アクシデントが生んだアート
生成りの綿糸をハサミでチョキンと切り、結ぶ。結び目と結び目の真ん中をチョキン、また結ぶ。この作業をひたすら繰り返し、ほぼ5mmの等間隔に結び目を作る。結び目が無数に並んだ糸を巻き取っていき、手のひらサイズの糸玉になったら完成。はたから見ているだけで気の遠くなるような作業だ。似里力さんは、この作業を9年前から毎日続けている。
もともとはアトリエの共同作業として行われていた草木染糸の製作がきっかけだった。利用者に分担された作業工程のうち、似里さんは染め上がった販売用の糸を玉状に巻き取る作業を担当していた。ときどき、巻き取った糸が絡まるアクシデントが発生。やむを得ず切って結び直す。この所作が、似里さんのお気に入りになったらしい。そのうち絡まってもいない糸を、職員の目を盗んでこっそり切って結ぶようになった。
「切って結び目を作るたびに、染糸が売りものにならなくなるのでやめてくださいって職員から注意されて。はいはい、ごめんごめんって言いながらもやめないので、もう好きにしていいですと。そうして力さんはこれを仕事として獲得しました」。〈るんびにい美術館〉のアートディレクター・板垣崇志さんは、そう話す。
目が疲れそうですね、と板垣さんに聞くと、「これが疲れないらしいんですね、本当に。これを9時半から12時までやって、昼ごはん食べてまた午後めいっぱいやります。毎日毎日やってますので」という。似里さんは弱視なので、冬の薄曇りの日は職員が手を引いて歩行する。生成りの糸が映えるように、「ニトリ」で黒い天板のデスクを新調した。糸の収納棚もついていて、作業をするにはもってこいだ。デスク上の玉巻き器やかせくり器と相まって、近未来的でかっこいい。
そんな私たちの会話をよそに、似里さんは背中を丸め、指が鼻にくっつきそうなほど近づけて、ひとつずつ丁寧に結び目を作っている。ほかの利用者が話しかけたり、顔を触ってもお構いなしの集中力だ。似里さんが糸という物質を切って結ぶ様子を観察していると、分裂と結合を繰り返す細胞分裂のイメージが浮かんでくる。普段見ているまっすぐな糸は旧バージョンで、似里さんによって新しい姿に進化させられたようだ。結び目がぴょんぴょん飛び出しながら丸まっている糸玉は、小さな花びらの集合体のような可憐さと、新種の小動物のようなかわいらしさがある。作品を触らせてもらうと、見た目より重みがありごわごわしている。
切って結ぶ喜び
似里さんの作品はこれまでさまざまな展覧会で展示されてきたが、作品の題はいつも「無題」だ。「これが無題ってのも、変な話なんですがねぇ……」と、板垣さんは困ったように笑う。「力さんに、これ何?って聞いたことはあるんですが、『いど(糸)、いどだよ』って」。
似里さん自身は「無題」と名付けられた糸玉を作品だとは思っていない。ただ切って結ぶ喜びがあるだけだ。だから作品がどうなっても気にしない。過去、ほかの利用者が機織りの材料として似里さんの作品を使ってしまったときも、「いいよ」とあっけらかんとしていたそうだ。器の大きさと男らしさで、女性陣からも人気者だ。
似里さんの作業デスクの隅に、白い犬の写真が立てられていた。かわいいですね、愛犬?と聞くと、似里さんに代わって板垣さんが答えてくれた。「入所施設で飼っていた犬で、力さんがごはんあげたり、よくお世話をしてくれていたんです。犬にもすごく好かれて。力さんも犬が好きですし。…っていう説明で間違ってないですか?合ってる?俺の説明」。板垣さんが似里さんの顔を覗き込むと、糸から少しも視線をそらさず「合ってます」と一言。また結び目が増えた。