描くことが好きという気持ちと共に
まるで筆のような色鉛筆の使い方だった。短いストロークを優しく重ねていく。指先に力を入れず、紙にそっと色を添えていく。花びらにピンク、赤、オレンジ、黄色などの暖色を塗り重ねていく。時折、青や紫の寒色が添えられ、暖色がさらに際立っていく。彼女はきっと温厚な性格なのだろう。静かに色鉛筆を動かす東島ゆきのさんからはそんな気配がにじみ出ていた。
もしかすると、身近であるが故にご両親には稚拙な表現に見えたのかもしれない。東島さんの描く作品は写実的な表現ではない。しかし、東島さんから生まれる優しい絵に原田さんは才能を見いだした。そして、なによりも東島さんの想いに心が動いた。
「絵は好きですかと訊ねたんです。そしたら、好き!って応えてくれたんですよ。すごい笑顔で。僕はその気持ちがとても大切だと思う。無理矢理、描いてもらっても意味がない。本人が好きで描きたいというなら、ぜひ〈PICFA〉で描いて欲しいと思いました」
彼女に必要だったものは社会的評価
絵を描くことが好きだと言った東島さんだったが、原田さんには少し気がかりなことがあった。素敵な絵を生み出すのに、絵に対して自信を持っているように見えなかったのだ。もしかすると、これまでの学校生活で自己肯定感が育まれなかったのかもしれない
東島さんに自信を取り戻してもらうには、どうしたらいいのだろう。それには社会的な評価が必要ではないかと考えた。デザイン力に定評のある〈PICFA〉ではファッションブランド、コンビニエンスストア、プロ野球チームなどの企業と共にコラボレーションを行っている。東島さんの描く絵にはどんなコラボが合うだろうか。原田さんはコンビニエンスストアで販売するコーヒーの容器デザインのコンペに参加してもらおうと考えた。
世界に東島さんの花が咲く
競合は〈PICFA〉内の実力派たち。数多くのコンペ経験を持つ猛者たちと参加したが、東島さんの絵がコーヒーカップのデザインに採用されることとなった。東島さんは涙を浮かべて採用を喜んだ。「これまでに味わったことのないうれしさがわき上がったようでしたね」と原田さんは言う。この採用が彼女にとって大きな自信となったのは言うまでもない。
採用された紙コップ「Rose world」は、PICFAファンやアート愛好家らの間で話題となり、「飲んだ後も家に飾りたい」という声も聞かれたそうだ。のちに他の商品でも彼女の作品が使用されるなど、東島さんワールドがにわかに活気づいている。画用紙を飛び出して、世界に彼女の花が咲いている。
この話題になると、東島さんの笑顔がひときわ大きくなった。原田さんは東島さんの顔を見ながら「本当に明るくなったよなあ」とつられて笑う。「纏うオーラというんですかね。それが変わりましたね。世界観が明るくなったし、たくさん人と話すようになった。……絵を描く前は、あまり話したいことがなかったのかも。いま、それが彼女の周りに増えているように思いますね」。本当に東島さんはよく笑う。これが彼女の本来の姿なのだろう。
中庭が見える窓辺で、東島さんは何も見ずに画用紙に花を描いていた。どんな花が好きですかと訊ねると「ガーベラやカーネーションが好きです。色は赤色が好きです」と答えてくれた。最近は花を買いましたか?と、さらに聞くと、10秒ほど間があった。そして「……買ってません」と、上目遣いで申し訳なさそうに答えた。では、この花はどこから来たのだろう。「頭の中にある花を描きます」と東島さんは笑う。その顔を見て、こちらも笑顔になる。東島さんはまた花を描きはじめた。花がまた世界にひとつ生み出された。