『ラマレラ 最後のクジラの民』
都市の多様性というテーマにも関わらず、1冊目はインドネシアの東部に位置する小さな島、レンバタ島を舞台にしたノンフィクション『ラマレラ 最後のクジラの民』を挙げたい。ラマレラの人々は、小さな手漕ぎ船から槍を持って飛び、クジラやマンタを狩って、生計を立てている。
何百年と続く狩猟採集民の伝統的な生活を知るだけでも興味深いのだが、テーマはそれだけではない。自然と共にある暮らしに、どのように近代化が押し寄せ、いかに彼らがそれを受容していくのかが、数年間の取材によって描かれている。
モーターボートをクジラ漁に用いるべきか否か、出稼ぎに出た若者は娯楽のない街に帰ってくるのかどうか。近代化が果たされた時、それは「民族として終わりを迎える」と著者は言う。
近代化=都市化ではないが、民族のアイデンティティをつなぎとめるために彼らが選んだ道を知ることは、「都市の多様性」を考える上で極めて大きなヒントになる。
ダグ・ボック クラーク [著]、上原裕美子 [翻訳]
『ラマレラ 最後のクジラの民』NHK出版、2020年
『戦後の貧民』
どのレイヤーから語られるかによって歴史の見え方はまったく異なるが、地べたで生きる人々の目線から戦後の東京を語った塩見鮮一郎『戦後の貧民』は、とても示唆に富んでいる。
上野、新宿、池袋、新橋といった都市の盛り場がいかにして形成されていったのか、著者本人の幼少期の戦後体験も含めて語られる。戦争で焼けた東京が、自然発生的な闇市からマーケットへと整理され、行政主導の再開発によって都市化されていく。その過程で道に寝転ぶ路上生活者たちは、収容所へ運ばれて一掃され、公的な米兵慰安婦として働いた女性たちは、性病の蔓延によって慰安所が閉鎖されると、「闇の女」として街に溶けた。
蠢くような民衆の動きと都市化を進める国や都とのせめぎ合い。一掃しようと試みた「敗戦」こそが、東京という街の多様性ではなかったか。『貧民』の視線から、東京の都市化を眺めるとき、失われたもの、消されたものの気配は、今も漂っている。
塩見 鮮一郎[著]
『戦後の貧民』文藝春秋、2015年
『新橋パラダイス 駅前名物ビル残日録』
本来、雑多な人々が交わる地点として、都市はあるのではないだろうか。私が『新橋パラダイス 駅前名物ビル残日録』で描きたかったのは、まさしく「都市の多様性」のありようだった。
新橋駅前には、戦後の闇市からマーケットへ、それを取り込む形で建てられた新橋駅前ビル、ニュー新橋ビルという二つのビルが建てられている。それぞれの区画は分譲されているために、多様な業種が肩を並べ、足を踏み入れた瞬間に、計画された品のいい商業施設ではないことがわかるだろう。マーケット時代を知る靴屋の店主と、中国から出稼ぎに来ているマッサージ嬢が通路ですれ違い、新橋最後のギター流しが、マーケットの横丁のような地下街を歩いている。
まったく違う日常が、ビルの中で同居する。その人間模様はほとんど群像劇のようで、訪れる人々は観客であると同時に演者となって混沌を作り出していく。私には、闇市から地続きである二つのビルが、「都市の多様性」の象徴のように見えている。
村岡俊也[著]
『新橋パラダイス 駅前名物ビル残日録』文藝春秋、2020年