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(カテゴリー)インタビュー

“アウトサイダー・アート”の生みの親、 ロジャー・カーディナルに訊く(3)

インタビューア:ロジャー・マクドナルド

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(更新日)2017年06月27日

(この記事について)

1972年、ジャン・デュビュッフェが提唱したアール・ブリュットを、ある文脈において継承し、翻訳する形で著書『アウトサイダー・アート』を出版したイギリスの美術評論家、ロジャー・カーディナル。氏の教え子でありキュレーターのロジャー・マクドナルドによる、アウトサイダー・アート再考をめぐるインタビュー。最終回は、アウトサイダー・アートを真の意味で鑑賞することは、私たちに何をもたらすのか。アウトサイダーという枠組みにとどまらないアート鑑賞の本質へと対話は進んでいく。

本文

ロジャー・カーディナルが、1972年に手がけた著書『アウトサイダー・アート』。表紙には、アドルフ・ヴェルフリの絵が使用されている。

作品をどう見せるのか――展示によって鑑賞者が受け取れるもの

ロジャー・マクドナルド(以下、マクドナルド):さて、カーディナル先生が執筆された本『アウトサイダー・アート』では、アーティストのバイオグラフィーに総ページ数の半分以上が割かれており、ここに重点が置かれていたことが見て取れます。

では、展示においてはどうでしょうか? どのような背景を持つアーティストが、どのような状況で生み出した作品なのか。展覧会での作品展示において、このバイオグラフィーをどこまで見せるべきか。美術鑑賞に作家の背景は必要ないという根本的な考え方もありますが、あなたが本を出版した後、1979年にロンドンのヘイワード・ギャラリーで開催したアウトサイダー・アートの展覧会で、このバイオグラフィーはどのように扱われたのでしょうか?

ロジャー・カーディナル(以下、カーディナル):バイオグラフィーの展示はしました。しかし、展示における重要な点は、1970年代後半、デュビュッフェが寄贈した膨大な作品をベースに開催された、スイス・ローザンヌでの展覧会にあります。展覧会の許可を得ることと、コピーライトの問題を解決するため、デュビュッフェは数カ月にわたり地方行政と交渉を行いました。そして、数々の物議をすこととなる展覧会を成功させました。 

この展覧会の会場は素晴らしい古城で、巨大な納屋がありました。このような作品を、どこでどのように観せるのが相応しいのでしょうか。城の中は暗く、照明は作品の間近に設置されていたため、作品にどこか神聖な雰囲気が与えられていました。

マクドナルド:しかし、ヘイワード・ギャラリーでの展覧会は、ホワイトキューブの空間で行われましたね。

カーディナル:その通りです。ヘイワード・ギャラリーは古城よりも大きく、フレキシブルなスペースでした。私がローザンヌの展覧会で感じたのは、多くの作品を見せようとするあまり、スペースに対して作品過多になってしまっていることでした。

ヘイワード・ギャラリーでは作品同士の間に、しっかりとスペースを設けることができたのと、27メートルもあるマッジ・ギル01のドローイングの展示で多少の挑戦もしました。天井からこの巨大な作品を吊り下げることで、鑑賞者が作品以外の何も目に入らないようにするという、鑑賞者を作品の中へ没入させるための展示方法です。

マクドナルド:では、展示作家のラインナップについてはどうでしょう? たとえば、近現代のアーティストとアウトサイダー・アーティストを混ぜて展示を行った2013年の第55回ヴェネツィア・ビエンナーレ02に見られるようなアウトサイダー・アートの展開について、どのような考えをお持ちでしょうか? 

カーディナル:この(さまざまな表現を統合する)展示方法は、すでにシュルレアリストたちによって思考され、探求されてきたものだと私は思います。シュルレアリストたちは、有名なアーティストから耳にしたことのないようなアーティストまで、そして、洞窟芸術や環境芸術のような別の芸術形態までを含む展覧会を開催していました。この試みは、アートを新しい方法で鑑賞することを可能にしたのです。 

アンリ・ミショー03サルバドール・ダリ04の作品を、パブロ・ピカソ05の作品の隣に配置することで、鑑賞者は“今何が起こっているのか”を感じ取ることができました。絵画はお互いに語り始め、シュルレアリスムがアンフォルメルやアウトサイダー・アートといった別の表現運動と重なって見えるようにもなるのです。

マクドナルド:確かに。そう考えると、20世紀初頭にドイツでおこった青騎士06のような運動にも同じ考え方がありますね。彼らもまた、現代アート、フォーク・アート、子どもや精神病患者の絵画など、異なる芸術形態を混ぜて展覧会を開いていました。つまり、今起こっていることの予想図は、100年前にはすでにあったということになりますね。


アート鑑賞とは、傍観者のフェンスを取り払い、批評家になること

マクドナルド:先ほど、ヘイワード・ギャラリーでのマッジ・ギルの展示について、“鑑賞者を作品に没入させる”とお話されていましたね。カーディナル先生が“アート鑑賞”についてどのような感覚をお持ちなのかを伺ってみたいと思っていました。先生ご自身はどのようにして作品にアクセスするのでしょうか?

