今回の共演者
八島孝一
YASHIMA Koichi(1963〜)
大阪府生まれ。自宅から施設までの通う途中に拾ったもの同士をセロハンテープで組み合わせてオブジェを制作。ミュージアム・オブ・トゥギャザー(2017年、スパイラルガ ーデン)、生の刻印 アール・ブリュット再考展(2018年、徳島県立近代美術館)、アートのみはらし(2018年、東京都庁南展望室)等をはじめ、様々な展覧会へ出展。現在は制作を行っていない。
これはなにかというと、バッタの脚で窓ガラスを引っ掻いて、音を出すためのものなんだ。キィキィキィって、嫌な音をたてながら。
どうしてこれがつくられたか。
実は、このバッタの前に、つくられたのがこの3つなんです。
このまるいやつは、回転してガラスを切るんだよ。
円盤を動かすことで、ガラスをまるく切り取ることができる。
そして、そのあとに掃除するのがこれ。切ったガラスの破片をしっかり片付けて、痕跡を残さないようにするためにね。
それで、最初の2つをぐいぐいっと引っ張っていくのがこいつ。目標地点までこいつの補助で上っていって、着いたら、まるいやつは飛行機の上にのって、ぎーってガラスを切る。そして、その切り屑をもうひとつのが掃除するというわけ。
ね、非常にきめ細かく分業されているでしょ(笑)。
こうした機械がつくられたのは、ナチス全盛のポーランドでのこと。ナチスに襲われそうになって秘密裏で活動していた抵抗運動家、レジスタンスの科学者の発明によるもの。ヒトラーたちがなにを企んでいるかを暴くためのものでした。彼らの計画を知ってしまえば、なんとか先手を打って阻止きるだろうということで、会議室のガラス窓を切 って、会議でなにが話されているかの情報を盗み聞きしようという作戦でつくられたんです。
ところが、会議を盗み聞きするところまではうまくいったものの、彼らにはヒトラーやナチス幹部がなにを話しているかわからなかった。どうしてかというと、レジスタンスたちはポーランド人でポーランド語を話すから、ヒトラーやナチス幹部が話すドイツ語が理解できなかったんですね。
だったら、しかたない。彼らの会議を妨害することに徹しようと、第2弾としてつくられたのが最初にお見せしたこれなんだ。「ガラス窓カリカリ」。
こいつでキィキィと嫌な音をだして、ヒトラーたちを集中させないようにしようと、大真面目に考えたんですね。ポーランドのレジスタンスの科学者が。鍵が付いていたのは、これがあれば、建物の中に入っていけると考えていたのかもしれない。ふたつあるのは、入口と出口かな(笑)。
この作戦、最初はうまくいっていたんです。「ガラス窓カリカリ」がすごく嫌な音をだすもんだから、会議が全然進まない。
ところが、あまりにも「ガラス窓カリカリ」が嫌な音をだすもんだから、ナチスたちは地下へ潜っちゃった。すると、窓のないところで会議が開かれるから、「ガラス窓カリカリ」が役に立たなくなっちゃった。
これにはレジスタンスも、弱っちゃって作戦は一旦終了。「ガラス窓カリカリ」も製造中止になっちゃった。
作戦が終了するまでの数年間で、「ガラス窓カリカリ」はもう何万匹って製造されていた。ヒトラーがどこにいるかわからないから、ありとあらゆる建物に「ガラス窓カリカリ」を放って、いろいろな建物の窓を上り下りしていたんです。
さらには、その数年の間で、「ガラス窓カリカリ」が独自の進化を遂げていた。自分の意思をもつようになったうえ、いろんな触覚が増えちゃって、今や危険まで察知できるようにまでなっていた。
このことはポーランドの科学者も知らなかったことなんです。
戦争が終わって何年もたってから、偶然、見つかった。ポーランドの田舎にある農家の家で。窓がやたらとキィキィうるさい音をたてるから、「なにこれ」って農家のおばち ゃんが発見者となった。
そして、時代は現代。
これがなんとペットショップで大人気!
