正規の美術教育を受けていない者はアーティストとして認めないと、長きにわたりアカデミズム主導の美術史からこぼれ落ちてきたアウトサイダー・アート。日本におけるアウトサイダー・アートの歴史も、まだ短いと言わざるを得ませんが、日本のアートシーンの中で存在感を増すきっかけとなったひとつには、1993年に東京〈世田谷美術館〉で開催された「パラレル・ヴィジョン−20世紀美術のアウトサイダー・アート」展がありました。パラレル・ヴィジョン展とは、1992年にロサンゼルスの〈カウンティ美術館〉でモーリス・タックマンが企画し、マドリード、バーゼル、東京と、世界4都市を巡回したアウトサイダー・アートの展覧会。カウンティ美術館は、この6年前に「芸術における霊的なもの−抽象絵画1890-1985」展を開催しており、これは、神秘的な領域に踏み込むアーティストたちの内面から湧き出す霊的な“ヴィジョン”と芸術との結びつきを見せるものだったのですが、パラレル・ヴィジョン展は、この続きとしてアウトサイダー・アーテイストにフォーカスした展覧会でした。そして、日本では同時に「日本のアウトサイダー・アート」展を開催、山下清や草間彌生、京都〈みずのき〉の小笹逸男や福村惣太夫など作品が追加展示され、大きな話題を呼びました。
カール・グスタフ・ユングが
研究し続けた無意識との対決
“ヴィジョン”という言葉から、私の頭にまず浮かぶのは、スイスの心理学者、カール・グスタフ・ユングです。ユングと聞いて、アートとの結びつきを連想する人は少ないかもしれませんね。けれども、ユングは心理分析を追求する中で視覚芸術へとたどり着き、この2つの領域を繋げて考えた人でした。ユングは、医学からアートを見たとき、アート制作には2つのアプローチがあると言います。一つは、サイコロジカルモード。もう一つはヴィジョナリーモードです。サイコロジカルモードとは、人間の意識下で生まれる理解可能な芸術。具体的に目の前にある何かを描くような、説明のつく表現です。それに対して、ヴィジョナリーモードとは理解不可能な芸術。不気味で不思議、人間の意識が及ばないところから生まれてくる表現。何かに取り憑かれるような、または、突き動かされるような衝動を指すヴィジョナリーモードは、まさに人間の潜在意識下の深いところから湧き出てくるもので、ユング自身の研究領域である夢の世界にも通じるものでした。
私はこれを、鑑賞する上でも当てはまる指針だと思っています。ある作品を前にしたとき、どこまで自分の理性で掴みとれるのか。そこで戸惑ったり、想像力が高まったり、あるいは言葉を失うような説明のつかないものを、ヴィジョナリーモードの芸術と呼ぶことができるでしょう。これをユングは夢や神話から読み解こうとしましたが、言葉で説明のつくことに重きを置くアカデミズムの美術史からは、ふるい落とされてきたのです。
ユングが生きた時代から随分と時が経ち、アウトサイダー・アートにとってもうひとつの重要な展覧会が開かれました。2013年の「ヴェネチア・ビエンナーレ」です。歴代最年少のキュレーター、マッシミリアーノ・ジオーニによる、日本語訳で「百科事典の神殿」と題されたこの展覧会は、現代アートとアウトサイダー・アートが混ぜ合わせて構成されました。そして、この展覧会の中心的位置に、ユングの『赤い書』が展示されていたのです。
第一次世界大戦を前に恐ろしい幻覚(ヴィジョン)を体験するようになったユングが、自らの幻覚を研究対象とした緻密な記録。この『赤い書』には16年の歳月の中で、ユング曰く「無意識との対決」を通して描かれた134点の素晴らしい絵とカリグラフィーも収められていました。ジオーニが、この本を展示できたこと自体が成果であったというほど、本来のアートの本質を突いたものだったのです。
霊能力を持つアーティスト、
ヒルマ・アフ・クリント
この流れから、「百科事典の神殿」にも出展されていた、霊能力を持つスウェーデンのアーティスト、ヒルマ・アフ・クリントを紹介します。この展覧会では、アウトサイダー・アーティストだけでなく、正規の教育を受けていたけれど、美術史に入ってこなかったアーティストを再発見するという意味合いも込められており、彼女は後者のひとりでした。
