13歳の指先から生まれる広い世界。
絵画教室に入ると、ひとりの女の子に目がとまった。丈六萌寧さん、13歳だ。絵の指導を行う谷澤佐規子先生と、動物図鑑を見ながらこれから描くモチーフについてポツリポツリと話している。
今日は大きなポスターほどのサイズに取り組むらしい。先週描きあげたという絵は、その4分の1ほどの大きさだが、紙の隅々まで色で埋め尽くされている。
それでも「このぐらいのサイズだったら、1回の教室でできあがってしまいますよ」と谷澤先生は言う。
萌寧さんが絵を描き始めた。猿が一匹、また一匹と、みるみるうちに画面に広がっていく。「最近、萌寧ちゃんは星を描くことにハマっているみたいなんだけど、今日は違うモチーフを提案してみようかと思って」。先生がそう話しているうちに、猿たちのまわりには、すでに鮮やかな星が瞬いていた。
優しさに包まれて育まれる、正直さ。
萌寧さんが〈ほっとチョコレート〉に通い始めたのは、ちょうど1年前のこと。10年以上通う人もいる中で、彼女がもっとも若く、新人だ。
きっかけは、絵を描くことが好きだった萌寧さんの才能を見出した学校の先生の勧めだった。それまでは学校や自宅で絵を描いていたが、モチーフはアニメキャラクターが多かったという。
「ここに通うようになってから、いろんな絵を描くようになったんです。家では最近カレンダーをつくって、12月は鍋いっぱいのミネストローネを描いていましたね」と、お母さんの糸生里さん。家の中はもちろんのこと、学校の教室も彼女の絵で溢れているという。
萌寧さんの絵は、正直そのものだ。迷うことなく引かれた線、自由に選ばれた色、モチーフ。それらがうまく重なり、見ているものの心にスッと入ってくる。
まっすぐに絵と向き合う姿は、例えるなら“正直畑でしか収穫できない正直”そのものだと思う。この絵画教室や学校、糸生里さんに、教室のたびに送り迎えをするというお父さんの清司さんといった、まわりの人々によってあたたかに育まれているのだろう。
睡蓮を描いた画家と同じ名前。
ひとつ気になっていたことがある。睡蓮の絵で知られる画家と同じ、“モネ”という美しい名前のことだ。糸生里さんに尋ねると「そうなんです」と笑顔で、こんなエピソードを話してくれた。
糸生里さんのお祖父さん(萌寧さんの曾祖父)は絵を描くことが好きな人で、幼い糸生里さんと従姉妹を連れては、外で絵を描いていたという。ある日、池に浮かぶ蓮の花を見せながら、お祖父さんがこう言った。
「モネという画家がいて、睡蓮の絵をたくさん描いたんだよ」
残念ながら、お祖父さんは 萌寧さんを抱くことはできなかったが、くしくも萌寧さんの誕生日は、お祖父さんの命日だったという。糸生里さんはお祖父さんとの思い出と、クロード・モネを重ねて名付けた
モネは生涯を終えるまで、睡蓮を描き続けた。その数は200点以上にのぼると言われている。萌寧さんに画家の人生を重ね合わせて、この先もずっと絵を描き続けてほしいと願う。いや願わずとも、きっとたくさんの絵を、これからも彼女は生み出し続けるだろう。