出発点は音楽療法への興味
――〈音遊びの会〉とはどんなプロジェクトなのでしょうか。
障害のある人とない人が一緒に即興演奏をする「場」です。ですがバンドという意識がだんだん強くなってきて、即興演奏をする音楽バンドと言ってもいいですね。でも50人ものメンバーが関わっているので、それぞれの考え方があって、「場」だと思っている人もいるだろうし、バンドだと考えている人もいるだろうし、意識はそれぞれだと思います。
月2回の集まりはワークショップと呼んでいます。ワークショップではこの(小学校の教室ほどの)スペースに53名のメンバーが集まった時があって。冬だったけどすごく暑いし、床が抜けるかと(笑)。
――現在、障害のあるメンバーは何名在籍されていますか?
18名です。昔はみんな子どもだったので「子どもたち」と呼んでいたんですが、活動を続けるうちに大人になってきて、今はとりあえずAメンバーと呼んでいます。でも演奏においてはその区別がなくなってきて。障害のあるメンバーもないメンバーも共に場数を踏むうちに、少しずつ関係性は変わってきていますね。このところ、みんな熟練になっていたんですが、去年小学生のメンバーが2人入ってくれたので、今ちょっと若返りました(笑)。
――飯山さんは途中から〈音遊びの会〉の代表を引き継がれたんですよね?
会を立ち上げたのは神戸大学のゼミの先輩の沼田里衣さんです。当時、私は彼女の音楽療法セッションの手伝いをしていました。私はもともと音楽大学でクラシックピアノを勉強していたのですが、その後、音楽療法を勉強したくて神戸大学に入ったんです。
音楽療法といっても、領域や観点などいろいろあるのですが、中でも「創造的音楽療法」の即興演奏を使った療法、そしてイギリスの「創造的音楽教育」のカリキュラムについて勉強をしたいと考えていました。
だから私にとって、〈音遊びの会〉の母体となった「音遊びプロジェクト」のワークショップは大学で勉強していることの実践を見せてもらっているという感じで。まだ学生だったので手探りでしたね。
その「音遊びプロジェクト」は半年で終了する予定だったのですが、その間に2回の公演を開催して、それがとても楽しかったんですね。プロジェクトに参加した子どもたち、その保護者から続けて欲しいと声があって。そのまま14年が経ちました。
音で生まれるコミュニケーション
――発足当時から変わらない〈音遊びの会〉のテーマはありますか?
「教えない」という考え方は発足当時から共通理解としてあります。〈音遊びの会〉という名前はカナダの音楽療法士キャロライン・ケニーの「The Field of Play(体験の場)」という理論モデルから取られました。当時のワークショップは、子どもたちとまず鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたり。そこから一緒にみんなで音楽をしよう、と誘っていく流れで。でも音楽と言っても鼻歌でもいいし、ボールを投げて当たった時の音でもいいんです。そういう風にみんなでそれぞれ即興演奏をする、と。
最初は、付き添いの保護者に即興演奏を理解してもらうことがなかなか難しいところもあるんですが、他のミュージシャンが彼らの音を「おー、いいね!」と共感すると、保護者たちもだんだんその面白さがわかってくる。公演時に拍手をもらって理解してもらえることも多いですね。
実を言うと私自身、ここに関わる前は、障害のある人の音楽を特別面白いと思ったことはなかったんです。……でも言葉がない人でも、言葉じゃなくても通じるものがありますし、言葉がある人は誰かと一緒に演奏したい、というような音楽を通じてのコミュニケーションが生まれてきたり。音を介したり、介さなかったりさまざまなやり取りと、互いの関係性が大切で。そこが面白いところですね。
――演奏の展開が読めない予測不能な即興、とはいえ〈音遊びの会〉ならでは、の音楽性の特徴はどんなところにあると考えます?
即興演奏で難しいのは演奏の終わり方です。なぜだかわからない奇跡的な終わり方をすることがあって……。それは14年間でできあがってきた「耳」と「あうんの呼吸」としか言いようのないものです。例えば、あうんの呼吸でみんなが演奏を一斉に終えても、新しく入った小学生だけがひとりで演奏を続けてたりします。別にそれはそれでいい。それを認めているのは、みんなが昔から、個々が自由であることや、「待つ」ことを大切にする私たちのスタンスなど、さまざまな要素があるからだと思うんです。
活動を続けていると、だんだん色が出てきて、なんとなく「これは音遊びの会っぽい」とか、「そうじゃない」という感じが出てきています。けれど、それが明確に限定されてしまわない理由はメンバーの多さにあると思っています。
メンバーが50人もいると、演奏途中でも誰かがトイレに行ってたり、「会場が自分に合わない!」と出て行く人もいます。それは障害のある人だけでなく、参加しているプロのミュージシャンもそうなんです。みんな同じだなと(笑)。障害者をときに「マイノリティ」と言いますけど、〈音遊びの会〉では全然マイノリティじゃないんですよね
――まさに〈音遊びの会〉が掲げる「なんでもあり」と「あるがまま」ですね。
そう考えると、自分は他のメンバーに比べて、なにかを表出する気持ちが少ないな、といつも思わされます。みんなそれぞれ「自分の演奏をしたい!」っていう気持ちが強いんです。その反面、「ここでは演奏しない!」という強い気持ちが出る時もあったり。もうみんな勝手な人ばっかりで(笑)。例えば「ビッグバンド」という演目があって、それは全員で音を出すんですけど、同じ演目でも毎回本当にさまざまです。
みんながやりたいことを排除せずに
――音楽家の大友良英さんなどがメンバーとして演奏に加わることもありますね。その時はいつもと雰囲気は変わりますか?
純粋に音そのものに反応する人たちばかりなので、テンションが上がる人もいます。それは大友さんたちがプロだからっていう理由じゃなくて、ただ音が力を持っているんだと思います。誰かが演奏に入って音を出す。それにみんなが反応する。そうなると、さらに即興音楽の面白さが出てくるので楽しいですね。
――メンバーの演奏楽器の分担はどうされていますか? 人気の楽器は取り合いになったり?
ドラムは人気です。音が大きいからかな。打楽器は人気ですけど、その鳴らし方もそれぞれで。トランペットが好きだったけど、なにかのきっかけで急にシャウトをし始めたメンバーもいるし本当にいろいろです。炭酸をバケツに注いでその音を聞いたり梱包用の緩衝材のプチプチいう音を楽しむ人もいます。それは音でもあり行為でもありますが、音楽だけでなく表現のスタイルを限定しないようにと思っています。
――最後に、〈音遊びの会〉が目指すところを教えてください。
メンバーが50人いて、それぞれがやりたいことがあるので、これからもそれを全部やったらいいと思ってます。私はそれぞれの気持ちをなるべく排除せずに、みんながやりたいことをできるようにする役割。カラオケがしたいメンバーもいるし、実験的なことがしたいメンバーもいて、本当にバラバラなんですが、それが〈音遊びの会〉を作っているのかなと思っています。
だから、すごく面倒くさい会なんです(笑)。メンバーは自分の方向を変えない人ばかりで。みんな辞めないからメンバーは増えていく一方ですし、私がもう脱退したいくらい(笑)。でも続けているのはやっぱり面白いからなんですね。なにか起きるかわからない演奏、そこに尽きるかなと思います。「楽しい」という言葉では足りない。だから、この閉じられたこの部屋だけじゃなく、いろんなところで〈音遊びの会〉を見せることができたらいいなと思っています。