10Bの鉛筆から生まれる素朴な群像
三畳ほどのスペースがある。その台の上で一心不乱に鉛筆で描く男性がいた。台を覆い尽くすほどの大きな紙の上に新聞紙が敷いてある。男性は絵を汚さぬよう、新聞紙の上に座って手を動かし続けている。
こちらの男性が滋賀県甲賀市にある〈やまなみ工房〉最年長の井上優さん77歳だ。
腕カバー、作業服、ウエストポーチが、いつものユニフォーム。井上さんはおしりを突き出すような格好で鉛筆を走らせる。シャシャシャ。柔らかな10Bの鉛筆を使って線を引く。
ストロークは短く、線の1本1本が丁寧だ。鉛筆が擦れて紙を汚さないように腕カバーは必須のようだ。
鉛筆画のモチーフの多くは人。人が群れをなしている。単純化された人の姿は、地蔵や仏像にも見える。作為がない無垢の絵が持つ力を感じる。ピカソやミロが彼の絵を見たら、嫉妬したことだろう。
大きな絵を描くようになってから、数が増えることが嬉しくて仕方がないそうだ。その数を1枚、また1枚と増やし、今や145枚を数えるという。これまで何体、これから何体の人を描くのだろう。
生涯に12万体の仏像を彫ったといわれる江戸時代前期の仏師・円空に姿が重なる。井上さんがお尻を突き出し、淡々と描く姿が祈る姿にも見えてくる。
絵の才能は70年間眠り続けていた
井上さんの画歴は浅い。70歳になる頃、環境に大きな変化が訪れた。当時、井上さんは絵を描かず、甲南庁舎内(滋賀県甲賀市)の『喫茶かすたねっと』で店員をしていた。
真面目で温厚な性格の井上さんは、お客さんたちから人気だったそうだ。しかし、10年間働いていた『喫茶かすたねっと』が閉鎖することになってしまった。
年齢を考え、老人介護施設に入所することが話し合われた。そこでなら、悠々自適に暮らすことができる。もう働く必要もない。
〈やまなみ工房〉に来る前は、ずっと土木作業の仕事に従事していたそうだ。若い頃からたくさん働いたのだろう。それは井上さんの屈強な体躯から容易に想像ができる。
人生の最後はゆっくりと休んでもいいのではないか。そう思っての提案だったが、井上さんは頑として首を縦に振らない。
〈やまなみ工房〉にいたいという。
そこまで言うなら……と、工房内の創作グループ「ころぼっくる」に所属することになった。
「喫茶店で働く間は絵を描くことはほとんどなかった。お店が暇な時に、小さな絵を軽く描く程度だったんですよね」と〈やまなみ工房〉施設長の山下完和さんは言う。
まさか、井上さんに絵の才能があるとは誰も知らなかった。
70歳から創作活動をはじめた
ほぼ絵画未経験の井上さんには、どんな創作活動が向いているのだろう。〈やまなみ工房〉には絵画、彫塑、テキスタイルと様々な活動スタイルがある。70年間、創作活動をしなかった人が、なにかを生み出すものだろうか。しかし、イギリスの船具商アルフレッド・ウォリス(1855~1942)は、70歳になってから独学で絵を描きはじめた。アートに向き合うのに年齢は関係ない。未経験は未知数と同義だ。
最初、井上さんが手にした画材は割り箸と墨汁だった。
墨汁で線を引くと、にじみや垂れによって偶然の面白みが生まれる。魅力的な画材である反面、乾きを計算したり、描く範囲をコントロールしなければならない。
自由に描いてしまうと線が紙から飛び出し、周りを汚してしまう。画材としては少々扱いにくい反面、その楽しみを捉え、手懐ければ良い画材になったことだろう。それに、〈やまなみ工房〉には墨汁と竹箸素描の名手・岡元俊雄さんがいる。しかし、墨汁を井上さんは受け入れなかった。
井上さんにはどんな画材が合うのだろう。
