障害者=聖人君子というイメージは日本独特なもの?
リリー・フランキー(以下、リリー):熊篠はすごくいい奴ですけど、健常者に根性が悪い奴がいるのと同じように、根性の悪い障害者もいて当たり前。でも、なぜか車椅子に乗ってる人はみんなおとなしくて心が清らかで絵が上手、みたいな認識が世間にある。それって健常者が作った架空の障害者のイメージですよね。これは日本独特の感覚なんじゃないですかね。
熊篠慶彦(以下、熊篠):そうですね。外国だと、当事者は介助する周りの人たちの顔色を伺わないですよね。権利は権利としてきちんと口に出して主張するし、ニーズはニーズとして主張するので。支援する側も、たとえば医療系とか介護系の専門職の人はニーズに対してどう対応すればいいかと頭をひねりますし。
リリー:日本人だと言いづらいというのもあるだろうし、主張したとしても介助してる人にそんなはずじゃなかったのにというリアクションをされると、障害者が障害者という架空のイメージを演じなきゃいけなくなっちゃう。「いつも介助してくれてお世話になっております」、向こうも「お手伝いしております」というなかで、「実はすっごいセックスがしたいんだけど、どうしたらいいと思う?」と聞くことはセクハラとも受け止められかねない。
熊篠:(笑)。
リリー:日本人のメンタリティとしては、もう一人、間に入っていたほうがいい。それを熊篠がやるしかない。全ての介助の人と障害者の間で熊篠がアイコンになって、「私たちは恋愛もしたいし、セックスもしたいという当たり前の気持ちを持っているんだ」と声高にしなきゃいけない。熊篠の活動を障害者の人たちは100%いいと思ってないわけで、そんなに性欲があるってことを主張されても困るという人もいるんですよ。
熊篠:まぁ、そうですね。
リリー:それを声高にしていくことはどういうことかというと、「健常者の人たち、もうちょっとちゃんとしてください」と言われてるということなんです。前に、精神病院のレクリエーションで絵を教えたことがあって、先生が患者さんの絵を見せて「いいでしょう? どうですか、こういう人たちの絵は」って言うんです。医者だってどこかで彼らのことを全員ヘンリー・ダーガー01だと思ってる。それは全然違うんです。絵の上手い人、下手な人はいますよ、そりゃ。医療の現場にいる人間がそれくらいの感覚しか持っていなくて、これ駄目だなって思った。
障害者にとっての当たり前をエンタメ映画にした理由
リリー:熊篠君が10年以上やってる活動というのは、さっきも言ったようにものすごく当たり前のことを理解していない健常者に対する訴えなんです。障害者だって恋をしたり、セックスしたりする。当たり前だろって思うんだけど、当たり前のことが認識されていないのに、それをすっ飛ばして障害者風俗の話をする。世間がそれ以前の問題をまだわかってない。地下のイベントでその話をしても、ラチがあかないなって気分になるし。
熊篠:うんうん。
リリー:映画じゃなくてイベントでやっても、特殊なものと思われてしまう。この映画はエンターテイメントとして面白いですけど、映画は映画としての感想を持ってもらえばいいし、映画ができたことによって、いろいろなメディアに取材してもらって熊篠の活動が活字化されたり、映像化されることにすごく意味がある。いろんな人に観てもらうことで、熊篠がこれから先も障害者の人たちの普通の窓口というか、メディアになるといい。
熊篠:本当に最初の頃、ドキュメンタリーっぽくするのかエンタメ方向にするのかを監督とすごく話したんです。ドキュメンタリーだったら狭く深くなるけれど、たぶんお金は集まらないだろうし、お客さんも少ないだろうし、単館で1カ月くらいやってくれるかどうかかもしれない。エンタメ方向に振ると、深くはできないけど広く浅くマスに届くようにはなるだろう。最終的には、多少脚色して面白おかしくすれば、ドキュメンタリーよりはお金が集まるだろうってことになった。
リリー:でも、俺らもどっかで麻痺してるところがあるからさ。俺らはポップにやったつもりが、さほど周りから見たらポップじゃないんじゃないか、と。たとえば情報番組とかに出て、朝から、「障害者の愛と性を描いている」とか「障害者のセックス」とか言ってもシーンとなる雰囲気あるじゃない(笑)。
映画の中に映された車椅子の生活のリアリティ
熊篠:映画の撮影に入る前、松本准平監督からいろいろと聞き取りはされました。
リリー:でも監督はいい意味で“ライブ”なんですよね。撮影に入ったら、障害者の生活云々をちゃんと絵にしようってことでもなくなってたよね。
熊篠:実際撮影に入ると、空間も限られてくるじゃないですか。そのなかで最大限頑張ってもらいました。砂浜でミツがクマを引っ張るシーンは、実際にはあれだけスムーズには動きませんし、撮影的工夫がされていたりしましたが。
リリー:曙だって無理だと思うよ。タイヤは本当に重いですから。電動の車椅子じゃなかったしね。それにしても2月のくそ寒いなかで海に入ったのは、死ぬかと思った。
熊篠:あれはさすがにね。
リリー:寒かった〜!