彼女は、自分にはガイド・スピリット(指導霊)がいて、トランス状態に入るとそのガイドが降りてきていろんなことを教えてくれると言い、目覚めると、その教えを絵に描きました。その絵は、ユングにも似た神話や曼荼羅のようなフォルムの抽象絵画で、ワシリー・カンディンスキーやピエト・モンドリアンなどが抽象絵画にたどり着く以前の、いわば先駆的な表現だったため、これを見た周囲の画家たちはとても驚き、「不可解な絵」だと評価の対象にはなりませんでした。彼女は正規のアート教育を受けていながら、霊能力が備わっていたという興味深いケースです。そして、彼女が残した数々の作品は、本人の意向で自身の没後20年間、公表しないようにと遺言されていました。今世に出しても社会の理解がついてこれず、馬鹿にされて終わってしまう。20年先には、評価されるときが来るだろうと予測していたのです。それは見事に的中し、20年後の1960年代、世に出た途端、評価を得ることに。そこから研究が進み、今ではスウェーデンを代表する近代画家となっています。
部族の神話的ヴィジョンを描いた、エミリー・ウングワレー
オーストラリアの中央に位置する砂漠地帯、先住民族・アボリジニのコミュニティで生まれたエミリー・ウングワレーは、まさに神話や儀式のヴィジョンを高いレベルで絵に表した、ヴィジョナリー・アーティストでした。長く迫害されてきたのち、保護区域でしか生きられなくなったアボリジニに対し、1977年、政府は文化の継承を目的として美術・工芸のワークショップを開きます。それまで儀式の際に、砂の上や女性の体に模様を描いてきたエミリーでしたが、これをきっかけにキャンバスに絵を描くようになります。このときエミリーは部族の女性にとって重要な儀式を司る長老であり、70歳を超えていました。
地面にキャンバスを置き、座り込んで描いたと言うエミリー。古代から部族に代々伝わる神話を伝承するために描かれてきたシンボリックな絵は、キャンバスに落とすことで見事な抽象絵画として人々を魅了しました。そして、亡くなるまでの8年間で、バディック(ろうけつ染め)とキャンバス画、3〜4000点もの作品を残します。彼女も位置付けとしてはアウトサイダー・アーティストでしたが、今では市場でかなりの値段がつくオーストラリアを代表するアーティストとなっています。
権威的な環境から自分を解放しろと言うウイリアム・バロウズのメッセージ
最後は、また少しアートから外れますが、アメリカの小説家、ウィリアム・バロウズを“ヴィジョン”の観点から見てみたいと思います。バロウズは、ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグなどと並ぶ、1950〜60年代のビート・ジェネレーションの作家のひとりですが、『裸のランチ』(1959年)をはじめとする前衛的な作風と、その破天荒な生き方も当時の若い世代から絶大な支持を得ていました。
バロウズは、世の中を人とは違う角度から見ているユニークな思想の持ち主でした。我々現代人が置かれている社会の権威的な環境は、我々の心や価値観、主体性にダイレクトに影響を及ぼし、形づけているのだと。それを加速させたのが、60〜70年代のテクノロジー革命であるラジオやテレビ(のちにはインターネットも含まれる)であり、これらは直接人間の神経系に作用する。だからこそ、そこから意識的に逃れなければならないと言います。何も考えず権威的な環境にただ流されるのではなく、一人ひとりが自分の環境を再プログラムすること。そして、権威的環境から隔離された自分のテリトリーを作るために、文学や映画、そしてアートはひとつの有効な方法だと言いました。
バロウズが編み出した有名な文章編集技法「カットアップ」(完成した文章をバラバラに刻んでランダムに繋げる実験的な方法)も、彼にとっては秩序を壊す行為であると同時に、理性から解放されて無意識へと近づく方法でもあったのでしょう。これには、デヴィット・ボウイやブライアン・イーノなどのミュージシャンたちも大きな影響を受けました。けれども、バロウズは言います。流されるな。自分のテリトリーを作り、自分のヴィジョンを描くことは特殊な作家性を持つ人にしかできないことではない。誰にでもできる、やるべきなのだと。