『湖底の空』
[STORY]
日本人の父と韓国人の母に生まれた一卵性双生児の姉弟、空と海。大きな湖があり、民俗芸能が盛んな韓国・安東で生まれ育った。現在、中国・上海に暮らすイラストレーターの空は、出版社に勤める日本人の男性、望月と出会う。異郷の地で暮らす二人は、似たような境遇から親密な関係を築きつつあった。そんな空のもとに双子の弟、海が訪ねてくる。インターセックスだった海は性別適合手術を受けて女性となり、名前を海と変えていた。海は空と望月の恋愛を後押ししようとするが、空は何かに追い詰められ、精神的に不安定になっていき……。
公式サイト:https://www.sora-movie.com/
日本・韓国・中国合作/2019年/111分
© Marehito Production
*2022年7月15日より、U-NEXT、Amazonプライム他で配信
日中韓、男性と女性、死者と生者……、合わせ鏡のように共鳴しながら、さまざまな関係性でつながり、引き継がれていく
ヴィヴィアン佐藤(以下ヴィヴィアン)
とてもいい映画でしたね。私、この監督、佐藤智也さんの映画はすべて見ているのですが、今回のものは集大成的で素晴らしかったです。
DIVERSITY IN THE ARTS TODAY(以下DA)
日韓中の合同制作ですが、監督は日本人。
ヴィヴィアン
はい。映画の舞台は中国・上海で、主人公が生まれ育った湖の村は韓国です。きれいなところでした。
登場人物たちの出自もいろいろで、主人公のファミリーはお父さんが日本人、お母さんが韓国人、こどもたちがミックス。おとなになってから出会う望月くんという編集者も日本と中国のミックス。役者さん自体もそうなのです。
自分の国であり故郷がどこであるか。帰る家、故郷を喪失するというエスノシティ(民族性)に関しても触れています。クレオール的にまざりあっていくということでもあるかもしれません。
DA
映画の中ではいろいろな言語が飛び交っていて、それが心地よいおもしろさでした。登場人物たちにいろいろな背景があって最初はわかりづらいのですが。
ヴィヴィアン
この映画の肝になっているのが、一卵性双生児の姉妹であるということ。姉妹であって、姉弟でもある。弟さんが性同一性障害とはいっているけれども、正確にはふたつの性別のあるかたなんですよね。
ここから先はネタばれなのですが、彼は20年間女性として寝たきりになっていました。それを見て、この映画は「女性の物語だ」と私は思ったのです。
母親は、植物状態で生きる子どもとどう向き合うか。さらには母と姉との間に確執もある。そんな姉は、弟というか妹がそういう状態なのに自分だけが生き残っていいのかという思いを抱きながら生きている。
最近、とくに震災のあと「サバイバーズ・ギルト」といって、生き残ったことの罪の意識についていわれることが多くなりましたが、彼女にもそういう意識があるのでしょう。妹は亡くなってはいないけれど、寝たきりになるきっかけとなった事故に対して申し訳なく思い、生きることにネガティブになっています。そんな空さんは、仕事に前向きになれなかったり、恋愛もうまくできない。
DA
自分の恋がうまくいかなくなるよう、わざと振る舞っていましたね。
ヴィヴィアン
しばしば弟で妹の海の幻影であったり、幽霊のような存在だったりがたち現れてくる。ときには自分自身が分裂して、空ではなく海として振る舞ってしまう。罪の意識から出てくるのでしょうね。海もこの世に同じように存在しているということを自分自身に認めさせるかのように。
DA
空は自分の女性性すら呪っていました。
ヴィヴィアン
そうなんですよね。この映画のフライヤーも象徴しているのですが、これは「オフィーリア」なのですよ。「オフィーリア・コンプレックス」というのは、フランスの哲学者ガストン・バシュラールなどがいっていることなのですが、たとえば川や湖、沼などの水辺と女性は、狂気とエロチシズム、死と結びつきやすい。古今東西、いろいろなところの文学や美術、映画などでその主題が繰り返されています。『ツイン・ピークス』もそうですね。19世紀イギリスの画家、ジョン・エヴァレット・ミレーの絵画「オフィーリア」がベースとなっています。