カーディナル:作品を目の前にすると、まず“書きたい”という衝動が生まれます。君は日記をつけていますか? 自分が触れたアートについて、その都度文章に書き留めていくという行為は、誰をも批評家にしてくれます。自分自身がどのように感じたのか、その感情に相応しい言葉を導き出すのです。

マクドナルド:批評家というのは特殊な仕事ではないと。

カーディナル:そうです。あなたが作品と対峙して、どのように感じ、考えたのか。その特別な感覚を表現するための言葉を導き出し、あなた自身がそれを理解することが大切です。“強烈”とは、アウトサイダー・アートを説明する上で私が気に入っている言葉の一つですが、この“強烈”な感覚を生み出す作品を目の前にすると、自分自身にき起こる感情を完璧に言葉にすることはできません。そうした私の感情を、第三者である君が代わりに書き記すことなどできるでしょうか? 

私がここで“強烈”という言葉を使って言いたいのは、“作品に集中すること”なのです。アウトサイダー・アーティストたちは、椅子にもたれながら「今日は終わりにして、明日もう少し落ち着いてから描こう」などとは考えません。創作の混沌に没頭するような態度が鑑賞する側にもなければ、作品だけでなく自分自身を理解することもできません。そして鑑賞者の多くは、そうした自分の発想を自分の言葉で表現することに、非常に臆病です。

 マクドナルド:つまり、傍観者としてのフェンスを取り払い、批評家になることが鑑賞のあるべき姿だと。

 カーディナル:そうです。鑑賞者が本当の意味で作品を観ることに関わるなら、それはリスクにもなり得る。アイデンティティやエゴ、信じてきたものが崩れるかもしれないというリスクです。たとえば、アーティストがいる世界では、私たちの世界にある現実的なわずらわしいことすべてが停止されています。このアーティストの世界に入り込めば、そこから現実世界を見渡し、その欠陥を裁くことができる。逆に自分自身の世界に満足することだってできるでしょう。そして、“強烈”の写し鏡のような“親密”という言葉を挙げてみます。あなたが生きていくと決めた世界、あなたが変えることもできる世界に、真の意味で参入することを表す言葉です。

アウトサイダー・アートとは、異なる世界を作ることでもあり、この世界とは別の複数の現実があることを知らせてくれるものでもあるのです。 

アドルフ・ヴェルフリは、この世界ではない別の全宇宙を創り上げました。なんと勇気ある試みでしょうか。ヴェルフリの世界に接近し、あなたの言葉を導き出したとき、あなたはある意味アーティストが成し遂げようとしていることに協働しているのです。

しかし、彼の心的空間にあなた自身が存在しているわけではありません。彼の作品の中に、あなた自身を投影するのです。あなたに繊細な想像力があれば、色や形式などという美的なものの向こうに起こっていることが見えるようになるでしょう。

ヴェルフリの絵を思い浮かべてください。“あの顔”が絵の中心にあり、その周りのスペースを埋め尽くすように模様が描かれています。ヴェルフリの絵に描きだされたシンメトリーな表現は、型にはまった訓練によるものなどではなく、爆発的で暴力的な、血が噴き出すばかりの奇跡。紙の上に載せられた、彼の精神的財産です。

アウトサイダー・アートを観るということは、あなた自身が啓示を得ることができるかどうかの崖っぷちに立つということでもあります。そのことについて議論をしたり、その周縁で苛立ったりしながら、完全な説明のなされない世界の断片を探し求めるのです。


アート鑑賞とは、どんな作品にも存在する“盲点”を探し出すこと

マクドナルド:精神的財産を紙などの物質に落としていく。中国の時代初期の伝統絵画である水墨画も、一つのよい参考になるのではないかと思います。中国の人々は水墨画の様式において、心とエネルギー、手、墨、紙の関係性を高度なレベルにまで理論づけ、実践していました。心的状態、霊能的状態と、物質的なアウトプットとの関係が、この時代の水墨画に顕著にあらわれています。1000年以上も前に生きた作家たちにとっても、とても大事なことだったのだと。

カーディナル:そうですね。写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソン07もこの問題を扱っていましたね。“決定的瞬間”に起こる、精神と目と空間的要素との偶然に、彼は興味を抱いていました。

