コンコン、トントンが出来上がりのサイン
青、白、黒、茶のパステルを基本に、植木鉢やハンガーなど身の回りの日用品が大胆な構図で描かれている。タイトルを見なければ何を描いているのかわからないかもしれない。しかし「これ以外はない」と思わせる色と構図で、見る者は思わず絵に惹きつけられる。
〈あとりえすずかけ〉のメンバー・舛次 崇さんの作品には、そんな力強さと優しさを併せ持った不思議な魅力が宿っている。
「モチーフは提案することが多いですが、使う色は舛次さんが決めています。描いているときに声をかけることはほとんどありません。出来上がったらコンコン、トントンと机を叩いて合図を送ってくれました」と、〈あとりえすずかけ〉のスタッフ・三栖香織さんは懐かしそうに話す。
「合図を送ってくれた」と過去形になったのには理由がある。2021年1月に舛次さんは急逝した。46歳という若さだった。18歳のときから30年近く〈すずかけ絵画クラブ〉に通い絵を描き続け、ここ数年は絵から離れて過ごす時間が増えたものの、それでも元気な姿を見せていた。
予期せぬ訃報に誰もが驚き、悲しみに暮れた。「穏やかな性格で、口数は少ないけれど話しかけるといつもニコッと笑って返してくれた」と、舛次さんを知る人はみなそう語りながら憂いと慈しみを混ぜたような表情を浮かべる。
シュウちゃんの中にだけある形
〈あとりえすずかけ〉も舞台のひとつとして登場するドキュメンタリー映画『まひるのほし』(監督:佐藤真/1998年)には、舛次さんの制作風景が収められている。半才サイズ(788×545mm)の紙に覆いかぶさるように顔を近づけたまま、黒いパステルを握った舛次さんの指先は注意深くゆっくりと線を描いていく。
顔を時折ほころばせ、やさしいまなざしはまっすぐ指先を見つめる。線を描き終えたら、何度も手を往復させてひたすらに、そして大胆に黒いパステルで塗りつぶしていく。
おかげで手の側面は真っ黒だ。パステルの粉をふーっと吹きかけて飛ばす。描かれたのは植木鉢だった。そこには花はここから描き始めるべきだとか、紙にモチーフを収めなければいけないなどといったセオリーが一切ない。舛次さんは自分の中で印象に残ったものから描き始めるし、紙から大幅にはみ出ても気にしない。
〈あとりえすずかけ〉及び〈すずかけ絵画クラブ〉を立ち上げたはたよしこさんは、映画の中で「私はもともとシュウちゃんの中におもしろい形が内蔵されているみたいな、直感的にそんな予感がした」と表現している。
甲子園球場から飛び出す世界
〈あとりえすずかけ〉に通い始めたばかりの頃、舛次さんがいつも描いていたのは子どものころからファンである阪神タイガースの本拠地・阪神甲子園球場のスコアボードの絵だった。しかし、2年ほど経ったある日から植木鉢をはじめ身の回りにあるものを描くようになっていったという。
舛次さんの絵はそれをきっかけにますます自由にのびのびとした表現になっていった。その生涯で描かれた絵の数は500枚以上。舛次さんの絵はこれからも見る者をやさしい世界へと連れていく。
※崇さんの登場する写真は全てあとりえすずかけ提供