老人が生き生きと暮らせる“役”を見つけてあげること。
菅原直樹/すがわら・なおき
1983年栃木県生まれ。俳優、介護福祉士。四国学院大学非常勤講師。大学で演劇を志し、卒業後はフリーの俳優として小劇場で活動。新進劇作家・演出家の作品に多数出演し、平田オリザが主宰する青年団に俳優として所属。同時にホームヘルパー2級を取得し、2010年より特別養護老人ホームの介護職員として働く。2012年、岡山に移住。介護と演劇の相性の良さを実感し、「老いと演劇」OiBokkeShiを立ち上げる。現在は、奈義町アート・デザイン・ディレクターとして地域づくりに取り組む傍ら、介護と演劇の新しいあり方を模索している。
OiBokkeShiウェブページ
未処理のままだった認知症の問題に、介護を通じて向き合う。
高校生の頃、広島で一人暮らししていた80代の祖母が認知症を患い、栃木の家で同居するようになったんです。「タンスの中に人がいる」とかいった妄想や幻覚にとらわれたり、デイサービスで知り合った男性に恋をして、家の近くを車が通る度にその男性が迎えに来たと思って外に飛び出したりし始めて、とてもびっくりして。その時の驚きや違和感が、「あの体験はなんだったんだろう」という形で、自分の中に未処理のまま残っていました。
高校生の頃から演劇部に所属し、大学でも演劇を学んで、卒業後も平田オリザさん主宰の劇団「青年団」に所属しましたが、演劇だけではなかなか食えない。そんな時、周りに福祉関係の仕事をしていた人が多くいたこともあり、介護という仕事を通じて、自分の中でずっとひっかかっていた認知症の問題と向き合うことができるのかもしれないと感じて、ホームヘルパー2級の資格を取得しました。その実習で初めて老人ホームに入ってみたら、なんだか面白かったんですね。演劇的な視点でホームを眺めてみたら、すごく豊かな場に見えた。まず、老人の方はみんな存在感がすごい。歩いているだけで絵になるというか、個性が滲み出ている。そしてその裏に、膨大な人生のストーリーがある。そうした物語を丁寧に汲み取っていけば、演劇になるんじゃないか。また演劇的な知恵を通して、介護について考えることができるのではと感じました。
事実、介護の現場ではベテランの介護職員ほど、うまく“演技”をしているんです。例えばアルツハイマー型の認知症には、中核症状01として記憶障害や見当識障害というものがあり、介護者からするとおかしな言動をしてしまうことがあります。ご飯を食べたのに「食べていない」と言う。しかし、それを「いや、さっき食べたじゃないですか。貴方の言っていることは間違いですよ」といちいち正すと、認知症の方は傷つきます。中核症状があっても、感情は残っていますから。なので、こちらが見えていないものでも、見えたふりをしなければいけない。おばあちゃんが箒と間違えて傘を手に持って床を掃き掃除していれば、「いつもお掃除ありがとうございます。僕がすごく使いやすい箒を持っていますから、こちらに変えてみませんか」と箒と交換してあげるとか。ほとんど即興芝居のようなものです。最初は「騙していることにならないだろうか」と罪悪感がありましたが、仕事をするうちに、「客観的な事実よりも感情に寄り添う」ことの大切さが見えてきました。
88歳のおじいさんを主役に、演劇作品を作る。
数年間、千葉県の老人ホームに務めていましたが、2011年の東日本大震災を機に妻子とともに岡山の和気町に移住し、地元の老人ホームで働き始めました。ただ一年ほどすると、やっぱり演劇をやりたくなってきて。そこで、今、自分が取り組んでいる介護と演劇を結びつけてみることはできないかと考え、〈「老いと演劇」OiBokkeShi〉を立ち上げました。老人ホームで感じた介護と演劇の相性の良さを、ワークショップを通じて実感できる場を作ろうと考えました。
ワークショップを始めた頃、参加してくださったのが88歳の岡田忠雄さんというおじいさん。彼は認知症を患っている同い年の妻を8年ほど介護していました。その岡田さんが、とてもいい演技をしてくれたんです。声もしっかり出ている。聞いてみたところ、昔から芸事が好きで、定年退職後は憧れの映画俳優を目指して数々のオーディションを受けてきたそうで、演技経験のある方だった。彼の存在に魅力を感じ、「あなたと演劇をやりたい」と伝えました。これまでに3本、僕が台本を書き、彼とともに作品を作ってきました。
2015年の第1作目の『認知症徘徊演劇「よみちにひはくれない」』では、岡田さんに「徘徊する認知症の妻を探している男性」という、自身の境遇に近い役を設定し、演じていただきました。劇場ではなく実際の商店街を舞台にして、時計屋さんや手芸屋さんなど、地域の人々にそれぞれ「自分役」で出演してもらい、地元住民の方々や介護関係者など多くの方々に観ていただきました。演劇の楽しさを通じて、地域の住民が認知症について考え、課題を共有する機会になったように思います。特に徘徊の問題については、地域のつながりがとても大事ですので、意識してもらえることはとても大きな意味があります。
2作目となる演劇『老人ハイスクール』は少子化で廃校になった学校が介護施設としてリニューアルしたという設定で、実際の廃校が舞台。岡田さんは施設に入所したけれど集団生活にうまくなじめない元ホームレスの男性を演じてもらいました。翌年の3作目『BPSD:ぼくのパパはサムライだから』で岡田さんが演じたのは、現役時代に斬られ役の大部屋俳優だった人物。1時間半、出演しっぱなしで、台詞量も多い。演劇は頭と身体を同時に使いますから、介護予防にとてもいいんです。岡田さんも、演劇を始めてからとても元気で、あまり加齢を感じません。
人は生きている限り、何らかの役割を求めている。
2016年から、所属劇団を主宰する平田オリザさんがまちづくりに参加されている岡山県奈義町で、現地でのコミュニケーション教育に関わるスタッフとして声をかけてくださったことから、同町に移住しました。現在は福祉の現場の仕事からは離れていますが、ここでも演劇のワークショップを開催し、新作公演に向けて、出演者とスタッフを募集しています。公募は初めての試みなので、実現できるのかどうか不安でもありますが、僕には認知症の人も絶対に舞台に立てるという確信があります。
人生においては、誰もが“役”を持って生きてきていますよね。クリーニング屋さんでも警察官でも営業マンでも、父や母だってひとつの“役”だと言えるかもしれない。人は生きている限り、何らかの役割を求めていると思うんです。施設でいつも無口な男性にマイクを渡すといきなり流暢な演説を始めることがあって、聞いてみると、長い間、議員をしていた経験があったり。寝たきりの老人なのに、ラジオ体操の音楽を流すと身体が動き出す人が、元は体育の先生だったり。介護者に求められているのは、生活の介助だけでなく、彼らが生き生きと暮らせるための“役”を見つけてあげることなんじゃないでしょうか。その“役”を手に入れた人々の笑顔を見ることが、地域の住民にとって将来の光になる。また演劇の世界においても、これまでにない新たな表現の地平が生まれてくる可能性を持っているという気がしています。