熊篠:最高気温5°Cくらいで雨予報も出てたんですよ。監督は「どうせ雨が降るんだったら、雪にならないかな」って言ってて。鬼だ〜って(笑)。
リリー:けど助けてもらった小池栄子の胸で寝たとき、寒いけど永遠にこの時間が続いたらいいなって(笑)。今回はミツを演じた清野菜名ちゃんもそうだし、女優陣がみなさん包容力のある女性なんですよ。だから俺は撮影しながら、全女優さんに介助されてる感じでした。
熊篠:(笑)。
リリー:さっきも話してたんだけど、エンターテイメント映画にしたんだから、クマの役は俺じゃなくて山崎賢人とか福士蒼太がやったほうがいいって。それで観てくれる人たちを増やして、どんどん壁ドンも増やすとか(笑)。
熊篠:リリーさんが演じてくれて嬉しかったですけど、冷静には観れないですよね。何割かのエピソード、たとえば中学生のときに股関節を手術して放射線を浴びてどうのこうのっていうのは全部実話なので、1回1回現実に引き戻される。だから、「面白かった」と感想を言われても、単純に僕の過去の体験だったりするからどこが面白いのかはわからないというか。
リリー:生々しい熊篠の実体験が出てくるけど、それだけくみ上げていくとすごく重い話になる。最初の方でミツとクマがキスするシーンがハートのワイプで囲まれていて、正気かなと思ったけど、どこかでファンタジーというか漫画っぽさを挟んでいかないと。そもそも俺がエンターテイメント寄りの映画に出ることがほぼないので、最初は飲み込みが難しかったけど、これはこれでいい。障害者が主人公だけど、友だちに「すっごい馬鹿映画だったよ」と言ったり、自由な感想を持ってもらいたい。
「パーフェクト・レボリューション」=「完全な革命」とは?
リリー:このタイトル、大風呂敷広げすぎですよね。
熊篠:そうですね(笑)。
リリー:映画が後半、このタイトルに引っ張られすぎているところはあるけれど、途中でミツが「私らみたいなのが幸せになったらすごいことだと思わない?」って言う。それって、本当に革命を意味してるというか。だって、世の中の健常者の人だって、完全な幸せなんか誰も持てていないじゃないですか。できないから、不倫したり文春を買ったりしてるわけじゃないですか。ミツは最後まで痛い女としているけれど、よくよく考えるとどんどん真っ当に思えてくる。
熊篠:周りとの対比で、割と真っ当に見えてくるんですよね。
リリー:クマのほうが理屈っぽいという。一番打算がないのがミツなんだよね。相手が障害者だろうが金がなかろうが放射線を浴びてようが、関係なく幸せになれると信じてる。でも周りは打算まみれ。そんな人間に幸せになってもらっちゃ困るじゃないですか。ミツだからこそ、言っていいことなんです。
Information
『パーフェクト・レボリューション』
- 9月29日よりTOHOシネマズ 新宿他にて全国ロードショー
- 監督・脚本:松本准平
- 企画・原案:熊篠慶彦(著書『たった5センチのハードル』)
- 出演:リリー・フランキー、清野菜名、小池栄子、岡山天音/余 貴美子
- 制作・配給:東北新社 宣伝協力:ミラクルヴォイス
- 2017年/日本/カラー/5.1ch/ビスタ/117分/PG-12
- © 2017「パーフェクト・レボリューション」製作委員会
[STORY]
クマ(リリー・フランキー)は幼少期に脳性麻痺を患い、手足を思うように動かせず車椅子生活をしている。ただし彼はセックスが大好き。身体障害者にとっての性への理解を訴えるために活動している。そんな彼がある日、美少女・ミツ(清野菜名)と出会う。どんな不可能も可能にする、ハチャメチャだけど純粋な、クマとミツの“最強のふたり”のラブストーリー。