鎧や武器を捨てた状態で
公演前、大前さんに挨拶をすると「今からインタビューします?」と提案された。リハーサルはいいのかと訊ねると、「今日はいいんです」と、目の前の椅子に座るように促された。開場まで1時間を切っている。「なんでも聞いてください」。
大前さんは取材当時42歳。足を失ったのは24歳の時だ。暴走した車にひかれて切断をしたそうだ。24年間、ずっと「あったもの」がなくなるとはどのような感じなのだろう。
「足を失ってすぐにダンスを再開したけれど、あった時のことを体が覚えているのでよく転ぶ。イライラもするし葛藤もありました」。その頃は、右足と同じような長さになる義足を付けて踊っていたという。当然、大きな負荷が体中にかかった。
「疲れるので日常生活でも座ることが増え、ダンスも座って踊ることが増えた。それが大きな変化ですね」
「障害があるのに」すごいね
足の切断により、垂直方向や激しい横への動きが制限されたが、義足を外してありのままの体で表現するようになった。座る、立ち上がる、足を抱え込む、回転する、這う、目線を動かす。表現の幅はむしろ増えた。
時折、大前さんは「障害があるのにすごいね」、「だんだん近づいてきたね」と言われることがあるそうだ。悪意はない。本当にそう思ったのだろう。少し寂しそうな表情で大前さんは言う。
「まるで、私たち人類に近づいてきましたねという感じ。……俺はアウストラロピテクスかよって」。哀しそうな顔から一変し、破顔する。笑い話にできるのは、障害のある、ないというレベルで身体性と向き合っていないからだろう。大前さんは「ふつう」や「ふつうの体」と言う言葉を聞いてどう思うのかを尋ねた。
「多様なものが普通なんだと思います。良い悪いの世界ではない。“まんま ”という世界がある。アートの世界は本来そう。そのまんま表現している。あるのは好みであって、上下ではない」
大前さんと話をしている時、そこに障害はない。ダンスをする際にも障害はない。
「障害というのは難しい状況が出てきたときだけ」と大前さんは言う。そして、その状況は誰にでも日常的にあると考える。「移動のたために杖、車いす、自転車、車、電車といったものがあります。もし、それがなくて困るのであれば、それはその人にとっての障害。もし、不具合を感じなければ、それは障害じゃない」
一人ひとり、それで完璧
今の自身の表現について話が及ぶと、「自信を手に入れつつあります」と言う。「だけど、そういうのはもういいかなと思っている。これまでは元の自分と同じに見せるために鎧や武器を身につけていた気がする。そうじゃない部分で僕は人を見たい。一人ひとり、それで完璧なんですよね。つまり、ありのままの自分を見てもらいたい」と大前さんは自分を指さす。
「42歳で顔に染みの出てきた僕。嫌いだと思っていた自分。能力が低いと思っていた私。それでいい。ウォーミングアップはいらないと言ったのはそういうことです。今の大前光市を見てくださいということ」と言って笑った。
大前さんを呼ぶ声が聞こえた。そろそろ舞台の本番が始まる。「じゃ」と、大前さんは立ち上がる。表情から緊張は微塵も感じない。ありのままの体を見せることを日常にしている表現者の矜持を、その逞しい後ろ姿に感じた。
〈協力:NPO 法人 LAND FES〉