ダイバーシティって多様性のことですよね。「多様性」という言葉には、私ちょっと警戒感があるんです。「お好きな車を存分に選んでください、ただしこの○○○社製の全車種の中から!」とセールストークされている感じというか。ここで紹介したいのは、そんな想定範囲内のバリエーションという意味での多様性ではなくて、その網から落ちてしまうものこそへの愛を語った本です。
郡司ペギオ幸夫『天然知能』
著者の郡司ペギオ幸夫さんは生命論などを論じる理学者であり哲学者です。同じ研究者仲間からも「彼の言っていることはわからない」としばしば言われる奇人(?)だそうで、私はこれまで彼の本を3行以上理解できた試しがありませんでした。ところがこの本は少しはわかる! 世界はふつう「その人から見える世界(一人称世界)」と、「客観的に存在するとされる世界(三人称世界)」に分けられます。いま流行の“人工知能”とは、前者の一人称世界を便利にするような知能。それに対置される“自然知能”は、後者の三人称世界を知る自然科学的な知能。だけど現実の世界は、その人工知能と自然知能の裂け目から「知覚はできない何か」が入り込んでくる。それを感じるのが“天然知能”というわけです。人間には確認できない「外部」があって、それへの予感こそが、実は現実というものを構成しているのだと。アートって、その気配を気配のままに表現するものなのでしょうね。
鈴木大介『脳が壊れた』
『最貧困女子』(幻冬舎新書)などで知られるノンフィクションライターの鈴木大介さんは、41歳のときに脳梗塞になりました。一命はとりとめた、身体障害もその後のリハビリでなんとか克服した、しかし……。右側を通る女性の胸をガン見して目が離せなくなる。あらゆる光景が興味深く視界に入り、散歩から帰るとビー玉など戦利品でポケットが一杯になる。それだけでなく、コンビニでお金が払えない、目の前の人の話が言葉に聞こえずひたすら眠くなる、など社会人としてダメな感じの人になってしまう。世に「高次脳機能障害」といわれる障害は、言ってみれば意識と体が不仲になって、「したいのにできない。したくないのにせざるを得ない」という状態です。しかし鈴木さんはここで思います、「これは自分がずっと取材してきた人たちと同じではないか」と。“多様性”と言って済ませられる範囲を超えた現実に接したときに、人間の器の大きさが知れると思わされる1冊です。
ピーター・ゴドフリー=スミス著、夏目大訳『タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源』
多様性の話題にタコ? と思われるかもしれませんが、しばらくお付き合いください。本書は哲学者であり練達のダイバーである著者が、ある日海底で出会ったタコに魅入られてしまうところから始まります(ちなみに何かに「魅入られた」ときに、つまり外界の環境に勝手に体が反応してしまうようなときに、その人の個性って滲み出てきますよね)。さてこのダイバー著者、タコに水を吐きかけられたりなどの「いたずら」をされます。いたずらとはちょっかいを出して両者の距離を測る行為です。ここから著者は、タコに知能があること(ただし人間とは違う形で)、タコには社会性があること(ただし人間とはちがう形で)、等々の発見をしていきます。ポイントは「人間とは違う形で」です。人間と同じ定規をタコに当てはめて、タコの人間性を評価したってしょうがありません。考えてみればダイバーシティって定規自体が違うってことですよね。そこに気づいたところはさすがダイバー。