まるで図面を引くように
ひとり、アトリエの壁に向かい大きな背中を丸めている男性がいる。こっそり後ろから覗くとまるで建築士が図面を引くような手つきで文字を描いていた。直線は定規を、曲線はボールペンのキャップを使い作業は少しずつ進んでいく。
平野喜靖さんは大阪・泉佐野のアトリエ〈YELLOW〉に所属するアーティスト。付き合いの長い〈YELLOW〉の施設長・日垣雄一さんいわく「コテコテの」自閉症である彼は「以前は別の施設で月2回だけ絵を描いていたんですけど才能が伝わってきて」2008年からここに通うことになった。それから才能は見事に発揮され、2016年の『大阪府現代アートの世界に輝く新生発掘プロジェクト』最優秀賞など数々の賞に輝いている。
意味ではなく形。平野流タイポグラフィ・アート
「もともとはずっと動物の絵を描いていたんです。それで賞をいただいたりして。ご家族も喜んでいたんですけど、なぜか突然描けなくなってしまって。動物の絵の上に文字を描き出したり、また消したり。最終的にぐちゃぐちゃになったんです。もしかして文字だけを描きたいのかな?と思ってある日、新聞を渡してみたらどんどん文字を描き出したんです。こんなに集中して描けるものが見つかって良かったと思いますね。それから文字の方でも賞をいただくことができるようになって」。
画用紙には文字が、みっちりと描かれている。そこにはさまざまな言葉、たとえば“格差”や“ロシア”などもある。無意識にそれらの断片的な言葉が示す意味を読み解こうとする。が、日垣さんいわく「ただ好みの形を選んで描いているようです」とのこと。
あらためて作品を俯瞰してみたら、小さな直線と曲線が織りなす美しい世界がグッと迫ってきた。いわば平野流タイポグラフィ・アートは先入観による決めつけや一元的に世界を捉えようとする愚かさを私たちに気付かせてくれるかもしれない。
最後に、現在アトリエに通い始めて10年、絵を描き続けることで平野さんになにか変化はあったのだろうか。
「自閉がゆるくなったとお母さんはおっしゃっています。たとえば昔は工事中の道路とかはうるさくて通ることができなかったんですが、今は普通に歩けますし。絵を描くことで気持ちに余裕が出てきたのかなとは思いますね」。