マクドナルド:絵画のような視覚的な作品からは、今も作家の精神が発せられていると私は信じています。アートとは“物質”に宿された精神そのものであるという、アニミズム的な理解です。

 カーディナル:まさにその通りです。私たちはこの対話の中で“言葉による現象”を見てきました。おそらくピカソは、私たちがどのように語ればいいのかわからない、最初のアーティストだったと言えるでしょう。それでも、ピカソを言葉で扱うことは可能でした。デイヴィッド・ホックニーもそうです。彼らは、私たちに対して自らの絵について語ることもできました。

 しかしそれでも、ピカソやホックニーの絵には、常に見過ごされている“何か”があるとも感じるのです。どれほどアーティストについて知っていても、どれほどアーティストが自ら語ってくれても…です。そして、アウトサイダー・アートにおいては、アーティストが多くを語ることはありません。一から始めなければならないのです。彼らの作品を観るということは、この見過ごされている何かを見出すことでもあるのですから。

マクドナルド:それは“盲点”という言葉に置き換えられますね。ピカソやホックニーほどの著名なアーティストでも、作品を深く鑑賞すれば必ず盲点が表れてくるということ。アート鑑賞の本質を指していると感じます。

カーディナル:そう、とてもいいキーワードですね。まさにこの“盲点”で、多くのことが起こっているのです。表には表れることのない、隠された性質。そこには第二の意味や、もしかすると第三の意味もあるでしょう。それを見つけるための旅の準備をしなければなりません。

マクドナルド:最後に、今日ではロンドンの〈ミュージアム・オブ・エブリシング08〉などをはじめ、世界各地で再びアウトサイダー・アートが注目を集め人気が高まってきています。それに伴って作品の価格が高騰し、マーケットが巨大化してきているようにも思うのですが、このような傾向をカーディナル先生はどう思われますか?

カーディナル:ある意味では、アウトサイダー・アートをそうした外的要因から守るためにできることはありません。しかし、周りの状況がどのように変化していこうと、仮にマーケットが巨大化して押しつぶされたとしても必ず ります。

 私たちを取りまくすべてのものは、何らかの形で傷つけられる可能性があります。地球上すべてのものが同等にいということを認識したとき、破壊されたもの、残されたものへのノスタルジアが生まれてくる。この地球もまた、いつかは滅びる運命にあるのです。

マクドナルド:宇宙的なモードでこの対話を締めくくることができたことを嬉しく思います。ありがとうございました。


キーワード 記事中の言葉

01: マッジ・ギル

1882-1961。イギリス・ロンドンにて私生児として生まれる。当時の保守的な社会背景の中で、私生児は恥ずべき存在として祖父の監視のもと人里離れた場所で幼少期を過ごす。9歳でバーナルド孤児院に強制的に入れられ、5年後には移民奴隷としてカナダに渡る。18歳で再びロンドンへと戻ると、看護婦の職に就き、霊能者であった叔母の元で生活するようになり、この叔母から心霊主義や占星術を教え込まれる。25歳で結婚、3人の子どもを授かるが、2人目の子がスペイン風邪によって死去。その翌年、女の子を死産したことで自身も危篤(きとく)状態となり、片目を失明。回復後、取り憑かれたようにドローイングを始める。40年間で数百点の作品を遺した。展覧会を開くことはほとんどなく、霊の怒りを買うことを恐れ、作品を売りに出すこともなかったと言われている。

02: 第55回ヴェネチア・ビエンナーレ

2013年に開催されたヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展。歴代最年少で総合ディレクターを務めマッシミリアーノ・ジオーニは、「エンサイクロペディック・パレス(百科事典的宮殿)」をテーマに掲げ、38の国と地域から150点を越える作品が集められた。アウトサイダーとされてきたアーティストたちを多く招聘(しょうへい)し、現代アーティストたちと同じ舞台で紹介するという挑戦的な企画によって大きな反響を呼ぶ。「誰がインサイダーで、誰がアウトサイダーなのか」と、鑑賞者へ疑問を投げかけた歴史的な展覧会として語られている。

