2023年4月6日
介護の現場で働きはじめたわけ
わたしが介護の仕事をはじめたのは、2022年にアメリカで障害と芸術についてのリサーチを行ったことが大きく影響している。アメリカでは、福祉とアートは完全に切り離されている。障害のある人による表現は「セラピー」か「現代アート」かで分けられ、まったく別の世界のものとして扱われているのだ。
1970年代にはじまった障害者権利運動は、脱施設を目的として行われたので、現地で出会った障害のある人たちに「日本では福祉施設で面白いアートの実践が行われている」と話すと、まず施設という存在に対して嫌悪感を示され、次に「それはアートではない」と言われる。でも、果たしてそうだろうか。
日本には、福祉とアートが交差するユニークな領域が、確かに存在していると思う。でもそれを語るためには、わたしは福祉について知らなすぎる。そんなことから資格を取り、せっかくならと福祉施設で働いてみることに決めたのだった。これまで知的障害や精神障害のある人の表現を展示させてもらったことはあったが、アートというハレの場ではなく、日常にもっと触れてみたかったというのもある。
そこで、アートで目立った活動をしているわけではない、“普通”の施設で働くことにした。その施設は、福祉の領域で注目される「地域包括ケア」の一環で自治体によりつくられた複合施設のなかにある通所施設。年齢も幅広く、障害の種類も身体障害から知的障害、発達障害、精神障害とあらゆる人が通っている。しかも、さまざまな理由で言葉によるコミュニケーションが難しい人がほとんど。インクルージョンとはなにか、という思索がそこからはじまった。
2023年6月某日
リズムに乗るように食べる
ケアが必要な人に対して行政が福祉サービスを決めてしまっていた「措置」の時代から、介護保険を機に必要な人が自分でサービスを選ぶ「契約」の時代に変わり、福祉の世界では「自己決定」が重要だと教わる。では、たとえばある人の食事の介助をするときに、毎回食べたいものを聞くべきだろうか。もちろんそうする必要や要望がある場合はそれがいいと思うが、大抵の人の場合、そんなことを聞かれてもよくわからないだろうし、答えるのも面倒だ。多くの人がいちいち考えずに自然とやっていることを、自然とできるようにする介助があるべきだなとも思う。
上手くいっていそうな職員さんの食事介助を観察してみる。すると、大事なのは何を食べてもらうかというより、その人が食べやすいリズムをつくることだとわかる。わたしなんかが介助すると1時間以上かかってしまった食事を、彼女たちは半分以下の時間で終わらせる。かと言って急いで適当に食べさせているというわけではない。一人ひとりの食べるリズムを把握して、変な前置きや躊躇なく、良いタイミングで口に入れるのだ。まるで餅つきを見ているようだな、と思った。
介護ではそういったことがよく起こる。車椅子からトイレへの移乗だって、ベッドに寝るのだって、あるいは会話でさえも、介助する相手の体のリズムにするっと入り込めば、それまで硬直状態にあったとしても、不思議と上手くいったりする。体を使うことを苦手としてきた自分にとって、他人の体をよく見てリズムを読み、それに合わせて体を添えることは、ダンスのレッスンのようでもある。