ある時、濃い鉛筆を手にした井上さんの表情が変わった。墨汁と格闘していた時と違い、楽しそうに描く。
イメージが画面に入り切らないようなので、紙も小さなサイズから大きな紙に変更することとした。井上さんのダイナミックな世界に合うようにと、スタッフが幅10メートル×152センチのロール紙を用意した。
井上さんはその紙を見て「それは、大きいな」と言う。さすがに大きすぎたようだ。最終的に横2メートルに落ち着いた。
このサイズが、井上さんにとってベストのサイズだったようだ。スタッフの熱意とサポートによって、井上さんの創作の時代が始まった。
10本の鉛筆で1枚の作品が誕生する
はじめに人の形を描く。形が決まると隅に正座し、拝するような姿勢で鉛筆を走らせる。
シャシャシャシャ。
井上さんは1日に3時間の創作活動で1本の鉛筆を使い切る。10日で1枚の絵が完成する。鉛筆の芯が短くなると、ウエストポーチからカッターナイフを取り出して丁寧に削る。削りカスは大切にビニール袋にしまう。そして鉛筆を鉛筆ホルダーに戻して描き始める。几帳面な方なのだ。
シャシャシャシャ。
井上さんは静かに描いていることが多い。没頭系アーティストなのかと思いきや、元気がない施設利用者がいると「大丈夫か?」と声をかけたり、騒ぐ人には持ち前の正義感で注意したりすることもある。
目の前の絵に没頭しながらも、周りの人をよく見ている。最年長の自負があるのだろうか。さすが、戦前生まれの最年長。
山下さんに井上さんはどんな人なのかを聞いた。
「どこまでも井上さんなんですよ」と、慈しむように言う。「裏表がない。人からどう思われるかを考えていない。優しさがそのまま行動に出る。僕らって、なんかええ格好したり、人に良いように思われたりしたいじゃないですか。そんなところがまったくない。“勝ち組”なんていう言葉があるけれど、その言葉は井上さんにこそふさわしい。幸せそうに絵を描いて、人に愛されていますし。それ以上、幸せなことってあります?」
どこまでも井上さんは井上さん
2019年4月、香港で行われた展覧会で、井上さんがアーティストとして招待された。
「やまなみ工房からアーティストを招待したいと言われ、ぜひとも井上さんをとお願いしました。井上さんにとって初めての海外旅行です」と、山下さんはうれしそうに話す。
新たな環境でどのような刺激を受けるのか。山下さんなりの楽しみがあったのだろう。しかし、場所が変わっても「井上さんは井上さん」だった。
ギャラリー内に井上さん専用の公開制作スペースを設置し、そこで絵を描いてもらった。異国の人たちが見つめる中、井上さんはいつも通り1日1本の鉛筆を使って描いていく。なんにも変わらなかった。
「すごく立派なホテルをご用意してくださって、朝食のビッフェには豪華な食材が並んでいました。井上さんはなにを取るのかなと見ていたら、いつも通り食パンを一枚取りバターを塗って食べていました(笑)。変わらない。井上さんは、どこに行っても井上さんなんです」(山下さん)。
人生が鉛筆で塗り込まれていく
お昼休みが終わり、作業スペースに戻ってこられた井上さん。靴をていねいに揃え、台に上がった。いつもの姿勢で鉛筆を走らせる。
シャシャシャシャ。
人物の輪郭線を白く残し、10Bの鉛筆が動く。井上さんの絵にはほとんど色彩が登場しない。
色味は鉛筆の黒とロール紙の白色だ。しかし、その画面には井上さんの人生が、鮮やかに塗り込まれている。井上さんは、これまでどのような人生を歩まれてこられたのだろうか。寡黙な井上さんは多くを語らない。その答えは絵から読み取るほかない。
アトリエには、いつもと変わらない紙の上を走る井上さんの鉛筆の音が響いていた。