(田中みゆきさんのプロフィール)
田中みゆき
TANAKA Miyuki
キュレーター/プロデューサー。「障害は世界を捉え直す視点」をテーマに、カテゴリーにとらわれないプロジェクトを通して表現の捉え方を障害当事者含む鑑賞者とともに再考する。最近の仕事に『音で観るダンスのワークインプログレス』『オーディオゲームセンター』『ルール?展』展覧会『語りの複数性』など。2022年7月から12月までACCのフェローシップを経てニューヨーク大学障害学センター客員研究員としてニューヨークに滞在後、帰国。2025大阪・関西万博 日本館基本構想クリエイター。WDO世界デザイン会議2023登壇。
第一のとびら
義足は新しい身体の可能性
人間の身体の未来を
先取りする人たち
2008年の北京パラリンピックで、南アフリカ共和国代表のオスカー・ピストリウスが、短距離種目で3つの金メダルに輝いたときのこと。両脚の膝から下が義足だった彼の走りが力強く躍動していたのを見て「これは新しい身体の可能性だ」と衝撃を受けました。
人間はこの先さらに寿命が延びて、身体の一部が人工物に取って代わる時代が来るでしょう。彼らはそれを先取りした、時代の先端をいく人たち。
その後、義足ユーザたちに会うと、パーツの素材を変えたり、写真を貼ったり、いろんなヒールの高さに合わせて足首の角度を変えられるようにしていたり、スマホのケースを変えるように、装飾や工夫をされている。
“人間らしい身体”という概念からはなれることができたら、そこにはデザインの可能性が広がっていると感じました。
第二のとびら
足は2本ないといけないの?
自然な姿と求められる姿、
社会とのコミュニケーションのずれ
日本科学未来館で『義足のファッションショー』に関わったとき、幼いころに片足を切断した女性に話を聞きました。
彼女は片足で移動できますが、外出時は義足をつけるといいます。なぜなら、義足をつけないと、親やまわりの大人が悲しむから。「脚ってなんで2本ないといけないんですか?」という彼女の言葉を聞いたときの衝撃は、今も忘れられません。
問題は彼女の身体でも義足でもなく、本人が思う自然な姿と、社会が求める姿が違っているために起こる、コミュニケーションのずれにこそあるのではないかと思いました。
第三のとびら
盲学校での体操
見えないから生まれる余白に触れる
盲学校へ見学に行くと、体育の授業で体操をしていたんです。先生が「腕を上げて」というと、上に上げる人もいれば、横に上げる人、前に上げる人もいて、みんなばらばら。
でも「腕を上げて」といわれたことに対して、すべて良しとされていた。見えていると、無意識のうちに先生や他の生徒が上げている方向に従おうとしてしまうけれども、見えていないと確かめようもないし、指示に余白があるから、自分が思う方向に上げていい。見えないことによる解釈の広がりをおもしろいと感じたできごとでした。