凄まじい細密を平熱で描き続ける
モザイク画のような早川拓馬さんの作品。近づいてよく見ると、画面を構成しているのは細やかに描かれた電車だ。色とりどりの電車がキャンバスを埋め尽くし、電車によって人物が描かれている。電車の隙間を埋めるように、小さな人物も並んでいる。電車と人物はすべて実在するもの。
例えば、近鉄50000形「しまかぜ」、小田急50000形「ロマンスカー」。例えば、アイドルグループ「乃木坂46」のメンバー、早川さんの友人、そして早川さん自身。電車もアイドルも雑誌を見ながら正確に描く。人物には名前が書き添えられている。
あまりに細密に描き込まれているので、その熱量の凄みに圧倒される。一方で、よく見るとデジタル画のように正確に、冷静な目線で淡々と描かれていることもわかる。一枚を描き切るのに一年ほどかかるという。驚異的な継続の力が宿っている。
早川さんは1989年東京都生まれ。1歳から3歳までを小田急線沿線で過ごす。ここでの生活が電車を愛する原体験になっているのかもしれない。その後、三重に引っ越し、小学校で出会った教師の勧めで絵画アトリエ〈HUMAN ELEMENTS〉に通うようになる。〈希望の園〉施設長の村林真哉さんが主宰するアトリエだ。
ここで早川さんは絵画に本格的に取り組むようになる。大人なってから現在に至るまでは、平日〈希望の園〉に通い、土曜日には同じ場所の〈HUMAN ELEMENTS〉で描くことを続けている。
その日、早川さんは「しまかぜ」が描かれたTシャツ姿で〈希望の園〉に現れた。ソックスは黄色い新幹線の「ドクターイエロー」モデル。バッグの色はいちばん好きなセルリアンブルー。あいさつをして、好きな電車について尋ねると「急行」と教えてくれた。さらに路線を訊くと「近鉄」の答え。「しまかぜ」は近鉄の観光特急だ。
アトリエに移動し、作品を前に、描かれている電車について尋ねると早川さんは「50000形」、「ロマンスカー」と教えてくれる。
「火の鳥はありますか?」
「これ(が火の鳥です)」
「新幹線は?」
「ない」
人物は誰なのか尋ねると、作品のモデルであるアイドルの写真が載った雑誌を見せてくれた。
「人物がみんな手をつないでいるのは、アイドルの握手会のイメージみたいです」と村林さんが教えてくれた。確かに絵の中の早川さんも友人の大田さんも、アイドルとしっかり手をつないでいる。
日本中の電車をすべて制覇する日を夢見て
小学校時代、家族でスキー旅行に行ったときの思い出を描いた早川さんの作品を見て村林さんは驚いた。丸が二つ、それを囲む四角がひとつ、そしてレール。
「これは何ですか?」と村林さんが聞くと、スキー場のリフトを真上から見た視点だという。二つの丸は早川さん自身と母親だった。自分を含む光景を俯瞰で描いていたのだ。今も必ず作品には自分が描かれる。
好きな電車の絵はもともと描いていたし、人物の絵も描いていた。それがいつしか電車と人物が融合し、現在の独自のスタイルができあがる。
早川さんについて村林さんは「日本中の電車に乗りたくて、見たことのない色を見たくて、そして食べたことのないものを食べたい人」だと話す。絵具を混ぜて新しい色ができると「見たことないね」とよろこぶ早川さん。
「丸の内線が好きなので、いつか描いてくださいませんか?」とお願いしたら、こちらを一瞥した早川さんは「丸の内線?」としっかり確認した後、盛大な拍手を贈ってくださった。丸の内線とそれを好きな自分を力強く肯定されたようでうれしかった。
まだ見ぬ電車も、雑誌の中のアイドルとの握手も、ごく当然のものとして早川さんのキャンバスには描かれる。日常の延長線上にあるもののように。静かな、けれど凄まじい熱量で、早川さんはすべての憧れを叶えていく。いつか丸の内線が描かれたら、そのときは精一杯の拍手を返したい。