ただ粛々と編んで、描いて、満たされる。
長野県伊那市、天竜川沿いにある多機能型事業所〈伊那ゆいま〜る〉の一室。利用者たちの憩いの場所、茶色いソファに保科貴子さんはいた。
ちくちくちくちく、一定のリズムで編み物に集中する保科さん。完成するときは毛糸1玉を使い終わるときだ。
「編み物は、お母さんやお婆さんが編み物をしている姿を見て、覚えたようです。毛糸ひと玉を使い切って完成ですが、たまに新たな毛糸玉を用いて繋げていくこともありますし、逆に自分の中で気に入らないと、途中でも毛糸を切って終わりにすることもあるんですよ(笑)」
そう話すのは、支援員の前原洋子さん。2016年に保科さんが〈伊那ゆいま〜る〉を利用するようになってから、ずっとそばで見守り続けている支援員のひとりだ。
「ここでひと区切り、というのがどうやら彼女の中ではあるようで、途中だとこのソファから絶対に動いてくれません(笑)。早ければ1日で作ってしまうこともありますし、毛糸の作品のほかに、絵を描くことも並行してやっているので、大体一つ完成するのに平均して3日から4日ぐらいかかりますね。帰宅した後もやっているようです」。
人と交わって共同作業することはあまり得意な方ではなく、1日のほとんどを編み物や絵を描くことに費やすという保科さんだが、他の利用者も多く行き交う一室にあるソファが保科さんの定位置ということは、きっと人の気配がする場所が好きなんだろうなと、感じた。
「好奇心がすごく旺盛なんです。たとえば保科さんにとって初めての避難訓練の際には、『消化器を私にも持たせて、やらせて』とお願いされたりして。初体験することに興味津々なんです」。
お茶を飲む、ご飯を食べる、トイレに行くタイミングが訪れると、たとえどんなに作り途中でも、すべての道具を箱に入れて引き出しにしまうのが保科さんのスタイル。この日も道具一式片付けてから、トイレへ。その後、保科さんは絵を描くことに没頭し始めた。
「せっかくなら画用紙に描いてもらいたいなと思って渡したんですが、それよりも大事な書類やハガキ、ティッシュペーパーの箱を解体して描くことの方が好きみたいなんです」
鉛筆を使って描く保科さんの筆圧はとても強い。隣で見ていて手が疲れないのかなと、少し心配にもなってしまうが、本人の表情はいたって凛としている。増幅していく曲線の重なりが、細胞のようにも見えた。
一度手を止めたら、作品も大きく変化。
養護学校の高等部を卒業後、ほかの事業所に通っていたが、感覚過敏などもあって、しばらく自宅で過ごしていた時期があったという保科さん。その後、3年前から〈伊那ゆいま〜る〉に週5日通うようになってから波はあるものの、自分のペースを守りながら、少しずつ落ち着いてきた。
「たとえば窓が開いているのが気になってすべて閉めたり、雨が降ったときにアスファルトの色が雨水で濃くなったりすると、少し不安になったり。これだけ夢中になっていた編み物や絵を描くことも一年ほど手を出さなくなった時期があるですが、今はまた復活して、そこからこのような独創的な作品を作り出すようになっていきました。私自身、こんな作品を作る方に出会ったことがなかったので、それで職員に相談して、作品展に出してみようということになりました」。
保科さんがこつこつと作り上げた作品を保管しながら、数々の作品展に出展。「信州ザワメキアート展2018」では入選を果たした。
「保科さんの日常が作品としてたくさんの人に観ていただき、評価いただけるということ。私たち職員はやっぱりうれしいですよね」。
「保科さん、自分の意思をはっきり持たれていて、嫌なものは嫌だと主張をされる方ですが、今日の保科さんはいつになくすごくにこにこして、取材に来られた皆さんへのサービスショットも満載ですね。楽しんでいるんだと思います」。
前原さんの言葉に嬉しくなりつつ、保科さんの手にそっと触れたら、とても柔らかかった。