なぜかというと、放射能とかパンデミックとか、現代では姿のないものに襲われることが多発していますから。
不快の原因がわかりづらい時代だからこそ、ひと目見て不快の原因がわかるうえ、手に取ることまでできる不快がもてはやされた。だから今、各ご家庭で、この進化したカリカリが飼われているんです。
これはポーランドだけのできごとではなく、今話題の「スクラッチャー」として、全世界的に流行。とくにブラジルでの人気がすごいみたい。
彼らは実におとなしいもので、餌もいらないし、生殖もしないから、大繁殖することもない。実は動力がなにかわかっていないのだけど、ガラスの上に乗っけると、条件反射でカリカリすることはわかっている。
普段はなにもしないでじーっとしている。だけど、ガラスにくっつけると動きだすんです 普段から不快なわけじゃないのも人気の理由のひとつなんだろうね。いつもはおとなしくいいやつなんだよ。だけど、ひとたび窓ガラスに乗せると、キィーと音をたてるから不快になる。でも、不快の原因は目の前にあるから、すぐに取り除ける。不快なものを取り除いた満足感や達成感もあるものだから、人気が人気を呼んでいる。
しかし、皮肉なもんです。ヒトラーをやっつけようと思ってつくった「ガラス窓カリカリ」が、世界中を苦しめるパンデミックのときに広がって、こんなにも大人気になるなんて。
最近になってわかったことは、「ガラス窓カリカリ」のせいでナチスは地下に潜ったといわれていますが、この嫌な音は肝心のヒトラーには届いていなかったそうです。そう、ヒトラーは自分の演説に夢中だったから気づかなかった。結局、ヒトラーにはなんの邪魔にもならなかったんだ。
むくわれないのが、ガラス窓を切ったやつと、掃除したやつ、そしてそれらを運んだやつだよね。この3つは進化しなかった。進化系統図でいうところの行き止まりです。一生懸命仕事したのにね。
今にして思うと、こいつらは余計なもの、無駄なものに見えるかもしれない。足りなか ったのか、考えすぎたのかわからないけど、とにかく実用的ではなかったのでしょうね。でもこういうことこそが歴史なのでしょうね。
一方のカリカリの進化は絶妙でした。
触覚みたいのがあるでしょ。これで敵がきたとか、そこにガラスがあるとかを察知できるんです。そして、この脚の繊細さ。この脚が、みんなが不快に思うカリカリを生むんです。これ以上太くても細くてもダメ。これがヒトラーを脅かしそこねた不快の直系。大きさは変わっていません。むしろ軽量化したくらい。雨の日にも上れるように、脚先もアメンボのように進化したんです。
そういえば、実際にこのオブジェをつくった八島孝一さんは、施設への行き帰りに、ものを拾うなと禁止されたことで、隠れてつくっていたそうですね。「するな」と言われると、したくなるもんね。だって「りんごを食べちゃだめだよ」と言われたから、アダムはりんごを食べたくらいだから。
禁止されることは、創造のきっかけになるんですね。
(おしまい)
<<イッセー尾形の妄ソー芸術鑑賞術>>
俳優、脚本家、演出家として、ひとり舞台で日々新たな世界を生み出すイッセーさんに、妄ソーを楽しく行うための
コツをうかがいました。
あばくことで見えてくる豊かな世界。世界は作品の
数だけあばきようがある。
妄想のおもしろさは、目の前にある世界を逆さに見たり、下から覗き込んで見たり、違う目線で眺めたりすること。
そのスイッチになるのがアートの作品。とくにこの連載で出合う作品には、足元を揺るがされてしまうようなパワーがある。
僕たちが今見ている世界。
それが世界のすべてだと思いがちだけれども、そうした世界は、住んでいる場所や環境、もちろん時代によっても違ってくる。
今見ている世界だけが、世界じゃない。そのことに気づけると、これほど誤解されている今の世界を、「こうも誤解できる」「こうも誤解できる」というように、もっと誤解できる。その結果、「なんて豊かな世界なんだろう」って教えられるんです。
そうしたきっかけを生むスイッチになるのがアートの作品なんだね。
そういう大きなパワーをもっている。
いったんそれに気づけると、すごく豊かになる。
目の前の世界は、のんべんだらりとした一元的な世界じゃないわけだからね。
誤解されている世界をさらに誤解することの楽しさ、それってつまりは、「あばく」ということなのかもしれない。
こういう作品は、世界をあばく。
だから現実って、あばきがいがある。あばかれる現実はひとつじゃなくて、妄想する人の数ほど、作品の数ほどあばくことができるから。
「世の中ってこんなに大きいんだ」というように、ちょっとあばいただけで、あばきがいを感じられるものなんだけど、「はい、わかりました」では終わらないんだ。
「こんなあばきかたもある」「もっとこうしたあばきかたもある」というように、キリがない。鉄の爪ではがしていくかのようにね、現実はいくらでもあばきようがある。
今、見えている世界だけが世界じゃない。
そうすると、妄想すること自体がごく日常的な行為のように感じられるよね。
取材協力:山の上ホテル