ウェブアクセシビリティを後押しする社会背景
昨今ウェブアクセシビリティの分野が注目されるようになった背景にはどのような流れがあるのでしょうか。
伊敷政英(以下、伊敷):やはり2024年4月に施行された「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(障害者差別解消法)」の改正法が大きいと思います。これにより、民間事業者に対して「合理的配慮の提供」が義務化されました。これは可能性でもあり、課題でもあると感じています。
合理的配慮とは、社会的なバリアをなくすため、障害のある人から要望の申し出があったときに、それぞれの状況に応じて提供される必要かつ適当な変更や調整で、その実施に伴う負担が過重でないものをいいます。
ところが、これが「ウェブアクセシビリティの義務化」だと一部誤解を招いている面があるのです。僕が関わっているサニーバンクという障害者専門のクラウドソーシングサービスにも「義務になるからウェブアクセシビリティ対応をしたい」といった依頼が来ています。障害者差別解消法に基づく政府の基本方針によると、情報アクセシビリティの確保・維持・向上は、合理的な配慮を的確に行うための環境の整備の一環と位置付けられ、努力義務となっています。
ではウェブアクセシビリティをやらなくてもいいかというと、やったほうがいいですよね。いずれにしても合理的配慮の義務化により、障害のある人たちからの申し出も増えると思います。
たとえば「サイト上のこのPDFが読めないからテキストデータがほしい」とか「動画に字幕がついていないから文字起こしがほしい」といったような。むしろそういう要望はどんどん増えてほしいですが、1件ずつ対応するのは企業側の運営に支障も出るでしょう。だからこそ、ウェブアクセシビリティをはじめから考えていくことが重要だと考えています。
萩原さんもウェブに関するさまざまなお仕事をされていますが、アクセシビリティについてはいかがでしょうか。
萩原俊矢(以下、萩原):伊敷さんがおっしゃったように、2024年の4月前後で「ウェブアクセシビリティの規格であるJIS X 8341-3:2016に準拠したい」とか、「アクセシビリティに対応しなければいけないのか」と聞かれることは増えました。ウェブ業界でもセミナーやイベントが全国的に増えていて、注目度は高いようです。アクセシビリティに可能性を感じている人が多い状況だと思います。
やはり法律の改正が大きな潮流をつくったのでしょうか。
伊敷:もちろん後押しにはなったと思います。でも、その前から草の根的にアクセシビリティに取り組む動きがありました。
フロントエンドエンジニアといって、ユーザーとサービスの接点を実装する技術職の人たちのなかに、キーパーソンが何人か現れてきていました。彼らが勉強会を開いて、いろんな事業者に呼びかけてウェブアクセシビリティの認知が広がっていったんです。
萩原:主にSaaS(サース(Software as a Service))と呼ばれる、ウェブサービスとしてソフトウェアを提供する会社の方々からですよね。クライアントに合わせてソフトウェアを提供するのではなく、同じサービスをみんなが使うものだからこそ、アクセシビリティをよくしようという動きが、SaaS企業のエンジニアやデザイナーを中心に広まった印象があります。
いいウェブデザインとは何か?
ウェブアクセシビリティに取り組むなかで、課題だと感じることはありますか。
萩原:ウェブデザインの立場では結構悩んでいて……。
アクセシビリティに取り組むと、ウェブサイトは格段によくなります。たとえばスクリーンリーダー(画面読み上げ機能)への対応は必ず推進したほうがいいなどは迷いなく言えるのですが、グラフィック表現としての「いいデザイン」が揺らぎ始めています。
自分が惹かれるグラフィック的な、ある種のにぎやかなウェブデザインはありますが、スクリーンリーダーユーザーにそのよさをどう伝えたらよいのだろう、と。そう考えたときに、これまで自分がいいと思っていたものは、実はひとつの見方でしかないのかもと思いました。
スクリーンリーダーのユーザーやさまざまな障害特性のあるユーザーにとって、「楽しい」とか「わくわくする」サイトってなんだろうか。その感覚やリアリティを求めずにウェブアクセシビリティに取り組み続けることはできないと思っています。
伊敷:それは難しい悩みですよね。
僕も弱視だったときは目で見て操作していました。画面を拡大してディスプレイに顔をくっつけるようにしながら見るなかで、やはりデザインがかっこいい、おしゃれだと思うサイトがありました。でも全盲になり、スクリーンリーダーを使うようになってから、そういえばわくわくを感じていないなと。便利だとか、情報を取りやすいとか、手続きがしやすい、といったサイトはあるけれど、デザインがかっこいい、おしゃれとかは感じていないなと。
では、スクリーンリーダーのユーザーにとってデザインから感じる「わくわく」が何かというと、私もまだよくわかりません。
萩原:スクリーンリーダーを使う人にとって「いいデザインとは何か」を見つけられるといいなと思っているんです。それはボーダーを引くことではなくて。グラフィックじゃないけれど、グラフィックデザインから感じるようなおもしろさを探りたい。それが音になるのかどうかはわからないのですが。
