「異才」を放つアトリエ、〈ラ・エス〉
ベルギーの障害のあるアーティストたちとそのアトリエ〈La《S》Grand Atelier (ラ・エス グランドアトリエ/以下、ラ・エス)〉は独自の創作アプローチでその異才を発揮し、作家、創作、コレクターの新しいあり方を提案する。
このアトリエは、ルクセンブルグ大公国とドイツの国境近くに位置するベルギー南部・仏語圏ワロン地域、リュクサンブール州バストーニュ行政区のヴィエルサルムという村にある。今年で25周年を迎えるこのアトリエは当初、〈La Hesse(ラ・エス/この地域の方言で「ブナの木」という意味)〉と名付けられた障害者の福祉施設の中に作られた。
アトリエの代表を務めるのはアンヌ=フランソワーズ・ルーシュさん。彼女は、リエージュの美術大学を卒業後、このアトリエでデッサンや絵画の指導を一任されることとなった。それまでは、スポーツや庭仕事などの活動はあったが芸術活動は初めての試みであった。入所施設の地下室で始まったこの小さなアトリエ活動は、時を経て2010年には非営利団体として登録され、〈La Hesse(ラ・エス)〉の発音をもじって「La S(ラ・エス)」と名付けられたのだ。現在、約50人の障害のある参加者が手芸、絵画、彫刻、音楽、演劇、アニメーション、陶芸、シルクスクリーンなど多方面で活動を行っている。
「宗教」をテーマに創作した「アベルヤ」シリーズ
〈ラ・エス〉の「異才」ぶりは、10月15日までベルギーのフラマン語圏の街、ゲントにあるギスラン博士博物館で見ることができる。
展示されているのは「アベルヤ」と名付けられた創作シリーズで、〈ラ・エス〉独自の創作アプローチを代表するものだ。それは、参加者の中から自発的に出て来た1つのテーマを、その土地で暮らす生活者に縁があるテーマと捉え、そのテーマに沿って各々が創作を押し進めるというアプローチである。「アベルヤ」ではこの地域の生活や人々のなかに根付く「宗教」をテーマにとりあげた。2013年に始まった同シリーズでは、障害のある参加者23名に現代美術の招待アーティスト11名を加え、総勢34名で全作品数400点以上が創作された。材料は、地域の人々の協力を得て集まった古いマリア像や十字架、イコン(聖像)、廃材などで、古い教会からもらってきたものや蚤の市や骨董市で調達したものもある。
創作シリーズ「アベルヤ」の発端となったのは、参加作家のイレーヌ・ジェラールさんだ。彼女は2007年に〈ラ・エス〉にやってきたが、その前から塗り絵を趣味としていた。そこで代表のルーシュさんは、塗り絵が得意な彼女が絵を描いたらどうなるかに興味を抱いた。ジェラールさんに絵を描くように促すと、塗り絵と同じように先に黒い輪郭線で形を描き、パート分けされた形の中に彩色を施すという手法で描きはじめた。2013年からその手法で修道女の肖像画を描くようになった。ルーシュさんは、ジェラールさんが描いた宗教のモチーフから、この地域の日常生活では一見遠いものに見える宗教文化が、現在も身近なものとして色濃く根付いていると気がつく。
作品から浮かび上がった、ベルギーの秘密軍の歴史と悲しい過去
じつは、「アベルヤ」シリーズの前に2011年から2012年の2年間かけて取り組んだ 「Army Secrète(アーミー・スクレットゥ)」(第二次世界大戦のナチス占領下におけるベルギーのレジスタンス組織「秘密軍」をもじった名)も地域の歴史を反映した創作プロジェクトだった。
〈ラ・エス〉には、兵隊と第二次世界大戦に大変な情熱を傾けているジャン=ジャック・オーストさんという参加者がいる。だが、アトリエのスタッフたちはなぜオーストさんが戦争に興味をもつのか理由を知らなかった。ある日、現代美術家のムリネックスさんが〈ラ・エス〉を訪れた。彼に出会った直後ムリネックスさんは、ヴィエルサルムを歩いていると「秘密軍」の記念碑を発見し、町の歴史を知ることとなった。ヴィエルサルムを含むバストーニュ地区では、第2次世界大戦中、アルデンヌ高原を手中に収めようとしたドイツ率いるナチス軍とアメリカ軍率いる連合軍、そしてベルギーの秘密軍が激しい戦いを繰り広げた歴史があった。実はアトリエの参加者だれもが、歴史に残る残虐な激戦によって、家族が被害にあうという悲しい過去を持っている。
さらに、偶然にも 〈ラ・エス〉のアトリエが古い兵舎の中にあることから、みんなで兵隊をテーマに創作を始めようということになった。いざ取り組んでみると、この地域で生まれ育った参加者たちにとってはなじみのあるテーマだったことが分かり、「アーミー・スクレットゥ」が生まれたのである。〈ラ・エス〉の創作表現の中には土地や家族の歴史が深く関わっていたのだ。
