トイレ掃除が一番好き
駅のトイレの掃除をしている青年がいる。使い込まれた箒を小刻みに動かし、丁寧にゴミを集めていく。その仕事ぶりから几帳面な性格が伝わってくる。箒を持つ青年は鵜飼結一朗さん。アニメキャラクターや浮世絵、恐竜、動物、妖怪の絵の群衆を緻密なタッチと豊かな色彩で描く〈やまなみ工房〉(滋賀県)に所属しているアーティストだ。日本文化を色濃く投影する作風は国内外で高く評価されている。特に欧米のコレクターに注目されているそうだ。
本当を言うと、鵜飼さんは絵を描くことよりも、できることならずっとトイレ掃除をしていたいのだそうだ。
「結一朗くんはトイレ掃除が大好きで、掃除をしていると機嫌がいい。掃除ができない期間が続くとイライラするほどです(笑)。僕には見えないような小さなゴミも見逃さない。徹底的に掃除してくれる」と、スタッフの棡葉昌大さんは感心しきりだ。
丁寧な掃除は駅員さんたちからの評価も上々という。棡葉さんと話をしている間も、鵜飼さんは休むことなく箒を動かしていた。しかし、カメラを向けるときっちりとポーズを取ってくれる茶目っ気もある。
一度、鵜飼さんの絵を見ると忘れることはないだろう。恐竜、アニメキャラ、浮世絵の登場人物などが数百からなる群像の中に登場する。よくもこんなに描いたなと感心してみていると、いつしか自分に馴染みのあるキャラクターを見つける喜びが沸き起こる。
トイレ掃除が終わった後、鵜飼さんの創作活動が〈やまなみ工房〉内のアトリエで始まった。足を組み、机に覆い被さるようにして1枚の絵に向かっている。傍らにはカラフルなたくさんのペンが並んでいる。鵜飼さんは雑誌や画集からインスピレーションを得ることが多いという。
「棚に並ぶ図鑑や雑誌は地域の小学校などからいただいたものです」と棡葉さん。
「最近では鵜飼さんの絵を買ったコレクターから、これを参考にしてほしいと本が贈られることもあるんですよ」
200色の色鉛筆で開花した鵜飼さんの才能
鵜飼さんが〈やまなみ工房〉にやって来た頃、絵の得意な鵜飼さんに12色の色鉛筆が手渡された。しかし、輪郭線を描くものの、あまり色を塗らない。寂しい印象の絵だった。
「なぜ、色を塗らないんだろう」
スタッフが鵜飼さんに聞いても、彼の手は動かない。
絵を見ると、所々色は塗られている。しかし、多くは空白のままだった。
「もしかしたら、結一朗君がイメージする色がないのかもしれない」。スタッフが200色の色鉛筆を手渡すと、鵜飼さんは堰を切ったように色を塗りはじめた。12色の色鉛筆の中にイメージする色がなかったのだ。
つまり、アウトラインを引いた時に、すでに鵜飼さんの中では「塗られるべき色」が決まっている。色鉛筆から色を選ぶのではなく、あらかじめ決められた色を色鉛筆の中から探しているのだ。
だから、鵜飼さんの机周りにはたくさんの色が置かれている。反対に、絵の具で描く場合、色数は必要ない。数色の絵の具を混ぜ、自在に色を作り出すことができるからだ。
登場するキャラクターの多様性、アニメーションを思い起こさせるポップな色彩感覚が実に「日本的」だ。
平面的なキャラクターが折り重なり、遠近法が絵画に取り入れられる以前の絵画の世界が広がる。
しかし、平面的にキャラクターが重なることによって、それらが立体的な「鵜飼ワールド」を紡ぎ出し、キャラクターたちが立ち上がる。絵に動きを感じる。まるで平面に描かれたアニメーションだ。
鵜飼さんの絵は子供から高齢の方まで広い世代の人を魅了する。そして国境も軽々と超える。それは、絵を鑑賞していると、自らの記憶の底にある楽しい思い出を呼び起こすからではないだろうか。
絵本を読んだり、アニメを見たり、想像の世界に浸ったりと、子供の頃の感情を思い起こさせてくれる。鵜飼さんは、今日もトイレをきれいに掃除し、描きかけの絵に色を塗っていく。見るものの楽しい気持ちを絵に置き換えていく。
© Yuichiro Ukai / Atelier Yamanami Courtesy Yukiko Koide Presents