今では話題のフードスポットが軒を連ねる人気エリアの一角で
ここサンフランシスコ・ベイエリアでカッツ夫妻が立ち上げたアートセンターは、〈クリエイティブ・グロース・アートセンター〉の他に2つある。その一つが、サンフランシスコ市内のミッション地区にある〈クリエイティビティ・エクスプロード〉だ。ここがオープンした1983年当時、この辺りはあまり治安のよくないエリアだったが、この10年ほどで話題のコーヒーショップやレストランが続々と出店する人気のエリアへとすっかり様変わりした。
昼下がり、小高い丘一面に広がる芝生の上でランチをする人たちで賑わう「ミッション・ドローレス・パーク」を横切ると、2ブロック先を曲がった静かな通りに〈クリエイティビティ・エクスプロード〉はあった。古い建物のガラスのドアを開けると入り口側がギャラリーになっていて、ここに所属するアーティスト、ランス・リバーズの個展が開催されていた。ビル群、ベイブリッジ、路面電車……サンフランシスコ・ベイエリアに暮らす人々にとって馴染みのある景観をシンプルな美しい構図で切り取り、水彩や色鉛筆、ボールペンなどで描いている。描く対象物は工業的だが、全体的に柔らかくおおらかな抜け感があって、その独特のバランスが魅力的に感じられた。画用紙だけでなく、木材にペンで描いた作品もあり、その多くは買い手がついているようだった。
そして、ギャラリーの奥にはアトリエがあり、クリエイティブ・グロースと同じく制作風景が見えるようになっている。ギャラリースタッフに促されてアトリエに入ると、一気に天井の高い吹き抜けの空間が現れ、色とりどりの作品に囲まれた作業台に向かうアーティストたちの視線が一斉にこちらへ集まった。
「あなたの名前は? この絵、いいでしょ。買ってもいいよ!」と、一人の若い女性アーティストが屈託のない笑顔で話しかけてきた。初対面でいきなりそんなことを言われたら普段なら引いてしまうところだが、そのストレートさがあまりに清々しくて気にはならなかった。むしろ、アトリエに直接作品を買いにくる人が日常的にいるからこそ、こうした言葉が飛び出してくるのではないか。そう思うと、一層興味が湧いてきた。
教える、教えられるではない、エクスチェンジの関係
「もともとこの建物はダンスホールとして使われていたんです。だから吹き抜けでちょっとユニークな形をしているの。このあたりの土地の値段は、ここ10年で急激に高騰してきているけれど、大家さんがとても理解のある方で、賃料を大きく上げることはせず、私たちに貸し続けてくれているんです」。スタジオを回りながら、スタッフが入れ替わり立ち替わり私たちを案内してくれている。所属作家は130人いるそうだが、“来たい人が来たいときに来る”というシステムなので毎日メンバーが入れ替わり、日々65人ほどが表現活動をしているという。デッサン、ペインティング、デジタルドローイング、陶芸、それぞれのセクションにスタッフが付くようになっていて、ここもカッツ夫妻の方針のもと、スタッフは全員アートのバックグラウンドのある人たちだ。
あるスタッフは、「彼らと接しているうちに、自分と彼らとは、ギリギリのところでの違いでしかないと思うようになったんだ。彼らにアートを教える立場ではあるけど、逆に驚かされたり教えられることもたくさんある。だから関係性は一方的ではない、エクスチェンジだと思っているよ」と言い、またあるスタッフは、「アーティストなんて、みんなエゴの塊でわがままなもの。でもそれでこそ芸術家なんだ。このことを忘れないように彼らと関わっていくために、僕自身の作品制作も大事にすることでバランスが取るようにしているよ」と言う。ここに所属する障害のある人たちが「アーティストとして自立すること」を目指すとき、この同志としての眼差し、関係性が大きな助けになるのだということが、スタッフの話からもよく理解ができた。
カリフォルニアが他の州よりも先進的である理由
「昔、カリフォルニアでは“ステート・ホスピタル”という、障害者を人里離れたところに隔離するシステムが組まれていたんです。それが、1960年代に障害のある子どもの親が、子どもと一緒に暮らす権利を訴え、州を相手に裁判を起こしたことをきっかけに、1969年、『ランターマン発達障害者サービス法』というカリフォルニア州独自の法律ができました。これは、障害のある人が地域で皆と同じように生活するためにサービスとサポートを利用できる権利を定めたもので、その実現のために従来の施設は次々と閉鎖されていきました。このことで、地域で何ができるかをみんなが考えるようになったんです。このアートセンターも、そうした流れの中でカッツ夫妻が始めたことでした」。そう話すのは、99年からここのディレクターを務めるエイミー・トーヴ。3つのアートセンターのディレクターは皆、この法律ができたことで、カリフォルニアはいまだアメリカの中でも先進的な価値観を持つ地域であり続けているのだと口を揃えて言う。単に当事者が勇気を持って声を上げたというだけではない。当時バークレーで起こったフリースピーチ・ムーブメントのムードが、「障害のある人にも声がある、もっと自由に主張していいのだ」と彼らの背中を大きく押していたのだと。
こうした背景から生まれた3つのアートセンターには、創設当初から共通する方針がある。「まずスタジオがあり、そこから生まれた作品を展示するギャラリーがあり、そこから収入が得られるようになる。この3つがいいバランスで成り立つこと。彼らがアーティストとして自立するまでのクリエイティブなプロセスを導くこと」。そして、それをどう実現させていくかはそれぞれのディレクターに委ねられている。