伊敷:確かに音だけではないかもしれませんよね。感性を刺激するようなウェブアクセシビリティを考えていけたらおもしろいと思います。
また、別の見方になりますが、特にウェブアクセシビリティの話になると、どうしてもスクリーンリーダーユーザーへのアクセシビリティ確保に話が偏る面があります。もちろん、一番困りごとが多く重要度も高いので、考えていくことは必要です。でももう少し、ほかの障害や困りごとのある人の声も聞かないといけないよねとも思っています。
これからはもっといろんな特性のある人と一緒に、ウェブアクセシビリティを考えていくことがさらに大切だと感じています。
つくる側だけではなく、ユーザーも一緒に
ぜひ萩原さんと伊敷さんでわくわくを探っていただきたいです。伊敷さんがアクセシビリティに取り組むなかで課題に感じることはありますか。
伊敷:サニーバンクの仕事をしているなかで、「どのサイトをみても特定の色の組み合わせが見えづらい」と言う色覚特性のあるワーカーさんがいました。こうやったらわかりやすくなるなどの意見はもらっても、そのワーカーさんに合わせて色を変更すると、ほかの人が見えづらくなってしまうかもしれなくて、根本的な改善方法が見つからず、悩んでいます。自分でカスタマイズして色を見やすくするような支援技術があるとよいのかな、と。
萩原:ウェブ制作側ですべてに対応するのは難しいので、ユーザー環境(利用者が使用するOSやブラウザ)と組み合わせながら、よりよい情報提供と享受ができるといいですよね。今はOS側で色を変えたり文字を大きく太くできるような補助機能が充実してきています。伊敷さんもかつては色を反転していましたよね。
伊敷:弱視だったときは、白の背景だとまぶしくて文字が読めなかったんです。WindowsにもiOSにも、画面上の色をすべて反転する機能が入っていて、これを使っていました。白が黒に、赤が緑に、青が黄色になった世界でウェブを見ていました。
ウェブアクセシビリティって、ウェブをつくる人だけががんばるのではなく、OSやブラウザやスクリーンリーダーのようなソフトウエアもがんばる、ユーザーもがんばるといったように、みんなで改善できたらいいなと思います。
たとえばユーザーはどのようにがんばるとよいでしょうか。
伊敷:まずはいろいろなウェブサイトやサービスを使ってみること。そして、使いやすかった点、わかりやすかった点、逆に使えなかった機能や、「もっとこういうふうになっていたら見やすくなる」とか、言葉にしてウェブサイトやサービスを運営している企業に伝えることですね。言語化するのはもちろん簡単ではないのですけれど。
萩原:いろんな障害特性のある方のリアリティが言葉になって表現されると、知る機会につながりますし、デザイナーやエンジニア側もそれは知りたいと思います。
ウェブアクセシビリティはクリエイティブで楽しい!
最後に、これからウェブアクセシビリティに興味がある人に向けて伝えたいことや期待することはありますか。
伊敷:ウェブアクセシビリティの診断を受けると、「ここができていません」とか、「不十分です」と言われることが多いと思います。また、アクセシビリティの考え方には、いろんな捉え方があって、情報保障という捉え方もあるし、人権だという捉え方もありますよね。
そんななかで私は「アクセシビリティはこわくないよ。楽しいからみんなやろうぜ!」と言いたいです。
萩原:JISに基づくウェブアクセシビリティ診断を受けたとき、ちゃんとやっていたつもりだったけれど「できていない」と言われて、でもどこが悪いんだろう、とへこむ。僕らとしては改善したつもりでも本当に良くなっているのかがわからず、雲をつかむような状況が続いていたころがありました。つくる側も不安なんですよね。
サニーバンクで様々な障害特性のあるワーカーさんたちに出会って、いいところと悪いところをきちんと教えていただき、具体的な改善方法を指摘してもらえるので、なるほど問題点はここだなって実感と自信を持って進められるようになりました。知識としても少しずつ広がってきた気がしています。
伊敷:ここ数年、障害のあるワーカーさんと仕事をしてきて思うのですが、改善に向けて何ができるかなと、落としどころを見つけるプロセスがクリエイティブだしめちゃくちゃ面白くて、その楽しさをもっと多くの人に味わってほしいと思います。
ただ、アクセシビリティ人材が足りていないのです。たとえばJISの試験ができたり、提案ができたり相談を受けられたりする人が、1万人から2万人という単位で必要だと思うので「一緒にやろうよ」と言いたいですね。
萩原:ゴールがないように思えるから尻込みしてしまうのかもしれませんよね。でもアクセシビリティはこわくないし、少しずつだけれど前に進めるものです。
私はやはり、これまでデザイン業界が共有してきた「よさ」の枠組みを拡張しなければいけないタイミングだと思っています。これまでデザイナーがつくり上げてきた成熟した価値観は大切にしながら、少なくともウェブデザインの分野に関しては、その足場を見直すタイミングかもしれません。なるべく崩さずに積み上げていきたいところですが、これからやることがいろいろあって楽しみです。