心身が弱ったときは銭湯へ
塩谷さんが銭湯のよさに気づいたきっかけはなんですか?
2016年の秋頃だったと思います。建築事務所を休職中、久しぶりに銭湯に行きました。ちょうど、リニューアルしたばかりの銭湯で、すごく明るくてきれいだったことに驚きました。
昼間に行ったのですがその時間の銭湯がものすごく気持ちがよかった。そこで出会ったおばあちゃんと他愛のない会話をしたのもすごく癒やされましたね。そのときに銭湯っていい場所だなって純粋に思いました。あと交互浴(湯と水風呂を交互に入る入浴法)にはまりました。体調がよくなってこれはすごくいいぞと。
そこからいろいろな銭湯に通ったのですか?
ええ。銭湯は心身が弱っていた私にとってぴったりな場所でした。病気で休職しているわけなので、遊びに行ってはいけない感覚がありました。でも銭湯は体を温めるから、ある種の“医療行為”とも考えられるし、体力がなくても湯に浸かることはできる。
それに、昼間だと同世代もあまりいないから行きやすくて、お金もそんなにかからないし(笑)。銭湯はちょうどよかったんです。
銭湯は塩谷さんのように心身に不調がある人はもちろん、どんな人でも受け入れてくれるような多様性のある場所のように感じます。
銭湯には子どもからお年寄りまで、いろいろな人がいますよね。髪の洗い方ひとつにしても違いがあったりして。固定シャワーで上から洗う人、固定シャワーを背中にして洗う人、たらいに頭を入れて洗う人などさまざまで。入り方についてたまに常連さんが若い人に注意したりすることもありますが、基本的なマナーを守っていれば、銭湯にいる間は自由に過ごしていいと思います。
知らないことから生まれるすれ違いを減らす
マナーといえば、銭湯に来る海外の人のマナーが悪いという話を耳にします。でもそれは文化が違うだけ、知識がないだけ、のような気もします。実際のところはどうなのでしょうか。
海外の方のほうがマナーはいいですよ。銭湯に来るくらい“日本通”なんですから。そういう方は事前に銭湯のことを調べて来るのできちんとしています。YouTubeや本などで情報を得ているのかなと思います。小杉湯の場合は、初めて銭湯にくる若い人のほうがマナーを知らないかな……。でもそれは、知らないだけ。知ればいいだけの話なんですよね。
周りに迷惑をかけてしまうことが起きたときは、ほとんどが知らないことが原因だと思います。だから、そういうことが減るようにマナーの説明や注意書きを目につくところに貼るようにしていますね。
どんな人に対しても門を開いていたい
「入れ墨、お断り」という入浴施設もありますが小杉湯はどうなんですか?
うちは大丈夫です。全身に入れ墨が入っているお客さんも来ますよ。いまはファッションのひとつにしている方も多いと思うので、禁止にする理由がないですね。単に見た目で判断するのは小杉湯のポリシーではありません。小杉湯はどんな人に対しても門戸を開いているスタンスでいます。
女性スタッフのなかには、いつかホームレスの方も受けいれられるように……と言う人もいる。私はまだそこまで考えが至ってないところもあるのですが、その話を聞いてはっとした。銭湯は本来の姿として誰でも心地よく湯船に入れる場所。だから、「誰でも心地よく銭湯を使える」というスタンスを守ることは、小杉湯としてとても大切なことだと感じています。
さまざまな方が小杉湯に訪れると思うのですが、その中には障害がある方もいますか?
