インクルーシブな遊び場をつくる
DIVERSITY IN THE ARTS TODAY(以下、DA)
まず、〈シェルターインクルーシブプレイス コパル (copal)〉(以下、copal)について教えてください。
大西麻貴(以下、大西)
山形市の子育て環境整備の一環として新設された児童遊戯施設です。性別や年齢、国籍、言語、障害の有無、家庭環境の違いにかかわらず、多様な背景や特性をもつ、すべての子どもたちのためのインクルーシブな遊び場として今年4月に開館しました。
子どもたちが幼少期から「遊び」を通して、さまざまな背景をもつ人や幅広い世代と出会うことで、一人ひとりの多様なあり方を大切にできる共生社会の実現を目指す場でもあります。
今回はPFI事業ということで、建築の設計をはじめ、私たちo+hを含む10社が共同出資した特別目的会社(株)夢の公園(代表企業:株式会社シェルター)の一員として、設計から15年間の運営を担うかたちで関わっています。
DA
施設の特徴である「インクルーシブ」というコンセプトは、どのような経緯で生まれたのでしょうか?
大西
私たちが関わる前から「インクルーシブな遊び場」という方針が掲げられていました。そのきっかけとなったのは、近隣で福祉事業所を経営する女性の声でした。
日々重度障害のある子どもたちと触れ合うなかで、「公園に行ったことがない」「行っても遊べる遊具がない」という公園に対する寂しい想いを耳にしていた彼女は、山形市さんへ市民の声として要望を届け、それが方針へと反映されました。当時は予想だにしていなかったそうですが、要望を提出した彼女も、運営の中心メンバーです!
DA
「公園」って、誰もが自由に使えるイメージがありますが、足を運びにくいと感じる方も少なくないんですね。
大西
そうですね。改めて、公園に目を向けると、段差も多く、すべり台は上まで階段を登らないと遊ぶことができない。また、障害のあるお子さんがゆっくり登る様子を待ってあげられず、つい「早くして!」と言ってしまう雰囲気もあります。それに日本では、車椅子や寝たきりの子どもたちが遊べるブランコもまだ身近ではないですよね。
誰もが自由に利用できることを目指す公園も、物理的なバリアや人間関係など、さまざまな要因が重なって、実はすべての子どもたちにひらかれていない、そんな現状に気づくことができました。
遊びは「自ら発見していくもの」
DA
〈copal〉では、どのようなかたちで「すべての子どもたちにひらかれた場」を試みられたのでしょうか?
大西
まず、建築の存在感ですね。建築の佇まいから、「ウェルカムであること」が伝わってくる外観にしたいと考えました。すべてをどーんと受け止めてくれるような豊満なイメージです。
ただ一見すると、不思議なかたちだなぁと思われるかもしれません。だけど実は、背後にある美しい蔵王連峰の山並みに呼応していて、まわりの風景に溶け込むような建築を目指しました。
DA
体育館、大型遊戯場、そして外の広場と、どこにいても誰かの気配や活動が感じられるような空間が心地いいですね。
大西
今回は、「インクルーシブ」「遊び」という言葉から、建築を見つめ直していきました。それが象徴的なかたちで現れているのが、空間全体をつなぐゆるやかなスロープです。
一般的にスロープは段差を解消するために設置されるものとされています。ですが、少し視点を変えてみると、つい駆け下りていきたくなるような、そんな坂道や大きな滑り台にも見えてくる。そう考えると、特定の方のバリアを解消するためだけのものではなく、空間をやわらかくしたり、人をわくわく楽しい気持ちにさせたりするような存在にもなりうる。
特定の人だけの安全安心を追求すると、窮屈な空間になってしまう。そこをもうひとつの機能を付加させることで、ひらいていくような感覚です。
大西
子どもの頃、階段の段差で、「チ、ョ、コ、レ、イ、ト」「パ、イ、ナ、ッ、プ、ル」と遊んだ記憶はありませんか? 遊具がなくても、子どもたちって自由に遊びを生み出していく。遊びって、「誰かに与えられるもの」ではなく、「自ら発見していくもの」なんですよね。
そう考えると、ちょっとした段差や坂、湾曲した壁、その一つひとつが人間の身体を触発し、遊びを生み出すきっかけとなる可能性がある。そんな状況を想像して、まるで野山で自由に遊びを発見するように、試してみたい、探検したいという気持ちが自然と生まれるような空間を目指しました。部屋の開口部を囲った異なる質感のタイルも、壁を伝って歩くことを想像することで生まれたアイデアでした。
DA
なるほど。バリアを解消するだけでなく、新しい遊びや学びのきっかけとして捉えることで、それを必要とする他者の存在にも気づくことができる。室内では、床の色や質感が変わっている部分もありましたね。
大西
階段やスロープの踊り場には、誘導ブロックの設置が義務づけられているんです。でも、ここでも「法律で決められているから」という理由だけではない、自然なあり方が模索できないかと考えました。
そこで、この法律が生まれた起源を調べてみたんです。すると、「明度差をつけること」「足で違いを感じ取れること」が重要だとわかって。そこから、運営者のみなさんとの対話を重ね、誘導ブロックが必要な方が求める機能を果たしながらも、足触りの違いから遊びが生まれるような余白をつくることができました。
個性的で愛嬌のある建築の必要性
DA
たしかに、安全性の面から、建築をつくる上では、たくさんの法律が定められています。安全性を担保しつつ、その意味をどう読みほぐすかが大事なんですね。
大西
そもそも建築って、壁、床、天井、サッシなど、慣習的なもので構成されているんですね。だけど、「インクルーシブであること」を深く考えてみることで、その一つひとつを疑っていけることがすごく面白い。
「ぶつかっても大丈夫な壁」「転がっても気持ちいい床」を突き詰めて考えると、見たこともない、ふわふわな建築が生まれてくるかもしれない(笑)。あるいは、すべての人たちの想像力が刺激される、居心地がいい空間はどんな場所だろう、という新たな問いが生まれてくる。
「インクルーシブであること」を考えることで、機能性や必然性を求める傾向が強い建築の慣習的な部分を更新していける可能性があるんじゃないかなと思うんですよね。
DA
〈copal〉って、愛嬌のあるかたちで、周囲を走る車からも「あれはなんだろう?」と思ってもらえそうな、新しい街の一員が誕生したような印象がありますよね。
大西
機能や効率の追求から四角いかたちの建築が増えていくなか、私たちは個性的で愛嬌のある、寛容な建築の必要性を改めて感じています。互いの違いを認め、また違いを大切にするというインクルーシブな考え方は、「個」から出発した小さな共感の輪が重なり合い、全体を包摂していくような社会を目指し広がりつつあります。そのような社会では、均質的で効率的、洗練された美しさという価値基準だけではない、建築のあり方が求められるのではないでしょうか。
現在の建築は、サッシひとつとっても、気密性、耐久性など、建材単体で完成度を高めていく傾向がある。でも、場のつくり方、チームのつくり方など別のことで補うこともできるかもしれない。不完全なものを集めて、補い合う方が健全だし、可能性が広がるんじゃないかなと思うんですよね。