ある5人の女性の物語
布施英利(以下、布施):個展「How Many Nights」でお披露目となった映像作品を観ましたが、力のある作品でした。この《How Many Nights》は20世紀初頭から1970年代までの時間軸のなかで、5人の女性たちそれぞれが抱えた物語を映し出していましたけれど、本質的にこの作品が向かった先というのは、人間社会を超えたところにあるもの、この社会から一番遠くにあるものを見ようよっていう、どこか宇宙的な眼差しというものが造形されているように僕自身は感じたんです。
ミヤギフトシ(以下、ミヤギ):確かに《How Many Nights》はこれまでの作品とは違って、語り手から遠ざかっていく視点のようなものを描いてみたいと思ったので、それが結果的に宇宙を感じるような作品につながっていったのかもしれません。自分自身、宇宙的な眼差しというのはこの作品を作る過程でどこかでうっすらと感じてはいたのですが、こうして言葉にしていただくと改めて考えさせられます。
布施:《How Many Nights》を観ながら、僕は十数年前、沖縄の渡嘉敷島で夕暮れから夜になるまでずっと砂浜で過ごした時のことを思い出しました。そのとき砂浜で僕は波打ち際の無数の岩をぼんやりと眺めていたんですが、夕日が沈むにつれて、近くの岩も海もすべて見えなくなった。と同時に月と無数の星が見えてきて、そのときに僕は思ったんです。暗闇は見えない世界ではなく、一番遠くにあるもの、それは何億年という生命の進化を見せてくれるんだと。そして人はそういうものをつねに心の片隅に持って生きるべきではないかと、渡嘉敷島の砂浜で過ごした時間で強烈に感じたんです。《How Many Nights》もまた、その体験に通じるものがありました。
ミヤギ:そんな風に解釈いただけるのはうれしいです。
布施:今回5人の女性を題材にしようと思った理由とはなんですか?
ミヤギ:これまで僕は、沖縄生まれの自分が、沖縄における戦後の社会のいびつさであったり、セクシャリティの在り方みたいなものを考察する作品を発表してきました。それがたとえば沖縄という土地で、沖縄の男性とアメリカ人男性が恋に落ちることは可能か?ということをテーマにした作品《American Boyfriend》に繋がっていきました。今回の《How Many Nights》もまた、枠組みとしてはこの《American Boyfriend》ではあるんですけど、そこに新たに「どれだけ自分から離れた存在に共感を抱けるのか?」というテーマを加えることで、物語の枠が広がる予感がしたんです。
布施:その自分から離れた存在が、女性であったと。
ミヤギ:そうですね。これまでずっと男性を語り手としてきた僕にとって、女性はいつも遠い存在でした。そのわからなさにどこまで近づけるか。そこを出発点に、今回は女性たちの物語を作りたいと思いました。あと、女性が書く日記のようなささやかな語りが繋がっていって、やがて一つのテーマが浮き上がってくる流れを描けたらいいなって。そうしたときにずっと気になっていたオノト・ワタンナという女性を一つの軸として、そこから派生するいくつかの女性の物語を描きたいと思いました。
布施:オノト・ワタンナは実在する人なんですか?
ミヤギ:はい、実在する人で、日系アメリカ人作家としてアメリカで活動した女性です。「日系アメリカ人作家として」というのは、中国系の母親と英国人の父親を持つ彼女には、当時のアメリカ社会で中国系の人が受けた差別から逃れようという思惑もあったようです。彼女の書く作品は、日本を舞台に、人種や文化の違いを超えたロマンスを描いてベストセラーを生んでいました。そんなワタンナの物語をつなげて作品を作ってみたいと思ったので、《How Many Nights》ではまずワタンナが行ったことのないはずの日本を舞台にしたラブストーリーを書き始めるっていうところから始まります。
「花は野にあるように」の本当の意味
布施:《How Many Nights》で描かれた時代は、どの時代もまだ女性の社会進出が進んでいない時代を描いてるわけですよね。
ミヤギ:そうですね。と同時にその時代背景なりに自由で強い女性であろうとした人たちでもあるんですね。でも時代が移り変わっていくなかでその自由がまやかしだったことを知るという、挫折の物語でもあります。舞台はアメリカ、戦時中の東京、再びアメリカ・カリフォルニアの日系人収容所、太平洋のどこか、そして紀伊半島・熊野と巡りますが、最後の熊野では、翻訳家の女性が物語を書きながら、かつてある女性と熊野で過ごした夜のことを回想するんです。その夜は雨に濡れながら踊って、まるで自分たちが水になったようだったね、と。その回想シーンのバックで流れる音楽というのが、フランスの作曲家・モーリス・ラヴェルの『夜のガスパール』なんです。この曲はフランスの詩人アロイジウス・ベルトランの同名の散文詩をモチーフに作られていて、ラヴェルが選んだその散文詩の一つが『オンディーヌ』。『オンディーヌ』は水の精オンディーヌをモチーフにしたもので、窓をたたく雨のしずくにひそんでいたオンディーヌが姿を現し、男を誘惑しようとして、断られ、涙を流したかと思うと、突如、不敵な笑いを漏らしながら、ふたたび窓をつたうしずくとなって消えていくという、ちょっと不思議な幻想美に彩られた詩なんです。消えてしまったけれども、また戻ってくるかもしれない。そんな可能性に僕はすごく惹かれて、最後にこの物語を持ってきました。
布施:映像の中には星空や海辺、ニューヨークや熊野、東京などいろんな風景が出てきますが、その風景はあえて誤解させてしまうくらいひとつに溶け合っています。
ミヤギ:そうなんです。僕自身、たとえばニューヨークと熊野では劇的に風景は違うものだと思ってたんですけど、ああやって夜の風景を撮り重ねていくと、どんどん融合していく感覚があって、それは自分でもおもしろいなと思いました。
布施:僕は美術とともに解剖学という、さまざまな生き物の身体の研究をしてきましたが、解剖学の世界では、たとえば人間には肋骨は両側に12本ありますとか、共通性から見出した体系が解剖学でもあるわけです。その解剖学をベースとしながら僕は美術批評をするので、作品を批評するときは一見全然違う作品と作品のあいだにある共通性を見出し、それを味わうことが好きなんです。だから「私は私、あなたはあなた」という違いを見つけ、尊重するその先にダイバーシティがあるなら、その違いの中から垣間見る共通性もとても重要だということ。つまり《How Many Nights》もまた、5人の女性を題材にした時点で、そこにある種の共通性や共感するものをミヤギさん自身も見い出していたのではないですか?
