デザイン力に長けたフリーハンド刺繍
2年前、染めと織りの福祉事業所〈クラフト工房La Mano〉(以下、ラマノ)を訪れたとき、赤い糸で「黒いエプロン」と刺繍された黒いエプロンを身につけて作業をする五十嵐朋之さんの姿に釘付けになった。その日はどうにも調子が悪かったようで、「ダメだ」「ダメだ」と繰り返し呟いて人を寄せ付けないオーラをだしていたのだが、その手元では神社や(なぜか)昆虫などが刺繍された五十嵐さん特製の“御守り”が、せっせと作られていた。一つひとつ違う絵柄は、すべて下書きなしのフリーハンドで刺繍されているという天性のデザイン力にすっかり魅せられて、いつかまた再会したいと思っていた。
先に紹介した稲田萌子さん同様に、五十嵐朋之さんも〈ラマノ〉のアトリエで活動している。母屋の工房の奥の階段から2階へ上がると、萌子さんとは反対側、CDデッキからディズニーソングが流れる小さな部屋で、チクチクと刺繍をする五十嵐さんの姿があった。今日は穏やかな表情、調子が良さそうだ。
子どもの頃から自然が好きで、昆虫や魚介、植物に興味津々だったという五十嵐さんにとって、今もそれらの情報が詰まった図鑑は必需品。絵を描くときも、刺繍するときも、傍らにはいつも図鑑がある。そして、五十嵐作品の最も魅力的なところといえば、どこからか突如降ってきたかのような言葉のチョイス。絵柄は図鑑からだが、言葉には参考書類はないという。
「文字の読み書きは、五十嵐さんのお父さんが力を入れて教えていたそうなんです」。とは、五十嵐さんの隣で息ぴったりのサポートをする、スタッフの山川温子さん。五十嵐さんの刺繍をコースターにしたり、サコッシュにしたりと、素敵な商品に仕上げてくれる相棒でもある。「植物園 いるような。」「ホケン研修旅行損保」など、植物の絵に意味がわかるようでわからない言葉が添えられ、コースターという用途が加わると、さらに唯一無二の謎めいた商品になる。〈ラマノ〉で年に2回開催されるマーケット「染織展」でも、私のような五十嵐ファンが年々増殖しているのだそうだ。
魅惑の五十嵐ワールドが生まれた背景
そんな五十嵐さんが、アトリエのメンバーに加わったのは2014年。それ以前も、山川さんと同じ、染め絞りチームで作業をしていたのだという。
「見ての通り、とても器用な方なので、染め絞りチームが作っているものは何でもできてしまうんですけど、五十嵐さんは特にクリエイティビティのある方なので、『これはこう』と決まっていることをなぞるのがあまり好きではなくて。やっているうちに『もっとこうしてみたい』という欲求が出てきて悶々としてしまうんですよね。それで、空いた時間に『気晴らしに布巾でも縫ってみない? 好きに縫っていいよ』と、捨てるつもりだった布を渡したら、フリーハンドで刺繍を始めたんです。それを見て、みんなビックリして。こんな素敵なことができるなら、アトリエ活動の日を作りましょうと、少しずつアトリエにシフトしていきました」
山川さんと一緒にアトリエに移り、毎日自由に制作できるようになった五十嵐さん。作れば作るほど、泉のように新たなアイデアが湧きだしてきた。あるとき、神社にハマっておみくじや御守りを作るようになり、またはあるときは“お楽しみレクリエーション”でのダンス体験がきっかけでダンサーを描き始め、今では、大好きな昆虫とダンスが融合した昆虫ダンサーをテーマに空想世界を描いている。そして、目下一番力を入れているのが、毎年冬の染色展で発売するオリジナルカレンダーの制作だ。
「本来、五十嵐さんは写実的に絵を描くことは得意だったんですけど、想像して描くのが苦手な方だったんです。でも、“昆虫ダンサー”は想像で描くしかなくて、最初の頃は『だめだー』って、途中で破ってしまったこともありました。でも、何かの拍子にコツが掴めて『やったー』って言いながら、踊る昆虫が描けるようになって。苦手なことを克服できた瞬間は、私も嬉しかった。最近描いた昆虫たちがカラオケを歌っている絵も、すごくいいんです」
山川さんというよき理解者の存在もまた、五十嵐さんの創作意欲を膨らませているに違いない。それは、五十嵐さんと山川さんに限らず、〈ラマノ〉という場所に、ものづくりやアートという側面だけでなく人を生かし合える関係が根付いているからなのだろう。