多様性を考えるヒント1「外国映画」
僕の漫画に影響を与えた要素を考えると、子どもの頃に観た外国映画が大きいと思う。特に1970年代初頭のアメリカ映画。アメリカ映画は日本のそれとは違い、登場人物が多様性に富んでいる。白人がいて、黒人がいて、そしてユダヤ人がいてと、ひとつの映画の中に、いろんな人たちが登場する。そして、男も女もそれぞれの自己表現をしている。アメリカ映画を観ることで、知らず知らずのうちに多様性を知りました。思い返すと、僕の子どもの頃は、毎日のように洋画を放送していた。年間を通せば、数百本の映画は観ていることになります。その影響は、もう計り知れないですよね。
大抵の漫画家は、漫画を読んで漫画を描いていると思うんです。ですが僕が漫画を読んでいたのは、中学入学前まで。それからしばらくは読まなかったんです。30代に入ってから、つげ義春の短編『海辺の叙景』を読み「漫画でこういう表現ができるのか」と気がついた。その頃から漫画を描くことを意識し始めました。もちろん、漫画からの影響がないわけではない。小学生の頃は、赤塚不二夫の大ファンでしたから、キャラクターの顔などには影響があると思います。だけど、コマ割りなどは漫画よりも映画から影響を受けていると思いますね。
ストーリーを考えるときは、過去に見た映画などはあまり考えず、その時に思いついたものを描くんです。さほど手塚治虫の熱心な読者ではなかったのですが、『ロボ・サピエンス前史』(講談社刊)に関しては、描いている間に、「これ、手塚治虫の影響だな」と思うところがありました。たとえば『W3』(ワンダースリー)に登場するボッコ、ブッコ、ノッコみたいな3人組が登場します。これは、手塚からの引用ですね。それほど手塚治虫の影響はないと思っていたのですが、自然と影響を受けるものなのですね(笑)。
『ロボ・サピエンス前史』は、群像劇が重なり合って、最後に回収されていく構成になっています。この手法はデビュー作『ラスト.ワルツ』(青林工芸舎)のときからです。結局そういう描き方が僕の作風に合ったんですよね。これはロバート・アルトマン監督作品や作家カート・ヴォネガットの影響なんですけれどね。今回は特に「手塚治虫」という存在は、頭の片隅にずっとありました。『ロボ・サピエンス前史』は非常に楽しく、特に楽しく描けた気がします。
多様性を考えるヒント2『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』
多様性を考える上でヒントになるのは……。これも映画なのですが、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の作品『世界最古の洞窟壁画 忘れられた夢の記憶』です。1994年にショーヴェ洞窟(フランス南部アルデシュ県のヴァロン=ポン=ダルク付近にある)が発見されました。その洞窟の奥には32000年前の洞窟壁画が広がっていたんです。遺跡を守るため、フランス政府は研究者や学者のみに入場を許諾してきたのですが、ここヘルツォーク監督たちが入り、3Dカメラで撮影した映画なんです。映画館で観ている最中に、壁画を描いていた3万年前の人々の姿が見えるような気がしました。「ああ、これが芸術なんだな」と思いました。カメラはどんどん洞窟の中に入り込み、3Dカメラで壁画を映すんです。観客がその中にいるような気にさせてくれるドキュメンタリー映画でした。
映画を見ていて思ったのは、本当に壁画を描いている人がそこにいる圧倒的な存在感。描いた人の“喜び”を感じました。その喜びとは「描くことの喜び」です。それと同時に、音楽を感じた。壁画を見ながら太鼓や木を叩き、その音に合わせて踊っているような。壁画自体も素晴らしい作品ではあるんだけど、人間の持っている感情、喜びこそが芸術なんだなと思いました。
芸術を前にすると、芸術を受ける側も「見る」「聞く」などの行為があります。受け取ることも僕は芸術だと思う。見たり、聞いたりした瞬間の喜びも、その芸術の一部だと思うんです。その境界線は曖昧です。……3万年前、洞窟の奥で壁に動物が現れていくわけです。当時、洞窟に集まった人たちは絵を見たときの喜びがあったはずですよね。これこそが「芸術」なのだと思う。絵を見て感動したとき、人間は人間になったと思います。
