んでいくと途中から分からなくって、最後に塗りつぶして全部同じ絵にしてしまうようなところがあるから、直太朗くんの絵の色彩や余白、すごくいいですよね。
堀江:それはダウンちゃんの特徴なのかもしれないです。それも〈エレマン・プレザン〉の佐久間さんに聞いたのですが、どんなアーティストでも作品を作る上で、終わらせ方が一番難しいそうなんですけど、ダウンちゃんたちは、その子の中で完璧なところに辿り着いたら“ピッ”っと終わらせることができるって。そう言われてみれば、直太朗も、数秒でぴょ〜〜っと絵を描いてぴっと止めます。
一同:へええええ!!
堀江:いつも心の中で「うわ〜!」って言ってます。絵を描いているときは一切口を出さないようにしているので、心の中だけで(笑)。
矢部:(笑)。きっと、もっと描き込む人もいるだろうから、それが直太朗くんの作風なんでしょうね。
堀江:直太朗が絵と出会ってから、ダウン症の人にますます興味を持つようになったんです。直太朗の絵を観ていると、光や呼吸、あたたかなものを感じて、いつまでも観ていたくなってしまう。親だからというのとは違うような感覚で……〈エレマン・プレザン〉で他のダウン症の人たちが描く絵にも同じものを感じるんですよね。直太朗は、6歳になったところですが、ゆっくりと成長するので、まだ手のかかることも多くて疲れてしまう日もあるんです。健常児を“普通”と思って比べてしまうと、「まだできない」「まだこんなことをする」と、ストレスに感じてしまうこともあるんですけど、そんなときに直太朗の絵を観ると、常識やエゴから離れて、もっと彼の思いや声に近づきたいと思うんです。
僕が君をしっている
堀江:今、直太朗は一般の保育園に通っていて、園の中で障害があるのは直太朗だけなんです。でも、園児の中でダウンちゃんがひとりいるクラスってなぜか調和が取れることが多いらしくて。
矢部:それは本当にいいよね。うちの幼稚園は障害のある子を受け入れていないんだけど、受け入れて欲しいなと思うんです。どうしたら受け入れられるようになるんだろう。
堀江:園の子たちはみんな直太朗のことを知ってくれていて。「なおちゃん、なおちゃん」って声をかけてくれる。いつものお友だち同士だったら喧嘩になりそうなことでも、「なおちゃんだけは許す」って言ってくれたり(笑)。先生も「みんなすごくなおちゃんに優しいんですよー」って教えてくれます。私もすごくうれしいし、お友だちにも先生方にも感謝の気持ちでいっぱいで。
矢部: 実際に、太郎は直太朗くんのことを全然不思議に思っていないんですよね。普段から、友だちの赤ちゃんや自分より小さな子と関わることも多いから、たとえば、直太朗ちゃんが物を落としてガシャーンって大きな音を出してもまったく動じないというか。今回の展示が始まる前、私から太郎に「直太朗くんは太郎と同じ年だけど、少し体が弱くて、まだ太郎と同じようにできないこともあるんだよ」って話を、少しだけしたんです。そしたら太郎が「全部分かってるよ」って。「最初に会ったときから分かっていているし、友だちだ」って言ったんです。太郎は直太朗くんがダウン症だということは理解できてはいないけど、直太朗くん自身のことを意識して、自分なりに理解している。そうやって、自然に一緒にいられるっていうのが一番いいですよね。小さい頃から友だちでいられたら、大きくなっても同じ気持ちでいられるかなって。だからずっと一緒にいられたらいいな。
堀江:太郎くん、本当にありがとう。すごくうれしい。
小梅:子どもたちは本当にすごいですよね。なんでもお見通しで。人に対してまったく分け隔てがないから、小さい頃から、自分の周りにはいろんな人がいるってことを肌で体験する環境があってほしい。近くにそういう環境が多くあるほど、生きやすくなっていくんじゃないかなと思います。
矢部:うん、今回の展示を告知するときも、ダウン症という言葉を使わなかったけど、ダウン症の子が遊びに来てくれたのはすごくうれしかったですよね。
堀江:偶然なんだけど、ちょうど同じ時間にダウンちゃん3人が会場にいたことがあって、すごく不思議でしたね。
小梅:一人で子育てをしていくのは、とても大変なことだから、もっとみんなでいろんなことを共有していけたらいいですよね。
堀江:そう、一人で子育てをするのは本当に大変……。実際に、お父さんは仕事が忙しくてほとんど家にいられなくて、お母さん一人で育児を抱え込んでしまいがち、という家庭も多いですよね。私もその一人で。少し前までは「みんな頑張っているんだから、私も頑張らないと」って、アップアップしながらも思っていました。そうすると、時々息が詰まってしまうことがあると、子どもも息苦しくなるだろうし、疲れ果てたお母さんを見てお父さんもぐったりしてしまう。誰にもいいことがないんですよね。なので、最近は頑張りすぎず、大変なときは時々ベビーシッターさんにお願いするようになったんですけど、頼んでびっくり! 素敵なシッターさんばかりで、子どもに対する考え方や接し方、遊び方など勉強になることがいっぱい。結局は私にとってもいい出会いになりました。今回の展示でもそうでしたけど、子どもを通しての出会いは素敵なご縁ばかりなんですよね。
今回、展示を観に来てくれたお母さんの中でも、壁に飾っていた直太朗が全身絵の具まみれになって自由に絵を描いている写真に反応してくれる人が多かったんです。「家が汚れてしまうから、こんなに自由に描かせてあげられていないな」「やらせてあげたくなった!」って言ってくれたのが、とても嬉しくて。小梅さん、矢部さんも、おおらかなお母さんだからこそ、今回の展示会場も終始あたたかくてゆったりとした空気が流れていて、幸せな場になりました。そういう場や繋がりが増えていくと、お母さんもお父さんもふと力を抜くことができて、みんなもっと子育てしやすくなるんじゃないかなと思います。
Information
矢部綾子さんがデザインしたZINE『TARO&NAOTARO』のお問い合わせは、info@kidddesign.orgまで。
小梅さんのお店〈brownie and tea room〉でも、8月上旬より販売予定です。
brownie and tea room
東京都港区南麻布1-3-15
TEL : 03-3454-3786