03: アンリ・ミショー

1899-1984。フランスの詩人であり画家。ベルギーの裕福な家庭に生まれる。ロートレアモン伯爵らから影響を受けて本格的に文学に取り組むようになり、1924年、パリへと移住。多くの作家を育てた“フランス文学の黒幕”と呼ばれる批評家、ジャン・ポーランと親交を深めていく。1937年頃から本格化した絵画の制作は、不定形なフォルムを追求するような画風がアンフォルメル(1940年代中頃から1950年代のヨーロッパにおいて、第二次世界対戦による破壊や殺戮が続く背景の中で、ジャン・デュビュッフェらによって生み出された激しい抽象絵画で、表現主義の一つ)の先駆けとも言われ、デュビュッフェとも親交を結び、刺激を与え合う関係があった。1954年頃、55歳のミショーは、恩人であるポーランからの強い勧めによって恩義のために幻覚剤メスカリンを服用し作品を生み出すようになる。メスカリン体験による内観世界を凝視したような記録は、1956年の『みじめな奇蹟』から1966年『精神の大いなる試練』に至るまで6年間に執筆された文芸作品と、美術界を驚かせた記号のようなドローイング作品にも表現されている。

04: サルバドール・ダリ

1904-1989。スペイン・カタルーニャ州出身の画家であり、シュルレアリスムの代表的作家。裕福な家庭に生まれ、6歳で絵を描き始める。学生時代に印象派、点描派、キュビスムなどにも影響を受け、1929年にはパリを中心として興った芸術運動、シュルレアリスムのグループに参加(1938年に除名)。ファシスト的思想を持ち、写実的描法を用いながらイメージにイメージを重ねる独自の発明「偏執狂的批判的手法」(へんしつうきょうてきひはんてきしゅほう)によって、夢のような超現実的世界を描いた。

05: パブロ・ピカソ

1881-1973。スペインに生まれ成年期以降の大半をフランスで過ごした画家。1900年初頭、ジョルジュ・ブラックとともにアフリカやオセアニアの彫刻に影響を受け、一つのものをさまざまな角度から見て描く様式「キュビスム」を創立する。作風が目まぐるしく変化する画家としても有名。生涯に油絵と素描、版画、挿絵、彫刻、陶器など無数の作品を遺した。

06: 青騎士

ピカソがキュビスムを創始したころ、ドイツ・ミュンヘンではワシリー・カンディンスキーが抽象絵画を描き始めていた。1911年、フランツ・マルクらとともに開催した展覧会「青騎士」にて、いわゆるインサイダーの作家とともに、子どもやフォークアートの作品を展示。その後、芸術年刊誌『青騎士』を刊行。この青騎士は、主義やイズムを掲げた集団ではなかったが、産業革命以降の物質主義的な文明への対抗から、プリミティブな芸術や工芸への関心や、カンディンスキーのロマン主義的な理念によって結ばれていた。

07: アンリ・カルティエ=ブレッソン

1908-200420世紀を代表する写真家の一人。少年の頃から写真術に関心を持ち始めるが、画家志望だったブレッソンは15歳のころ、シュルレアリスムに影響を受けるようになる。その数年後に、キュビスムの彫刻家アンドレ・ロートに師事。1931年、シュルレアリストであるマン・レイの写真との出合いをきっかけに本格的に写真に取り組むようになる。第二次世界大戦中、フランス軍に従事し捕虜となった時期を経て、1947年に写真家集団「マグナム・フォト」を結成。暗殺前後のマハトマ・ガンジーやスペイン内戦前夜、パリの解放など、数々の歴史的瞬間を35mmのライカで写真に遺し、報道写真を芸術の領域にまで押し上げた作家として、今なおあらゆる芸術家たちに影響を与え続けている。19321952年までの作品をまとめた歴史的写真集『決定的瞬間』(1952年刊)には、現実の中で自己の内面が外界の出来事と交流する極めて内在的な瞬間の数々が収められている。

08: ミュージアム・オブ・エブリシング

2009年、アウトサイダー・アートの蒐集家であるジェームズ・ブレットが、ロンドンにてスタートさせた移動式美術館のプロジェクト。さまざまな国でアウトサイダー・アートを中心とした展覧会やイベントの巡回を続けており、昨年には、ロンドンに小さなギャラリーをオープン。ジェームスの友人で、イギリスのインディーズバンド「パルプ」のフロントマン、ジャービス・コッカーもアウトサイダー・アートが好きで活動に参加していることから、メディアにも度々取り上げられ話題となっている。
http://www.musevery.com/

関連人物

ロジャー・マクドナルド

(英語表記)Roger McDonald

(ロジャー・マクドナルドさんのプロフィール)
アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]副ディレクター。1971年生まれ。ケント大学にて宗教学修士課程修了後、美術理論にて博士号を取得。博士号では近代アートとスピリチュアリティーを研究。2002年、仲間とともにAITを立ち上げ、現代アートの学校MADを開講、現在もプログラム・ディレクターをつとめる。個人美術館フェンバーガー・ハウス(長野県佐久市)ディレクター。現在は、アートと変性意識の関係をテーマに、研究やキュレーションを行う。
(ロジャー・マクドナルドさんの関連サイト)