ささやかな闘争、自ら世界を形づくること。2023年8月半ば、私はイタリアに移住した。言語もわからない街で、身体の隅々まで日本での生活や文化、友人との会話、口癖が染み込んだ「私」のぐらぐらとした日常がはじまった。
大学の恩師は、fashionは動詞として「形づくる」という意味があり、自らを自分らしく形づくること、だと言っていた。1980年頃、私の母は20歳を過ぎて、手話という自分の言語を獲得した。当時知り合ったイタリアのろう者から「あなたがあなたであることを誇るために、生活を愛しなさい」と言われた母は自分の家をつくった。1階から3階まで吹き抜けで、どこからでも目が合い手話で話すことができ、電気の点滅で人を呼べる。手話をしながら寄りかかって話しやすいよう、引き出しの取手は突起のないものになっている。小さい頃はわからなかったが、自らの言語と身体感覚をもとに、その隅々まで手を加えられた家には、身体のすべてで自分たちを肯定していくような、そんな強さがあったんじゃないかと思う。
「私」と「異国」の間で起こるズレに対して、ペットボトルを振って生クリームをつくるようなブリコラージュ、読み替えや代用、そして、話しやすさのために引き出しの取手を変えるような、自ら世界を形づくるためのささやかで大切な闘争の断片を綴ってみたい。
2023年8月27日
自宅

イタリアに着いて5日目でつくったシチリアの伝統料理「カッサータ」。リコッタチーズと生クリームを混ぜ、ナッツやアーモンド、フルーツやジャムを入れて固めるだけの簡単スイーツ。「泡立て器」がなく、けれど、それがどこで手に入るのか、まだ食料品店すら知らない街で探すのはなかなかに難しい。調べてみると、冷やした生クリームをペットボトルに入れて振ると、固まるそうだ。この街で、手に入りやすいものでの代用でアイスをつくる。
10月7日
ローマでオリンピック

ろうやコーダ*の子どもたちが集まるイベントへ。古代ローマの文字盤を眺めオリンピックの起源となったゲームを体験する。運営しているのは公園の歴史(約2000年前の壁)を守り、継承するNPO団体。古代ローマの格好で、スマホを触る姿のちぐはぐさがかわいい。ろう者コミュニティの仲の良さや、小さな子どもたちが一緒に走り回る姿、街並みが違っても、変わらない景色もある。
*コーダ:Children of Deaf Adultsの略。耳が聞こえない・聞こえにくい親をもつ、耳が聞こえる子どものこと
10月8日
ローマの骨董市

いろいろな触覚の種類を探るために、100均を探していると、「それは市場だね」と言われた。本は3つで1ユーロ、物も3つで3ユーロ程度。誰かの家にあった匂い、傷やほこりがついた物に触れると、手に歴史が残ったような感触になる。当時のもののつくり方が、物に宿っている。でもそのどれもが、私の懐かしいそれとは違って、触れているのに遠い、とも思う。ちなみにVRゴーグルも混ざっていて、懐かしさと未来っぽさが同居するバランス感覚も面白い。
10月21日
電動スクーター

ミラノにはバスもメトロもトラムもあって、どこにでも行きやすいけど、ローマは車での移動が多く、とくに子どもが自由に移動することは難しい。そんなときに役立つのが、電動スクーター。街の至るところに置いてあって、すぐに乗ってハンドルを握るだけで、どこにでもいける。自転車道があるときは自転車道、ない場合は車道を走るが、歩道を抜けていく人もいる。ローマは一方通行の道も多く、「歩行者」なら逆進行もありだけど、「車」と見なされる場合はだめだよな、と一応避ける。新しいものが生まれたときの規約のつくり方、移動と生活の変化。規制が強化されつつあるが、多くの街の人の皮膚に、すでに移動の喜びや風の爽快感の感触が残っているんだよな、と思う。
10月28日
オランダ・アイントホーヘンの小さな世界

ダッチデザインウィークの展示を見に、Sectie-Cと呼ばれるスタジオに行く。奥の部屋で、ジオラマや極小のものたちをつくるおじいさんに出会う。壁に並んだ空想世界地図やおじいさんの頭のなかの街、電球のなかにつくられた森とツリーハウス、建築模型。木のつくり方や今つくっているもの、手を入れた部分の話を聞く。大きなスタジオの2階の奥、誰も来ないような場所でおじいさんは、もくもくと彼の世界を日々生み出している。