DA
この映画でも始まりからして水を感じるものでした。
ヴィヴィアン
故郷の湖の空撮は、まさに空と水。それが共鳴して、合わせ鏡のようになっている。それも非常に示唆的でしたね。
脱線しますけど、新宿二丁目ってゲイタウンといわれているけれど、レズビアンのお店もいくつかあります。新宿二丁目の内藤家の菩提寺の大宗寺あたりには水源がありました。今は暗渠になっているかつての川は二丁目の中を蛇行していて、今も非常にしめっぽい。蔦がからんでいたり苔むしたりしています。その通りにはレズビアンのお店がたくさんあって、通称「百合の小道」と呼ばれています。そして暗渠は靖国通りを渡って、かつて番衆町とよばれていた新宿五丁目のあたりを北上していきます。
二丁目ツアーをするとき、私はいつもそこを紹介するのですが、水辺と女性、エロティシズムというのは互いに引き寄せられる要素であることを、オフィーリア・コンプレックスをもちいて説明できるのです。
DA
なるほど。女性性や水辺、空と湖、何度も登場する仮面など、象徴的なものがたくさん登場する映画でしたね。この映画の監督は、これまでどういうものを撮ってきたのですか?
ヴィヴィアン
この前の作品は、ホラーでした。ホラーであって、ゾンビの映画。ようするに亡くなってはいないのだけれど、幽霊としてそこに存在しているということ。
幽霊譚といえば、柳田国男の『遠野物語』99話があります。妻を津波で亡くしてしまった男が、夜中に子どもたちと浜辺を歩いていると、妻の幽霊と出会います。よく見ると、妻は見知らぬ男と一緒にいる。その男も津波で亡くなっているのですが、男は妻が結婚する前、好き合っていて、本当は結ばれたかった相手だったということを知っている。幽霊がいるかいないかは別として、生前に許しあえなかったり、告白できなかったり、あるいは人知を超えた整合性がつかないようなことが起きた場合、幽霊のかたちを借りて、つじつまを合わせるような機能が人間にはあるのではないかということを考えさせられる話です。
DA
残された人は、そうやって折り合いをつけて生きていこうとする。
ヴィヴィアン
今も、東北地方沿岸に幽霊がでるという話があって、仙台の東北学院大学の学生で、この10年間、仙台新港の近くで幽霊を乗せたというタクシーについてまとめた論文をだしている方がいます。
そうして見てみると、その人が生きていようと、死んでいようと、人間関係は変わらずに引き継がれていく。亡くなったとしても、家族や大切な人たちの関係は続いているのでしょうね。
『湖底の空』の場合、亡くなってはいないけれども、幽霊のような存在となって影響をおよぼすというか、共存しているというか。ともに生活しているということでしょうね。
DA
姉の空は自分を責めながらも、最後には自分自身を許していました。
ヴィヴィアン
この映画では、男性は強い意思で生きようとするキャラクターとして描かれている。家族を顧みずカメラマンになりたいと思う父親をはじめ、弟であり妹の海くん、そして編集者の望月など、男性のほうがわりと生きることに前向き。
編集者の望月も非常にまじめでぶきっちょな男として描かれていましたが、この役をやった阿部力さん、彼も話してみると、非常に誠実でまじめさが伝わるかたでした。ものすごくイケメンですし(笑)。インタビューでは、自分自身の実体験を参考にして演じたとおっしゃっています。望月という影のある男は、彼にしかできない役どころでした。
DA
阿部さんは中国黒竜江省出身で、台湾、日本、中国、3つのルーツをもっているそうですね。
ヴィヴィアン
アマルガム的に素材が混合していますね。日中韓、そして台湾って、国単位で考えるとぎすぎすとしているけれども、いろいろな背景をもった人たちが、自分の意識で語るということが求められていると思います。
いろいろな民族、背景をもった人たちが一緒になって、個人として、家族としての幸せや価値観を見つめ、考えることができるこの映画のような作品が、今とても重要だと思いますね。
*2021年6月に取材しました。