多様性を考えるヒント3 「Fire TV Stick」
Fire TV Stickとは、テレビに差せばWi-Fi経由でYouTubeやサブスクリプション(製品やサービスなどの一定期間の利用に対して、代金を支払う方式)の動画配信が見られる装置です。あ、また映画関係になってしまいました(笑)。でも、これは本当に素晴らしい。今の時代、これこそ多様性を知るいい道具だと思う。
僕はこのFire TV Stickを使って、Netflixやプライム・ビデオで海外ドラマを観ています。月額数百円程度で世界中の映画やドラマが観られます。Fire TV Stick自体も5000円程度です。最近ではテレビ自体をインターネットにつなげる機種が多いですね。
最初にアメリカ映画には多様性があるとお話ししました。さらに今はアメリカや欧州の「ドラマ」に多様性があると思う。むしろ、その多様性こそが前提であり、スタートなんですよね。たとえば、役の割り振り。これは本当に多様性に富んでいる。様々な人たちが登場します。白人、黒人だけじゃない。女性、男性、そして同性愛の人もいる。
デヴィッド・フィンチャーが製作総指揮を務める『マインドハンター』というドラマがあります。主要人物に女性の教授が登場するのですが、私生活では同性愛者として日常が描かれているんですね。だけどそれを特別なこととして描くのではなく、実にさらっと描く。
『ゲーム・オブ・スローンズ』にも同性愛の人、小人症の人が主役級で登場する。『ブレイキング・バッド』でも、長男は脳性麻痺という設定で、話し方や歩き方にすこし麻痺の影響がでている。これも自然に描くんです。しかも、その長男を演じた俳優のR.J.ミッテは、本当に障害がある役者なんですよね。軽度の脳性麻痺とのことです。
『Dark ダーク』というドイツのドラマでもエリザベートという少女がろう者です。映画ですが『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』でも主役のベニチオ・デル・トロが普通に手話をやる。
今の海外ドラマは、ああいうのを、さらっと入れていく。登場人物たちが常に「多様性」なんですよね。『ロボ・サピエンス前史』にも、男かと思ったら実は女だった……と、いう展開があるのですが、意識的にそういうものをちょっと入れてみました。これから描く漫画でもそういう世界観は出てくると思いますね。
海外ドラマは、役の掘り下げ方が深い。日本のドラマとは根本的に何かが違いますよね。僕はここ十何年か日本の地上波のテレビはほとんど見てない。登場人物の描き方が、軽くて冷たく、人間に対する視線に、温かみがないように感じますね。「面白くすればいいだろう」みたいな姿勢が見える。そもそも、その「日本人向けの面白さ」が、僕にはつまらない。
先に挙げた海外ドラマを見ていると、人間を人間として描こうとしている。でも、「人間を描く」ことなんてドラマを作る上で最低限のことですからね。バラエティやニュース番組を含めた日本の映像表現のフォーマットが、もう完全におかしくなっているように思う。前は映画をよく観ていましたが、最近は海外ドラマの割合が高い。それは、漫画連載のリズムや構造が海外ドラマと似ているからかものかもしれません。
『ロボ・サピエンス前史』には未来都市が登場します。建物には漢字やハングル、アルファベットなどの文字を描き込んでいます。未来都市を描く時って、いろんなデザインをしなきゃなんないですよね。だけど、僕にはすごく細かく凝った建物や乗り物の形とかは描けないんですよ(笑)。
それで、建物やスペースに字をデザインしました。自分でもそれは結構うまくいったと思います。日本語のわかる人が見ても、日本語のわからない人が見ても新しい未来の街の描写になっていると思う。僕の作品はわりと、映像化しやすいと思うんですよね。ストーリーも外国の人が読んでも理解してくれると思う。その多様性は念頭に置いていますからね。……Netflixが映像化の権利を買いに来てくれないかなあ。Amazon Primeでもいいんですけどね(笑)。