地域の記憶から生まれた、新たな表現
さて、ジェラールさんの話に戻ろう。ジェラールさんは、発端となった修道女の肖像画シリーズのほか、枢機卿の肖像画シリーズを出展。まるでヴァチカン宮殿に飾られても不思議でないような古典的なスタイルを踏襲しつつも、独自のスタイルで斬新なポートレートに仕上げている。人物の顔や体は黒い線でパーツに分けられ、多面の輪郭を持ち、彩色と形でパズルのように構成される。また、同展のためにゲントの街にあるサン=バヴォン寺院所蔵の15世紀に描かれた祭壇画、ファン・エイク兄弟の《神秘の子羊》の模写に挑戦し、これがジェラールさんの自信の大作となった。
別の出展アーティストであるローラ・デルボーさんは、今回の「アベルヤ」シリーズで、マリア像を使った立体作品に挑戦した。始めは絵画を描いていたが、次第に手芸に興味を持ち始め、最近では人形や色とりどりのくまのぬいぐるみなどを作っているそうだ。
今回の制作では、マリア像に衣服を着せるように、もしくはさなぎのように包み込みこむように、色とりどりの毛糸をぐるぐると巻き付けた。また、所々に蜘蛛の巣のように編み込んだ編み目があり、放射線状に毛糸が広がっている箇所もある。それは逆に、マリア像がそれらの糸や布の中に捕らえられているようにも見える。「黒は嫌い」という彼女。像を取り巻く糸は、すべて明るい原色ばかりだ。
これらの「アベルヤ」シリーズでは、「宗教」という難しいテーマも、先入観や議論、挑発、イデオロギーなどではなく、同地域の生きた歴史の断片として表現に落とし込まれている。ここでは、誰もが知っている宗教の象徴である十字架やマリア像、聖職者の肖像画も全く新しい形相で提示されている。
タイトルの「アベルヤ」はフランス語の「ハレルヤ(主をほめたたえよ)」と「アヴェマリア(こんにちは、マリア)」を掛け合わせたシャレの利いた造語。参加者のマルセル・シュミッツさんが考案した。彼は、いつも独自のフランス語の言葉を考えだす。元来の意味はなくなり、全く新しい言葉とその音の響きを作り出す。ルーシュさんはその詩的で機知に富んだ表現を評価し、創作シリーズの名前に採用した。
アーティストそれぞれのスタイルを引き出すには?
一つのテーマに沿ってはいるものの、それぞれの参加者が全く異なる独自の表現で創作をしている。その異才の秘訣をアトリエの支援者たちに聞いた。2年前からデッサンと絵画のアトリエを担当するゲントの美術大学出身のミッシェル・ド・ジャガーさんは、「参加者一人一人のスタイルを引き出すには、とにかくたくさん会話をすること。また支援員と参加者たちがお互いに尊重し合う雰囲気を作り出すこと。時間がかかることですが、急がずこちら側も忍耐強く向き合うことです。それが出会い、理解、信頼、触発を生み出すのです」と語る。
また、アトリエ創立当初から創作の現場でのサポートや作品の価値付け、活動の伝播に尽力するルーシュさんは、「創作現場では同情は必要ありません。彼らのありのままを尊重し、そういられるような場をつくることです。決して彼らに“普通”になって欲しくありません。彼らにとって施設での生活は、人に出会うのが怖かったり、時に辛いものです。でも信頼を築ければその後、人々を紹介することができます。彼らがありのままでも可能なのだということを私達こそが受け入れなければならないのです。ただ、彼らには独特な脆さが伴っているため、いつでも出来る限り、彼らが必要なときに対応できるようにしています」と語る。ルーシュさんはアトリエの広報、会計、総務、人事、運営事務を1人で担い、パートタイムの各アトリエの支援員6人と共に、アトリエ活動に奔走する。
〈ラ・エス〉の異才に魅了されたのは、支援者や鑑賞者だけではない。世界的な現代美術のコレクターでパリに私設美術館「メゾン・ルージュ」を運営するアントワーヌ・ガルベールさんとアール・ブリュットの世界的なコレクター、ブルノー・デシャルムさんの二人は、共同で「アベルヤ」シリーズの全作品を購入した。今後、この創作シリーズがバラバラに散逸せずにまとまった形で保管され、世界中の多くの人に見てもらえるようにという二人の願いからだ。
コレクターの興味もいまや作品だけではなく、創作活動自体や創作現場へと広がりを見せている。新しい美術コレクターの関わり方も可能にした〈ラ・エス〉の活動。今後の展開も見逃せない。
Information
La «S» Grand Atelier(ラ・エス グランドアトリエ)
Place des Chasseurs ardennais, 31, B-6690 Vielsalm, Belguim
Tel : +32(0)80 28 11 51
La «S» Grand Atelier Website