プロローグ:創作を生きる力に
北海道で障害のある人の芸術活動を推進する「北海道アールブリュットネットワーク協議会」や、東北も含む広域支援センター「アールブリュット推進センターGently」の事務局を担うのが、当別(とうべつ)町にある社会福祉法人ゆうゆう。大友恵理さんは、その担当者として道内に住むさまざまな作家や支援者と連携してきた。
「特に作家さんたちとは、展覧会やイベントなどで作品を出してもらったり、作品紹介をしたりするなかで、関係性が築かれていきました」と大友さんは語る。
現代美術のキュレーターだった大友さんは、2019年に北海道立帯広美術館で開催された「北海道のアール・ブリュット こころとこころの交差点」展をきっかけに障害のある人のアートと関わるようになった。全道規模では初となる展覧会のディレクションを担当した。それから、ゆうゆうの職員として、アール・ブリュットの世界に深く分け入っていく。
さまざまな作品に触れるなかで、大友さんは、「作家は、創作を生きる力に変えている」と感じているという。大友さんの案内で、そんな表現活動に取り組む人たちに会いにいく。
溢れる「好き」、地域芸術祭の顔に
新千歳空港から南西に車で約1時間。うっすら雪の積もった山間の高速道路を降りると、太平洋岸の白老町に入る。
午後1時。海岸の住宅街にある、田湯加那子さんの自宅兼アトリエを訪ねた。田湯さんは、居間の隣にある和室で、机に向かって絵を描いていた。
「いつも9時から17時のルーティンで描いているんですよ」と、大友さんが言う。
机の上には、7、8冊のスケッチブックが積み上げられている。一番上のものに、田湯さんは、彫刻刀で彫るような筆圧で、色鉛筆をぐいぐいと押しあて、格子状の模様を絵に加えていく。数分経つと、スケッチブックを入れ替え、同じように模様をリズミカルに刻む。
田湯さんが絵を描きはじめたのは、小学4年生の頃。アイドル歌手やアニメキャラクターなど、「自分の好き」を力強く、リズミカルなタッチで描いてきた。2005年の初個展以降、作品は高く評価され、2022から2023年にはスイスのローザンヌで開かれた「アール・ブリュットとマンガ」展にも参加している。
田湯さんはほぼ毎日絵と向き合う。ただ、それは本人にとって「作品づくり」ではないという。「生活の一部、加那子なりの普通を生きる術」と、側で伴走してきた母のひろみさんは表現する。
積み上げてきたスケッチブックは、100冊以上。花や野菜など具体物をモチーフに、完結した絵を描く時期もあったが、近年は作風が抽象的に、「完成」のないかたちに。以前に描いた絵を黒く塗りつぶしたり、写真集やカタログに絵を描いたりすることもある。「描く感触そのものを楽しんでいるようです。それを作品と呼んでいいのか、正直、迷いもありました」とひろみさん。
迷いながらも出品した黒塗りのスケッチブックが、2019年度の「Art to You! 東北障がい者芸術全国公募展」で大賞に。2023年には、白老で開催された地域文化の芸術祭「ルーツ&アーツしらおい」に参加。18年ぶりとなる地元での展示が実現し、花の絵がメインビジュアルに選ばれた。
ひろみさんは、一線の現代作家とともに同芸術祭に参加したことで、「そこから加那子の創作活動の状況はフェーズが変わった」と語る。加那子さんは、会期中、夜中まで起きて机に向かっていたそうだ。「障害のあるなしではなく、今この地で表現し続けている作家として認めてくれたのは大きかった」とひろみさん。
田湯さんが、ひとりのアーティストとして羽ばたこうとしていた。