たとえば、〈クリエイティビティ・エクスプロード〉の2階には額装を手がける専門のスタッフがいる。「ギャラリーでどんな額装をして展示するのか、作品を紹介するブックレットをどうデザインするのか。どれだけいい作品でも、細部までプロフェッショナルにプレゼンテーションできなければ最大限に魅力を伝えることはできません。そこが、私たちが一番気を使っているところです。実際、アートセールスも私が就任した頃より随分と伸びてきていますよ」とトーヴ。
そしてもう一つ、彼女がここを運営していく上で大切にしているのは、彼らにとってエキサイティングな新しい体験を作り出すことだという。
「これまでで一番成功したのは、ヌードモデルのデッサン会でした。年配の人、若い人、男女、太った人、痩せた人、いろんな人がモデルで集まってくれたのですが、最初に男の人がみんなを和ませるために、一番にバッとガウンを脱いで裸になったら、みんながワーッと盛り上がって(笑)。痩せた女の子が寒そうにしていたら、レッグウォーマーをプレゼントするアーティストもいました。そのときに描かれた作品もとても素晴らしかった!」
障害のある人の性的なことはタブー視されがちだが、ここではポジティブなエピソードとなって彼らの表現意欲をより膨らませていく。アメリカ人のオープンな気質だけでなく、この施設全体に流れるフレンドリーなムードがタブーを越えるさまざまな可能性を押し広げているように思えた。
リッチモンドという立地環境の中で、どんな存在となっていくべきか
3つ目の施設〈NIADアートセンター〉は、全米で一番土地の値段が高いと言われるサンフランシスコ・ベイエリアにおいて、比較的リーズナブルに暮らせる最後の町、リッチモンドにある。交通量の多い道路に面していて、車からも目を惹くカラフルな壁画。ガラス張りのセンターは、右半分がスタジオ、左半分がギャラリーになっていて、大きく開放的な庭に何と言えないユニークな彫刻がいくつも並んでいる。
中に入ると、ちょうどお客さんがセラミックの作品を購入しているところだった。〈クリエイティビティ・エクスプロード〉を取材しながら気になり始めていたことがあった。展示されていたランス・リバーズの作品も、そう大きくないものだと250ドルほど。その多くが売約済みだったし、スタジオではアーティストが皆、私たちを「作品を買いに来た人」だと思って見ているようだった。地域の人たちが日常的に施設を訪れ、作品を購入する文化があるということなのでしょうか、とNIADのディレクター、デボラ・ダイアーに問いかけると、彼女は大きく頷いた。
「リッチモンドの前市長がとても理解のある方で、ここのアートを購入してあちこちに飾って応援してくれていたんです。それだけでなく、バスのベンチにも絵をプリントしてくれたのですが、公共物としても目に止まることで、より私たちの存在がコミュニティに開かれていった感じはありますね。けれど、アートセールスが伸びてきたのはつい最近のことなんですよ」
『ランターマン発達障害者サービス法』によって、カリフォルニアは他のどの州よりも施設運営に対して得られる助成金が多く、年間に必要な予算の60パーセントが州から賄われているという。けれど、その一方で彼らが国から得ている障害者年金は最低限の生活水準すら保障してくれる額ではない。だからこそ、アートセールスは彼らの生活の質をよくするために大切なことなのだとダイアーは強調する。
「自分が表現するアートで、自分の人生をストーリーテリングすることができるのだと彼らを勇気付けていく。このセンターでは、彼ら一人ひとりがアーティストであり生活者であるということを何より大切にしています。自分の作品が美術館やギャラリーに展示されたとき、お客さんに自分の言葉で説明できるようになるためのワークショップを開いたり、週に二回、お料理や生活のスキルを教えてくれる先生を招くなど、彼らの生活全般に目を向けていますが、実際に作品が売れるということも、単に生活水準をあげるだけではなく、一人ひとりの人生の物語を肯定することにも紐づいているんです。だからこそ、アートセールスが伸びてきているのはとてもいい方向へ向かっていると感じます」
昨年は、アートセールスだけで年間約1600万円の売り上げがあった。そのうちの60パーセントが、施設内のギャラリーで年に12回開催する展覧会での売り上げ。残りの40パーセントがウェブでの売り上げだったのだという。
「これは私たちが予想もしなかったいい結果でした」と、ダイアー。ECサイトを立ち上げたのは、つい10カ月ほど前。当然ECでの販売は初めての試みで、どんな値段をつけるかについても随分頭を悩ませた。
「アートマーケットで扱われるアーティストとなれば、ギャラリーが値段を決めますけど、そうではないアーティストの作品は私たちで決めるしかありません。アートを買うという行為は、誰にとっても特別なことですが、服やバッグを買うのと同じように生活を潤すようなものであってもいいと思うんです。そう考えると、より多くの人が買いやすい価格帯は30ドル~300ドルくらいで、そうした値段をつけることでより多くの人がアートを買うという行為を身近に感じられるようになればと。それに、ここはあまり裕福なエリアではないので、高い値段をつけるのは、何か違うような気もしたんです。ですが実際には、フランスやスイスなど国を越えて購入される人もいる。時代は変わってきているのだなと実感しますね」
他の2つの施設があるエリアとは違って、リッチモンドには大きな企業がないため、自ずと寄付金が必要になったときに出会いが少ないというデメリットがあるのだという。けれど、一つ一つのピースは小さくても、その出会いが増えていけばいつか寄付金に頼ることのない人々の感性が支えるアートセンターになり得るのではないか。街全体のムードが彼らを引き立て、カッツ夫妻がセンターを立ち上げた頃のように。インターネットというあの当時にはなかったツールが、彼らとの出会いを増やし、私たちとアートの新たな関わり方を生み出している。