ミヤギ:そうですね。多分、その土地に行って彼女たちが見たであろう親密な風景というものが常に念頭にあったので、それをひとつ撮っていくとやはり近しくなるものがあったんだろうと思います。
布施:《How Many Nights》は、それぞれまったく違う土地の映像を羅列することによって、ひとつの世界が立ち上がっていますよね。確かに、東京湾にはこんな島があるのかもしれない。観る者にそう思わせてしまうフィクションをリアルに成立させているというところにおもしろさを感じます。
ミヤギ:作品を作るなかで、自分の記憶と自分が書いたフィクションが混ざり合っていくような不思議な感覚はありました。
布施:今のお話を聞きながら、ふと、茶人・千利休の言葉「花は野にあるように」を思い出しました。これは利休が遺した有名な言葉ですが、きっと大半の人がこの言葉を「床の間に花を生けるときは、野にあるようにその花を自然に生けなさい」といった意味で捉えていると思うんです。ところが昭和の著名な作庭家、重森三玲はその逆だと。というのも利休の時代に花と言えば、山桜を指すんですね。その山桜は山の中で自生しているので、そもそも花は野にないんです。つまりこのことから利休は、花でフィクションを作れと。そしてそこには創意工夫が不可欠であると言っていると、重森は解釈しているんです。
ミヤギ:すごくおもしろい解釈ですね。
布施:まさにミヤギさんが《How Many Nights》で行なっていることも同じだなと。利休に言わせれば、結局美というものはそういう中から生まれるということです。
社会の中のマイノリティ
布施:沖縄とアメリカ、アメリカと日本の関係性、女性問題など、ミヤギさんの作品はテーマ性がしっかりあって、そしてそのテーマ性がある方向へと純化していくと、文学が生まれたりするわけですが、まさにミヤギさんが書かれていた小説『アメリカの風景』がそうですよね。その一方で、テーマ性がないところで、純粋に造形することだけに集中しているアーティストもいる。そういったなかでは最近一番気になっているのが池田学さんです。今年3月に佐賀県立美術館で個展を行なっていたので観に行ったのですが、入り口のところに自身のステイトメントがあって、そこで彼は「私の作品にはテーマもコンセプトもメッセージもありません」と、はっきり言い切っていました。要するにただ描いただけであると。そんな池田さんは東京藝術大学出身で美術的なトレーニングは積んできた方なので、正確にはアウトサイダー・アートではないかもしれませんが、でも、その個展を観ながら僕自身は何かこう、アウトサイダー・アートのど真ん中を引き継いでるなっていうふうに思ったんですね。ミヤギさんは影響を受けたアーティストはいますか?
ミヤギ:一般的なアウトサイダー・アートの定義からは離れてしまうかもしれませんが、アルヴィン・バルトロップという、70年代にニューヨークで活動した黒人でゲイの写真家の作品を思い出します。70代から80年代にかけて、マンハッタンのウェストサイドにある埠頭で撮影した写真が有名なバルトロップですが、当時荒廃していたその地区には同性愛者のクルージングスポット(発展場)もあって、そこでの人々の姿を、廃墟と化した倉庫や都市構造物とともに切り取っているんです。2000年代に入るまでは彼の作品はほとんど知られることはなかったのですが、僕はバルトロップのように、マジョリティ、中心からはずれた場所にいる人たちが表現したものに心惹かれますし、自分もセクシャルマイノリティとして、そういった表現に勇気づけられてきました。彼の作品を知ったのはニューヨークに渡ってからですが、それ以前からも風通しのいいオープンな街だというイメージを抱いていた。そう信じていたところがあり、僕自身もニューヨークに渡ったんです。2000年の頃ですね。閉鎖的な場所からオープンな場所へ行くことで、何かが変わるんじゃないかという、希望のようなものを持って。
布施:それで何か変わりましたか?