身体的な障害がある方も知的障害のある方もいらっしゃいます。とある知的障害があるお客さんはお話が好きな方で、スタッフと仲良くなっています。
その方とよく話をする常連さんがいるんです。その常連さんは「元気があるのがいい、黙っていて元気がないと心配になる」とおっしゃっていて(笑)。すごくいい関係性だなって思いました。この場所にいるみんなでその方を見守っているような感じがあるんです。
近すぎず、遠すぎず、見守っているくらいの距離感というのがいいですね。
仲がよくても、お互いのすべてを知らなくてもいいと思います。知らない部分や言えない部分があっていい。毎回風呂場で会う人がいる、その関係性に救われる人もいる。私自身も病んでしまっているときに知らないおばあちゃんとの会話に癒やされました。その距離感が大切だと思っています。
男湯と女湯。性差があるからこそできることもある
普段の暮らしの中、過度な関係性や情報量の多さで窮屈になってしまっている部分が誰しもあるような気がします。
名前や職業は知らないけれど、銭湯の中で裸だけは知っている関係性のほうが心地いいこともある。名前や職業というフィルターがない状態で、多様性を認めることができるのが銭湯のいいところだと思うんですよね。
多様性の話でいうと、現状では男湯と女湯のどちらに入るのかという判断は身体的な特徴で分けていますが、今後はトランスジェンダーの方への対応についても考えていきたいと思っています。
その一方で、男湯と女湯で分かれているからこそ、やっていきたいこともあります。そのひとつが、女性だったら女性、男性だったら男性のための情報発信ができる場をつくることです。
この前は、『明日 わたしは柿の木にのぼる』という女性のフェミニンケアブランドとコラボレーション企画を行いました。その会社は女性のデリケートゾーンのケアアイテムを展開しているんです。
それで、柿の葉を使ったお湯にしたり、商品を置いたりしたのですが、それだけではなく、女性の脱衣所にデリケートゾーンをきれいにしなければいけない理由などをしっかり書いたポスターを貼って情報発信をしたんです。
このブランドの中にあるミストやオイルは、赤ちゃんのおしりふきや、足のニオイを抑えるときにも使えるので、男性目線の話として男湯では少しポップを変えました。
私は女性ですので、男性がどういう情報を求めているのかわからない部分があります。ですが、情報発信を続けていくことで、男性からも「こういう情報がほしい」と提案をもらえる。銭湯にはジェンダーに対する課題はありますが、男湯と女湯に分かれているからこそできることもあると感じています。
自分の弱さを見せることが誰かの勇気になる
塩谷さんは多様性のある社会にしていくためには何が必要だと思いますか。
弱いところをあえて出す。ありのままの自分をちゃんと見せていくことが大事だと感じています。たとえば、私はTwitterに「低気圧で今日はとにかく具合が悪い」と、自分の弱いところも含めて投稿しています。
私はいくつか病気を抱えていますが、そのことについても情報を発信しています。その投稿を見た人が、「勇気をもらった」とか「自分も周りに隠さなくてもいいんだな」などの、コメントをくれるんです。
自分の弱さをそのまま伝えることは、誰かにとっての勇気になるんだなって思いました。
弱い部分を見せることで、共感したり、たがいに認め合えたりすることができるわけですね。その考えに至ったきっかけはありますか?
私は体壊す前まで、自分のことをタフだと思っていました。それが突然、弱くなってしまった。……最初は認めたくなかったんです。それでだんだん心も弱くなってしまって銭湯に行ったときに「それでもいいんだよ」と言ってくれているように感じたんです。
そこから、「弱い自分でもいいんだな」って受け入れることができ、そのあとに『銭湯図解』を描き始めたら共感してもらえた。そのことが大きかったと思います。
銭湯の絵を描きはじめて、改めて「自分は絵が好きなんだ」と気が付きました。実は私、「建築家にならなきゃ」と思い込んでいただけで、設計がしたかったわけじゃなかった。建築の絵を描くことが好きだったんだって。
『銭湯図解』のイラストは、休職中に友だちとのやりとりの中でたまたま生まれたものなのですが、それが周りに認められるようになり、イラストがきっかけで小杉湯の三代目・平松祐介さんと出会いました。その後、平松さんが転職しないかと言ってくれたのですが、そのときはすごく悩んだんですよね。
建築と銭湯。まったく違う業界ですよね。
建築業界でのキャリアを捨てなくちゃいけない。でも銭湯という場所も絵を描くことも好きだからどうしようかと……。それで友だち10人に聞いて、ひとりでも反対したら建築の世界に戻ろうと思ったんです。
そうしたら全員が転職した方がいいと、「塩谷はもともと絵が好きなんだから」って言ってくれた。こうしなきゃ、ああならなきゃと思っていることよりも、自分が好きだと感じていることの方がよっぽど尊いんだなって、そのときに気がついたんです。
私にとって、銭湯は体の一部です。銭湯がなくては私はありえないし、銭湯がない状態で絵を描くのもありえません。銭湯は自分の手足のような感覚です。いまはそれぐらい体と銭湯がつながっていますね。