今回の共演者
上里浩也
UEZATO Hiroya(1982-)
1982年生まれ、沖縄県在住。代表的な作品は、2000年頃までに作られた十数機の旅客機。父親に連れられて那覇空港に離発着する飛行機が見える瀬長島や、沖縄本島中部にある嘉手納基地などに行き、機体の観察をしていたという。彼がつくる飛行機の材料は紙で、機体には百数十枚もの折り畳まれた紙が充填されてできているため、見ため以上にしっかりとした重量をもっている。航空会社名やロゴはしっかり描き込まれているが、翼が小さいのが特徴。彼が制作をしている机の上には、十分な枚数の紙とセロハンテープが母親によって準備され、引き出しには機体の側面部分のパーツが厚い束になって納められていたという。そして部屋の本棚やベッドには、出来上がったばかりの十数機の作品がきれいに並べられていた。
これはね、悲しい物語でね。 いろんな紛争って世界中にあるけれど、そうした国際紛争を取材している記者がいたんです。日本人で。その人は、決まった企業に属していなくて、世界規模の取材をしながら、各国の新聞やインターネットの記事に、いろいろな記事を提供している。あまり世には知られていない人なんだけど、「ここではこんな紛争が起こっている」「こちらの地域ではこんな紛争をやっている」といったように、紛争や戦争をしている国や地域を取材してまわっていたの。だから訪れた国は数しれず。まだ7〜8歳の小さな子どもがライフルを普通に扱っているような場面に日常的に出合っていたの。
そんな毎日を何十年も送っていたから、体に無理がきたんでしょうね、いよいよ病気になってしまって、故郷に戻って入院したんです。 そんな彼のところへ、孫がときどきお見舞いに来てくれる。孫の姿を見るたび、世界のいろいろな場所で出会った銃を担いでいた子どもたちのことを思い出すのだけれども、孫にそのことを話すのはどうも忍びない。だから悲惨なことではなくて、彼は楽しかったことを話すんですね。
彼にとってなにが楽しかったかというと、世界中を飛行機で飛びまわっていたということなんです。きっと飛行機に乗って移動するときだけが、彼にとって唯一の平和な時間だったのでしょうね。乗った飛行機はどんな形をしていたか、どういう色の塗装がされていたか、中はどうだったか、いっぱいいっぱい話しを聞かせる。彼は語るほどに思い出してくるんですね、そういえばこういうカードも使ったなぁ、と。彼は孫が来るたび、そうした自分の人生の一部を、語ってきかせていたんです。
すると、孫はその話がおもしろくて、次に病室を訪れたとき、「おじいちゃんこんな国に行ったの?」といって描いた国旗や、「こんな飛行機に乗ったの?」といって話から想像してつくった飛行機を持ってきてくれる。
そんななか彼の命が残り少なくなって、いよいよ危ないとなったとき、病室中が飛行機で埋め尽くされていたの。孫がおじいちゃんの話を聞いてつくった何十台もの飛行機が、天井から吊るされて揺れている。孫は飛行機をひとつひとつ手にとって、次々に揺らしていたんです。その病室には、彼が歩いてきた人生のすべてが、病室のなかに再現されていたんですね。それを見ながら、彼は幸せな気分で天国へ旅立っていった。そういうお話です。
***
そう、これらの飛行機は、全部病室の中のお話しからできあがってきたもの。 孫は飛行機に乗ったことがなかったのかもしれないね。おじいちゃんの話を聞いて、絵本か図鑑を見て、想像をふくらませながら、セロハンテープをいっぱい使って、紙の飛行機を作っていった。
それもこれも、おじいちゃんがあまりにも幸せそうに、飛行機での時間のことを話していたからね。男の子ですから、飛行機にもものすごく興味あるから、「おじいちゃんの乗った飛行機はこうかな? こんなんかな?」と楽しそうにつくっていった。
それはとくにおじいちゃんを喜ばせようとしてつくられたものではないのだけど、彼は思い出すんですよね。紛争ばかりを追いかけて、世界を駆け巡った日々のこと、そのなかで一瞬のやすらぎだった飛行機で過ごした安らぎの時間のことを。そして、孫がつくった飛行機は結果として、おじいちゃんを喜ばせることになって、彼は幸せな最後を迎えられた。
この飛行機の作品は美しくて、地上から離れた自由さとともに、夢がある。だからこそ、美しいお話をつくりたくなる。大きさや意味合いは違うけれども、ドイツの現代美術家、アンゼルム・キーファーの飛行機も思い起こさせながら、それよりも軽やかな感じで、すぐにお話をつくりたくなりました。
<<イッセー尾形の妄ソー芸術鑑賞術~その3>>
俳優、脚本家、演出家として、ひとり舞台で日々新たな世界を生み出すイッセーさんに、妄ソーを楽しく行うためのコツをうかがいました。
「最初の言葉」をうまく見つければ、作品に潜む物語を進められる。
自分で心がけているのは、「妄想するもの」にどんな言葉をかぶせると、そのあとも続いて出てくるかということ。最初の言葉がつまらなかったり、乗り気じゃないのに始めてしまったりすると、絶対に終わってしまう。その続きの文章が自分でも読みたくなるような始まりを心がけています。やっぱり最初が大事なのですね。 最初の言葉が、「砂漠に何十台もの飛行機が埋まっていた」となると、それだけでおもしろいじゃない。たとえばそうやって思いつくと、「なんでそこに飛行機が埋まっているんだろう?」と自問して、その次に行きたくなるような言葉を考える。最初がうまくいくと、次が自然と出てくる。そうして言葉を継いでいくことは、「それは何者か」「何者にするか」と名付けていく作業なんだね。 物語がね、そのまま入っている作品って、あるからね。「最初の言葉」を見つけて、名付けたところに物語が潜んでいれば、うまいこと先へ進んでいくんだと思うのね。僕は役者だから、最初のせりふとか状況とか、「生の言葉」を探しているんです。