大好きな先輩の背中を追いかけて
「レッサーパンダと遊ぶプーチン大統領」、
「シャンソン歌手にコロナワクチンを打ってもらう田村厚生労働大臣」、
「ギターを弾く山本太郎」、
そして「コロナ収束を祝いパーティをするサックス奏者とダンサー」。
これらはすべて、三重県の〈希望の園〉で創作を行う前野一慶さんの作品タイトルだ。時事ネタを報じるTVの世界に、大好きなジャズや動物が入り込む。異なる世界による摩擦が、くらくらするシュールさとドリーミーさを生み出す。
前野さんは弱冠19歳。13歳の時から、同園の村林真哉施設長が土曜日に開くアトリエ〈HUMAN ELEMENTS〉に通い、絵画制作を続けてきた。
当初は油性ペンで画用紙に描いていた前野さんはやがて、〈希望の園〉で“画伯”と呼ばれる川上建次さんに憧れを抱くようになる。川上さんは園で油絵を始め、今では国内外を問わず作品が展示され、受賞歴も多数。大笑いしながら楽しそうに描く大先輩だ。
「僕も川上さんのように大きなキャンバスで油絵をやりたい」
前野さんの声に園のスタッフや家族が応じ、もう少し大人になったら始めよう、と話が決まった。
2019年に前野さんは “川上チルドレン”としてついに油彩デビューを果たす。
第一作目のモチーフが生まれたのは、東京のワタリウム美術館で見た「ジョン・ルーリー展」がきっかけだった。前野さんは、いちばん気に入った作品のポストカードをミュージアムショップで買い求めるも、その作品は商品化されていなかった。
「それなら自分で描こう」と生まれたのが初の油絵作品「おサルと僕の絵」。そこからは2〜3か月に一枚というペースで作品をリリースしつづけている。
描くとき、前野さんはモチーフの輪郭を取り、その中で絵筆を上から下、下から上へとすっ、すっ、と動かす。抑えた渋めのトーンのなかに配されたポップな色合いが、はっとする光を放つ。人物の顔は上下や左右で二色以上に塗り分けられ、異なる印象を同時に投げかける。
作品が東京をはじめとするギャラリーで展示されると、たちまち売れていく人気ぶりだ。
Play it loud, レコードへの溢れる愛が作品を生む力になる
前野さんはまた〈希望の園〉の音楽好きが集まる「レコード同好会」のコアメンバーでもある。同好会は、村林施設長、施設が利用している建物の大家さんで非常勤職員の野田鑛蔵さんら全部で8人ほどが所属。みんなで連れだって車で一時間ほどの距離にある四日市市までレコードを買いに行くこともある。
アトリエにはレコードプレーヤーがあり、野田さんがいつもみんなの好きなレコードを順にかけてくれる。前野さんや他のメンバーは、地元の中古レコードを取り扱うお店からレコードクリーニングの仕事を請け負ってもいて、ここからも深いレコード愛が伝わってくる。
そんな前野さんのレコードコレクションはジャズが中心。一番好きな盤は西ドイツの60年代ジャズのコンピレーションだと教えてくれた。
「明日やったら家からレコードを持ってきて、かけてあげますよ」ということで翌日、厳選した7枚を持参してくれた。
アトリエで前野さんはするすると絵筆を動かし、ときにレコードの音楽に合わせて踊る。前野さんは言う。
「小さい音量じゃだめ」
「音楽があるからこれが描ける」
「音楽があったら何もいらないんよ」
作品が、生活が、愛する音楽と分かちがたく結びついているのだ。
アトリエでおしゃべりが始まると、すっと輪の中に加わる。取材チームが撮影をするときは、自ら手伝ってくれた。前野さんは人が好きなのだろう。描き、話し、笑い、聞き、踊り、また描く。この緩やかで豊潤な循環が、作品に結実していく。
将来の夢を尋ねると前野さんは「ドイツで展覧会を開くこと」と教えてくれた。叶った暁にはきっとまた独自の視点で世界を写し取り、作品へと組み入れて見せてくれることだろう。
パラレルワールドのひとつでは、大統領もジャズ奏者もレッサーパンダも皆、レコードに合わせて前野さんと踊っている、コロナ収束を祝って。