体で描くスタイルの発案
鈴木正人さんの手足には、意思に関わらず動く不随意運動が起こる。そのため基本的には手足を車椅子に固定している。自らの意思で動かせるのは首から上。言語障害により話すことが難しい。人の話を聞くことに支障はない。ヘッドバンドを着けて、そこに取り付けた指示棒でオリジナルの文字盤を指すことで言葉を伝える。
この装置は通称「アンコウ」。中学で出会った恩師がこれを発案し、授けてくれた。
アンコウが指す文字盤は、その時々で使いやすいようアップデートを繰り返している。五十音のほか「僕」「yes」「no」「いつ」「間違えた」「教えて」「トイレ」「どう思う?」といったよく使う単語が並び、いつでも取り出せるよう車椅子のサイドにセットされている。
絵は学生時代より、口に筆を咥えて描いていた。高校卒業後、鈴木さんは〈希望の園〉を利用し始め、そこで新たな制作スタイルを獲得していった。
最初は、電動車椅子のタイヤに絵の具をつけてキャンバスの上を走り回って描くスタイル。
その次に、全身に絵の具を塗り、キャンバスの上で不随意運動のままに体で描くダイナミックなスタイル。
現在は、絵の具の入ったペットボトルを使って描いている。
キャンバスの上に並べて吊り下げられたペットボトルは、ヒモで鈴木さんの手首につながっている。不随意運動によってヒモが引かれるとペットボトルが振られ、穴の空いたフタから絵の具が降り注ぐ具合だ。すべて、鈴木さん自身が考案し、スタッフとディスカッションの上、実現させた手法だ。
取材の日、ペットボトルを使った作品制作のデモンストレーションをしていただいた。鈴木さんは「薄い色から」とセットする色をアンコウでスタッフに伝える。手の動きによって不意にヒモが次々に引かれ、バシャバシャと絵の具の雨が降る。
水分の多い絵の具の瑞々しい色同士がぶつかり、混じり、流れて広がる。途中でペットボトルがキャンバス上に落ちるハプニングもあり、その様子も含めすべてのプロセスがキャンバスに記録されていく。
制作を終えた鈴木さんに、どんな気持ちかを聞くと、しばらくの沈黙の後、文字盤を一文字ずつ指し、答えてくれた。
「か」「つ」「て」「に」、「う」「ご」「く」「か」「ら」。
「あぁ。体が動くから、ということですか」と確認すると、鈴木さんは「うん」と頷いた。
「か」「ん」「が」「え」「て」「な」「い」。
「勝手に体が動くから、考えていない」。
続けて、出来上がった絵を見たときはどんなふうに感じたかを質問する。鈴木さんが指した文字は「そうなんだ」。
作品制作をサポートしたスタッフの三上雅史さんは「おそらく、どういうものが出来上がるかは本人も想像していなくて、起こった現象を眺めて『こんな感じなんや』と知るのでしょうね」と言葉を添えた。
〈希望の園〉施設長の村林真哉さんからはジョン・ケージやエリック・サティの名前が出た。絵画から楽譜を起こすように、偶発的な体の動きがキャンバスと絵の具というツールを獲得し、作品が形作られていく。
「できる」を押し広げる
絵画制作と並んで行っている音楽活動では、シーケンサーを用いて、アンコウでボタンを操作してアンビエントな曲を作る。ステージで演奏するときには、自身の絵画作品をプロジェクターで映し、空間を鈴木さんの作品世界で満たす。
鈴木さんが音楽活動を始めたのは2003年頃。最初は園の他のメンバーと村林さんや他のスタッフとバンドを結成し、ドラムマシーンを担当した。バンドの演奏中、ここは「決めのフレーズ」というタイミングが来る。でも、遅れたり、早く鳴らしたり、違う音を鳴らしてしまうこともある。
「ここ、と言われてもできないときもある。すごく葛藤する。そこからどうするか。できない、できない、できない、でもこれはできる。じゃあそれを生かして次の展開をやろうと発想していく。根本的にアーティストなんですよね」村林さんはそう話す。
そして生まれたのが鈴木さんのソロユニット「ふくろ」。これは「袋」のことで、由来は「本気になれば地球丸ごと包んでしまえる」という気概を表しているのだとか。
曲について聞くと「きよくはぼくのこども」と教えてくれた。曲は我が子。鈴木さんに代わり、新しい人にどんどんその世界を届けにいく。
鈴木さんは新しい場所へ行くときは家族やヘルパー、園のスタッフの付き添いを必要とする。そこから行く先々の店や銀行で店員や行員と関係を築き、やがては単独で出かける。自らの意思を文字盤で伝え、店員と協力して必要な用事を成し遂げるようになる。
たとえばミスタードーナツでは、二人の店員と懇意にしていた。その二人は、文字盤で鈴木さんの注文を聞き、鈴木さんのバッグから財布を取り出して会計を行い、さらには食事やトイレの介助を行なってくれるようになった。
ある日、ミスタードーナツは閉店してしまったが、仲良しだった二人の店員の行き先を知る機会があった。二人とも、鈴木さんと接したことをきっかけに福祉業界に転職していた。
他人の人生を、社会を変える活動家。地域の公園の新設にあたっての市民会に参加したり、役所の建て替えにあたり市からバリアフリー化の意見を求められたこともある。鈴木さんは、この体に生まれた自分の役目を考え続けている。恋愛に競艇、自分の好きなことも怠らない。
「こういう体で、支援をしてもらう必要がある。差別はされたくない。可哀想とも思われたくない。そのまま、俺のままで、社会の中で成立させたい。それをずっとやっているんですよね」村林さんは言う。
人々に、自らの存在と体の特性を紹介する。今ある自分をフルに生き、アートと社会活動の両方から波紋を作り出す。鈴木さんの生き様は社会彫刻そのものだ。今日も鈴木さんは自身と仲間が生きる幅をグッと押し広げ続けている。
鈴木さんがスタッフの手を借りて書き続けている自分史ブログにはこうある。
「こんな僕の人生、笑ってもらえますか?」
○Information
〈希望の園〉
三重県松阪市小阿坂町2253-2
電話:0598-67-0486
ウェブサイト:http://www.kibounosono.info/