花にいのちが宿る瞬間
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絵に集中する福井さん
毎週金曜日、福井さんは〈からふる〉にやって来る。午前中は絵を描く時間だ。その日は、カーネーションが花瓶に生けてあった。ピンクのアクリル絵の具を筆にたっぷりと筆に取り、オレンジの下地が塗られたベニア板にグルグルと丸を描き出した。
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福井さんは目の前のカーネーションを見ながら、ピンク色のアクリル絵の具をたっぷりと筆にとってグルグルと円を描く。
大きい丸もあれば小さい丸もある。そして、あっという間に板はピンクの丸で覆い尽くされていった。後ろでそっと様子を見ている私には、この絵の行く先が全く見えなかった。
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福井さんのエプロンにはいろんな色が飛び散っている。まるで、エプロンがアート作品のようだ。
しかし、心の中で思わず「あっ」と声を上げる瞬間に立ち会った。筆にたっぷりと緑色を含ませ、太い線を数本描き入れる。急に花の輪郭を帯び、いのちが吹き込まれたのだ。みずみずしさがほとばしる、そんな感覚に満たされた。
アートは伝えるための手段
福井さんがアートの世界に入ったのは、お母さんとのある日のやりとりがきっかけだった。自宅にあったトレイの上に箱を乗せて持ってきた福井さんに「船?」と聞いてみると、その通りだった。
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福井さんの中で伝えようとしているものがあると気づいたお母さんは、もっといろいろなものを伝えて欲しいと福井さんを連れて〈からふる〉にやって来たという。
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「レースフラワー」/板・アクリル/600×920mm/2017年
「虹だったか、傘だったか。6月っぽい感じの絵を持って来てくれました。とても素敵でしたが、これしか描かないとのことで、ここに通うことになりました」と〈からふる〉理事長の妹尾恵依子さんは、当時を振り返る。
ピカソ作品の模写などにも挑戦したが花の作品が素敵で、アートを生業とするためにも花を中心に描いていくことになった。最初は画用紙にポスターカラーで描いていた。昔は花の雄しべや雌しべを描いたり、花びらを一つずつ描いたりして、今とは作風が異なっていた。
しだいに使う絵の具の量が多くなり、画用紙に描くと絵の具が剥落する心配が出てきた。そこで、キャンバスや厚紙などにも描く作風になっていった。
「特に板との相性が良く、描き心地を気に入っているようです。紙よりもシャッキッとしている画になります。また、基本的に原色で描いていますが、下地は被らないように少し白を混ぜています。というのは、ブルーの下地にブルーの花の絵を描いて乾いたら消えてしまったことがあって(笑)」と妹尾さんが説明してくれた。
文字を書くのが楽しい時間
午後になると、福井さんが楽しみにしている時間がある。今度は大きな板からA5サイズの小さな裏紙に意識を集中させ、縦横無尽に鉛筆やペンを走らせていく。
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福井さんお楽しみの文字を書く時間。この時間を楽しみに、午前中は絵を描く。
なにも見ずに描いていたのは、福井さんの行きたい場所だそうだ。私は模様を描いていたと思っていたのだけれど、福井さんは文字を書いていたのだった。短時間のうちに何枚も同じ文字を書く。鉛筆の角度にもこだわって少しずつ太さを変えながら書き進めていく。何枚も何枚も。
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「新本庁舎」の書き出し。福井さんはチラシがたくさんある場所が好きだ。
なんと書いてあるのだろう。妹尾さんが教えてくれた。「これは、『新本庁舎』ですね。2019年の秋ごろに新しくなった鳥取市役所のことです。彼はチラシがたくさん置いてある場所が好きで、『中電ふれあいホール』と書くこともあります」。
アート教室時代は1時間の滞在だったが、〈からふる〉が事業所になってからは3時間半居ることに。福井さんはその変化を受け入れることができず、「早く帰りたい。中電ふれあいホールに行きたい」と不満を露わにした。妹尾さんは、「その思いを書いてみよう」と気持ちを別の方向に向ける提案をしたところ、福井さんの気持ちが落ち着いていったという。
福井さんは、日常を大切にする性格。コロナ禍で変化を余儀なくされてストレスを感じているので、本人の体調次第で取材は難しいかもしれないと事前に伝えられていた。しかし、福井さんの創作を邪魔しないように撮影をしていると、書いたばかりの「中電ふれあいホール」の文字をカメラに向かって突然見せてくれた。
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カメラに向かって、大胆な「福井フォント」を見せてくれた。
「うれしかったみたいですね。取材は負担にはなり、こちらも気をつけて見ているけれど、慣れることは彼らにとって悪いことではありません。アーティストとして自立していくためにも、彼らをもっと発信していきたいですね」と妹尾さん。福井さんの日常が拡大していく。
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