プロローグ:関係性から生まれるもの
2019年より山形で続く、“障害のある人たちの表現(=「きざし」)とそれに寄り添う「まなざし」に焦点をあてた”公募展「きざしとまなざし」。武田和恵 さんは、その舞台裏を担うひとりだ。各地の福祉施設や個人を訪ねては、表現活動の現況について聞き取りを重ねている。
「きざしとまなざし」。たとえば、こんなことがあったという。ある福祉施設では、備品を毎日のように駐車場に並べる人がいた。もちろん、利用したい人からすれば困ってしまう。しかし、スタッフはその行為に戸惑いながらも、「なぜだろう?」という自身の素直な視点に立ち、 写真を撮って記録を続けた。“いたずら”のような営みの蓄積に、その人の意思の表れを汲み取ったのだ。
「問題行動だと見なされるような行為も、とらえ方を変えれば、ものを創造する芸術活動なのかもしれない。だから、『きざしとまなざし』展では、そんな関係性から生まれてくる、表現の“きざし”を紹介しているんです」と武田さんは言う。
絵を描くことが、コミュニケーションに
山形市谷柏(やがしわ)へ。国道を走ると、薄く雪をまとった月山(がっさん)が遠目に見える。とんぼが舞う黄金色の田んぼや、りんごが実る果樹園。晩秋の風景を横切りながら、村山特別支援学校本校に到着した。校舎は随所に木が生かされ、採光が心地良い。廊下や教室には生徒のにぎやかな声が明るく響いた。
ここに通う長濱哲哉さん(「てっちん」と呼ばれている)は高校3年生。昼休みになると、教室でいつも絵を描いているのだという。「すぐ描き上げちゃいます。数十枚を毎日必ず」と、母の奈穂子さん。この日は保育士をしている姉の志穂さんも立ち会い、哲哉さんがこれまでに描いた作品を見せてくれた。手に抱えたトートバッグや紙袋を預かると、束になった絵がずっしりと重い。
「てっちんの絵は、本人が編み出した技術なんだと思う」。取材の前に武田さんが語った言葉を思い出す。自閉症で、話すことがあまり得意ではない哲哉さん。幼い頃は、感情を表すことができず、よく癇癪(かんしゃく)やパニックを起こし泣いていたそうだ。しかし、小学生のとき、お絵描きボードに「チョコアイスがたべたいな」と絵や文字で示すことで、意思が伝わる手応えを覚えた。それから中学校へ上がると、ある公募展への出品をきっかけに、自身の気持ちや願望を表現するようになる。
「ずっとひとりで遊んでいたので、人には興味がないのかな、もしかしたら人嫌いなのかもしれない、と心配していました。でも、絵を描きだしてから、『てっちんの世界はこんなに豊かに広がっているんだ』とわかったんです」と奈穂子さん。たとえば、たくさんの人や動物が、笑顔で手を振る様子を描いた絵がある。「放課後デイサービスから迎えの車で帰るとき、メンバーやスタッフみんなで『またね』と手を振るのが嬉しかったんだなと思って。感情を表には出さないけれど、こんなふうに見えていたんだな」と、奈穂子さんは続ける。
今では、絵を描くことが、哲哉さんの日常的なコミュニケーションになっている。志穂さんも、そうした哲哉さんの自己表現、生き方の工夫ともいえる営みに向き合ってきた。
「苦手な部分をどうカバーすると生きやすい社会になるのか、てっちんと一緒に過ごすなかで痛感しました」と志穂さんは語る。相手の意思にどう共感するか。哲哉さんとともに育つなかで自然と培われたその姿勢は、子どもと接する自身の仕事にも重なっている。