ミヤギ:変わった部分もありますが、自分が楽になることはありませんでしたね。だから自分で勉強をして作品制作を始めたんだと思います。あと、沖縄出身であることを意識し始めたのがこの頃からです。一時期、「出身はどこですか?」と聞かれたときに「沖縄です」とあえて答えてたことがあって。それはそこで何かこう相手の反応を見てるようなところがあったんです。結果、アメリカの人たちは想像以上に沖縄のことを知りませんでした。文化的にも地理的にも遠いのはわかるけれど、それでもどこかショックでした。それで沖縄はこういう場所であるということを伝えたい。それをどう伝えるのかということが、ニューヨークにいるときは、いつも大きな課題として自分の中にありました。
布施:そもそもアートというものは、社会のなかのマイノリティ。でも、だからこそ価値観の一発逆転ができるんです。場合によっては何百年何千年と、人間の寿命よりもさらに長く、荒波を乗り越えて生き延びることができる強い存在でもあるわけで、ミヤギさんの作品もまたそういう存在になっていって欲しいですね。
ピカソとアウトサイダー・アート
布施:アウトサイダー・アートの始まりは、アール・ブリュットを提唱したジャン・デュビュッフェだと言われていますが、僕自身はピカソがアンリ・ルソーを発見したことが本当の始まりだと思っています。パリで税関職員をしていたルソーは、独学で絵を描き始めますが、絵画の基礎も勉強していないルソーの絵は、遠近法もデッサンも下手くそで、従来の美術史の概念からは評価されるわけはなく、酷評され続けるんですね。でも本人はまったく気にしてなくて、自信たっぷりで。というのも小学生のときに絵のコンクールで賞を取ったから自分を天才だと思い込んでいるんです。そんなルソーの絵を古道具屋で偶然見つけて手に入れたのが、ピカソです。当時、ピカソは20代でルソーは60代。「この絵を描いたルソーは天才だ」と、ピカソは後年のルソーを盛り立てたんです。
ミヤギ:それは初めて知りました。
布施:玉石混交のアウトサイダー・アートのなかで、ピカソがアンリ・ルソーを見抜いたということがすごいですよね。それでピカソは「自分は子どものときに大人のような絵を描いた。だから大人になった今は子どものような絵を描きたいんだ」という言葉を遺しているんですが、この言葉、本質的に何を言っているかというと、まるで子どものような、アンリ・ルソーのような絵を描きたかったんだと思うんです。
ミヤギ:それは技術を持つよりも難しいことですね。
布施:そもそも人間が人間となったきっかけというのは、「ネオテニー」であるという説が生物学的には言われているんです。ネオテニーとは幼形成熟。つまり子どもの期間が長く、子どもの特徴を残したままゆっくりと成熟することを指します。それで人類はチンパンジーの幼い時に顔のプロポーションが似ているので、人類はチンパンジーのネオテニーだと言われているんです。おもしろいですよね。子どもの期間が長いということは、それだけ柔軟性に富み、好奇心に満ち、学ぶ期間が長いということ。要するにネオテニーの文脈でいうと、天才と呼ばれる人間は、子どものような大人と言えます。まさにピカソにとってルソーがまさにその一人だったんです。だからルソーのようになれない、ピカソを始めとする多くの人たちは、あらゆるテクニックの積み重ねの中で、何とかその境地に至ろうとしてるわけです。そうやって考えて行くと、優れた芸術作品というものはみんな、アウトサイダー・アートなんですよね。
ミヤギ:僕自身、ルソーのようになれません。まわりくどいかもしれないけれど、周辺からゆっくりと弧を描くように自分のなかの核心に近づけていくしかないかなと思います。
布施:才能とは、ほかの人にはできないことができることだと、一般的には思われています。つまり、才能とは人よりも過剰であると。でも養老孟司先生はこう言っているんです。「才能というものは、能力の欠如です。何かが欠けてるということが才能になる」と。アートの場合はその欠如こそ、何よりの力になると僕は思います。
◎Information
ミヤギフトシ個展 How Many Nights
自身の記憶とアイデンティティに向き合い、 “沖縄”と “セクシュアル・マイノリティ”のふたつの軸から成るプロジェクト「American Boyfriend」。個展「How Many Nights」は、2012 年から継続して取り組む本プロジェクトの新作で、20 世紀初頭から第二次世界大戦後を生きた 5人の女性たちの物語を紡ぐ約 40 分間の映像作品《How Many Nights》を中心に、それぞれの登場人物に関連する写真作品5点と、物語を象徴するオブジェのインスタレーション作品で構成されている。
〜8月30日(水)まで開催中
会場:ギャラリー小柳
東京都中央区銀座 1-7-5 小柳ビル 9F
Tel: 03-3561-1896/Fax: 03-3563-3236
開廊時間:11:00-19:00
休廊日:日・月・祝祭日
夏季休廊:8 月 11 日(金・祝) 〜16 日(水)
ギャラリー小柳ウェブページ