カラフルな色彩に潜むもの
滋賀県にある〈やまなみ工房〉。静かなアトリエで机に向かっている女性がいる。ゆっくりと色鉛筆が動く。絵に集中しているのかと思っていると、川邊紘子さんは遠くを見つめる。そしてまた絵の世界に戻る。視線は紙と現実を交互に行き来する。
川邊さんはカラフルな色調と柔らかな線で構成された画風で知られる作家だ。彼女自身、ファッションに興味があるようで絵のなかには、細くスタイルの良いモデル風の女性が登場する。金髪や派手なタイプの女の子がたくさん描かれている。カラフルな色彩で描かれた人たちが元気に踊り出している。
最近は世界の少数民族や先住民を被写体に撮影する写真家・ヨシダナギさんの世界観に影響され、アフリカの部族を描く。アフリカに住む部族はカラフルな美しい衣装や装飾品を身にまとう。きっと、理想的な被写体に見えたのだろう。
川邊さんは画面いっぱいに描くため、大抵どこかが途切れている。この描かれていない部分はどこにあるのだろう。ふと、描かれていないものを想像する。絵を見る私たちは本来、彼女が描いた大きな世界を想像する。
ためらいのない線、カラフルな色彩。そのポップな絵の魅力はたくさんの人を惹きつけてきた。特にクリエイティブ分野で仕事をする人にとって、川邊さんの絵は想像力をかき立てるようだ。数多くの作品が文具や小物などのデザインに使われている。
生きるための手段として描かれた絵
川邊さんは聴覚に障害があり補聴器を利用している。川邊さんにとって、描く行為は生きるために必要なものだった。耳が不自由な為に、発話が苦手だった彼女は気持ちを両親に伝えるために絵を描き始めたという。
「お腹が痛い」「体調が悪い」というような緊急のサインを絵で伝えていた。彼女にとって、描くこととは「話す」「見る」「聞く」と同様のコミュニケーション手段なのだ。一見、明るく洒脱な絵ではあるが、彼女が生きる上で習得したスキルがベースとしてある。だから、絵に生命力が宿っているのだろう。
スタッフの棡葉朋子さんとは同じ年ということもあって気が合うそうだ。近くに棡葉さんがやってくると、川邊さんは微笑みかける。シンプルな言葉と、ジェスチャー、筆談を使って会話をしている。
「買い物に、いくけど、なにかいる?」と、棡葉さんが話しかける。
「ある」と、頷き川邊さんは鉛筆でメモを書き、棡葉さんに手渡した。
川邊さんの作品に強く惹かれたミュージシャンがいる。清春さんだ。彼は約2年ぶりとなるアルバム『JAPANESE MENU/DISTORTION 10』のジャケットに川邊さんの絵を起用した(初回限定盤は同工房の岡元俊雄さん)。アートに興味を持つ清春さんが〈やまなみ工房〉を訪れたとき、川邊さんの絵に出合った。
「とにかくカラフルで可愛くて、その中にある複雑性や習慣性みたいな部分を、その色彩感覚で上手くいつの間にか中和されているような、そんな印象を受けました」と清春さんは川邊作品に出合った時の印象を振り返る。
しかし、ポップな画風の川邊さんの絵が、クールな清春さんの世界観と、なぜ融合すると思ったのだろうか。
「ポップ=カラフルではないと僕は思っていて、光の部分も影の部分も十分に入っている作風だなと見受けられたので一目見て使わせてほしいと思いました」
清春さんは川邊さんの画の表面だけではなく、奥にある影の部分も感じ取っていた。目の前にある色や形だけが表現ではない。彼女の人生が線や色から滲み出る感性に、表現方法は違えども同じアーティストである清春さんは反応したのだ。
「僕らのような健常者から見える視界や物を捉える感覚とは全く違う世界が見えている人達の作品なので、彼らにしか描けない、しかも個人個人同じ物は描けない。完全なるオリジネーターだと思います」。清春さんは川邊さんだけではなく、〈やまなみ工房〉のアーティストたちを高く評価している。
多くの人たちからその才能を愛される川邊さん。が、本人は偉ぶるそぶりもなく実にマイペースだ。この日もいつもと変わらず、遠くを眺め、ペンを走らせている。そして、集中力が切れると、近くのソファーに行きごろん、と横になる。
〈やまなみ工房〉では誰もとがめない。「基本的にマイペースなんですよ」と棡葉さんは笑う。川邊さんの味方が〈やまなみ工房〉にはたくさんいる。だから、彼女はここを気に入って絵を描くのだろう。
川邊さんは静かに眠っていた。ただ、描きかけの絵の中の住民はとてつもなく饒舌だ。彼らは川邊さんが描きはじめるのを賑やかに待っている。