丸みとエッジの間に。
「ここ」という輪郭をつかみ取る瞬間
佐世保川、そこにかかるアルバカーキ橋。川向こうに佐世保公園とニミッツパーク。水と緑が眼前いっぱいに広がるビルの2階に長崎県佐世保市〈MINATOMACHI FACTORY〉(ミナトマチファクトリー)はある。気持ちまで広々するようなこの風景に臨む窓際の席が、megumiさんのいつもの場所だ。ここで静かに、ゆっくりとmegumiさんはスケッチブックにサインペンを滑らせる。
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静かな佇まいで、淡々と線画を描き進めるmegumiさん
造船所、軍艦島に外国人バー。ランタンフェスティバル、佐世保バーガー。佐世保の風景や食べものをモチーフにした作品が多い。写真は職員がセレクトし、提案する。megumiさんは見慣れているであろうそれらに、自分のタッチで新しい輪郭を付与していく。ファニーで温かい表情を持つ輪郭線だ。
「どんなモチーフもmegumiさんのフィルターを通して、おもしろい作品になるんです」
megumiさんの制作をサポートしている職員の田中聡子さんはそう教えてくれた。
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制作をそっと見守る、職員の田中聡子さん(写真右)。田中さんはmegumiさんが描くモチーフを提案したり、イラストを取り込んだテキスタイルのデザインも行っている。
この日描いていたのは、喫茶店コメダ珈琲店のデザートとドリンク。写真を見ながらmegumiさんは、ソフトクリームの載ったパイ、マグカップやそこに注がれたコーヒーの丸みとエッジの間に、「ここ」という輪郭をつかみ、線画に置き換えていく。
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写真を見ながら描いた下書きを、サインペンでゆっくりなぞる。
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線画が完成!これから着彩のためPCに取り込むところ
PCがもたらした、色違いの作品が生まれるおもしろさ
着色は、PCに線画をスキャンして取り込み、Adobe社のソフトIllustratorを使って行う。ライブペイントというこの工程にmegumiさんは熟達していて、素早く、テンポ良く色をつけていく。とても職人的だ。色鉛筆やクレパスでの着彩を試したこともあるが、今はこの方法に落ち着いた。
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Adobe社のソフトPhotoshopで線画をデータ化した後、Illustratorのライブペイント機能で色を塗っていくのがmegumiさんの手法。
色つけ作業の1枚目は、元の写真に基づいた色合いに。2枚目からは完全にオリジナルの色づかいで、例えばソフトクリームがピンクに、人物の顔は緑になったり紫になったりする。元の写真がモノクロなら、1枚目からmegumiさんオリジナルカラーになる。
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同じ色はコピー&ペーストして、手早く色が載せられていく。
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1枚目の着色がほぼ完成。この後、2枚目の色つけ工程に移る。
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2枚目以降はオリジナルの色合いに。megumiさん独自の世界がぐっと深まる。
名画を模写したシリーズもある。ムンクもフェルメールもボッティチェリも、知っているはずの構図と見たことのない自由闊達なカラーリングに脳が一瞬戸惑い、その後でジワリと「素敵だなあ」、「おもしろいなあ」という思いが湧き上がる。思考の枠が少し、広がる。そんな風に色違いの作品を合わせて4点ほど仕上げるのがmegumiさんの定番だ。4枚並べると、現実世界からmegumiさんの内側に広がる世界へと色味がどんどんスライドしていき、不思議な移動感覚をもたらす。
思いがけず開けた、職業イラストレーターへの道
ミナトマチファクトリーは布に直接印刷できるガーメントプリンターを備えていて、megumiさんの作品も完成するとその場でどんどん布に印刷され、近くにある同系列の〈佐世保布小物製作所〉で裁断、縫製されてポーチやハンカチなどの布製品に生まれ変わっていく。イラストの一部を職員が総柄にデザインしたテキスタイルもバッグやポーチになる。
そうした商品パッケージの台紙をカッターで切り抜いたり、組み立てたりといった軽作業もmegumiさんは得意で、時々行う。
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megumiさんのイラストから一部を抜き出し、職員の田中さんが総柄にデザイン。それを印刷した布地はポーチやバッグに仕立てられる。このデザインのモチーフは九十九島(くじゅうくしま)。
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イラストの一部をデザインしたテキスタイルから作った、バッグとポーチ。
ミナトマチファクトリーに通い始める以前、megumiさんはいくつかの事業所に通ったが、長く続いたのはここが初めてだった。通い始めて9年ほどが経つ。当初、megumiさんは就労の役に立つ技術を身に付けたいと思い、エクセルやワードを学ぶつもりだった。
ところが「試しに描いてみたら」と職員に勧められて描いたイラストが評判を呼んだ。コメダ珈琲店の公募に応募すると、見事採用。豆菓子のパッケージになり、またフランチャイズ店が店舗に飾るために購入できる100枚限定のシリアルナンバー付きポスターは完売。今や〈ミナトマチファクトリー〉を代表する職業イラストレーターなのだ。megumiさんが依頼主の似顔絵を描き、〈ミナトマチファクトリー〉でデザインして仕上げる名刺も人気がある。
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megumiさんのイラストが採用されたコメダ珈琲店の豆菓子のパッケージ。2020年の1年間、季節ごとに4つのパッケージになり全国の店舗でコーヒーに添えられた。
現在、megumiさんがミナトマチファクトリーに通うのは週二日。そのほかの日は、描いた絵を自宅でPCに取り込み、在宅勤務の形で着色作業をしている。
megumiさんは、コメダ珈琲店のパッケージやポスターに採用されたことをうれしくは思うが、実際に店舗に足を運んだことはまだないのだと言葉少なに教えてくれた。やっぱり、職人さんみたいだ。
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《コメダ珈琲》/スケッチブック、サインペン、デジタル着色/287×202mm/2019年
作品の中にゴッホの自画像を模写したものがあった。ゴッホの自画像といえば、原画は付随する画家のストーリーが刷り込まれているせいか、陰鬱な印象が強い。でもmegumiさんが模写したゴッホはずいぶん明るい顔色をしている。それに、
「このゴッホ、袖なしなんですよね」
職員の坂井佳代さんがこっそり教えてくれた。原画ではジャケットを着ているけれど、megumiさんのゴッホは肩から先がむき出しだ。ノースリーブ姿で少しだけ陽気に見えるゴッホ。またしても、こちらの狭い考えの枠が広がり、心楽しい気持ちがした。
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職員の田中さん(写真右)は、megumiさんの影響を受けて、自分もイラストを描くように。いくつかの作品が〈ミナトマチファクトリー〉のプロダクトに採用されている。