ストーリー
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(カテゴリー)アーティスト

塗 敦子

クレジット

[写真]  志鎌康平

[文]  菅原良美

読了まで約5分

(更新日)2019年02月06日

(この記事について)

記憶から生み出された色彩たち。白黒の世界に花束を贈るように、塗敦子(ぬり・あつこ)さんが描き続ける世界とは。

本文

部屋の隅で光る、凛とした存在

塗敦子さん。本名。絵描きでというぴったりな名前に驚きながら、塗さんが描くパワフルで緻密な色彩を思い浮かべて仙台へと向かった。

塗さんが通っているのは、「社会福祉法人仙台市手をつなぐ育成会」が運営する生活介護事業所「こぶし」。ここで運動をしたり、作業をしたり日常を送りながら、絵を描き続けている。

ぬりさんがいすにすわってせいさくしているようすをうしろからとったしゃしん。きているむらさきのティーシャツにはしろのろーまじでせんだいとかいてある。

光がたっぷり入るワンフロアの隅にある、塗さんのアトリエ。集中して制作ができるようにと、パーテーションで仕切られている。

施設長の渡部きみ江さん、主任の土谷康司さんに案内され、ラジオ体操の音楽が聞こえるほうへと階段を上っていくと、陽の光がたっぷり入る大きな部屋が現れた。数人でおしゃべりしている人、窓の外を眺めている人、歌っている人、写真をみてニコニコ笑っている人。それぞれが活動前に、自由に過ごす部屋の隅に、ホワイトボードをパーテーションにした一角に気がつく。塗さんだ。「おはようございます!塗さん」そう声をかけると、「ハイ!おはようございます!」と立ち上がり、カメラに向かってダブルピース。にかっと笑って迎えてくれた。

こぶしのりようしゃがおおくあつまるへやのおくでこちらをむいてピースをしているぬりさん。

「すごく凛とした清々しい女性です。特別な行事以外は、1日の活動内容をご自身で決められているんです」そう話してくれた渡部さんは、塗さんとは15年以上前に出会ったのだという。

深く椅子に座り、机にぴったりと体をつけて塗さんが筆を動かし始めた。モノクロの写真のコピーを前に立てかけ、模写しているようだ。けれど塗さんが描いている画用紙に目を向けてみると、そこには青、緑、赤の線で縁取られたお城が描かれていた。

ぬりさんがせいさくしているようすをまよこからとったしゃしん。しんけんなかおで、もしゃしているコピーしゃしんを見つめている。

この日制作していた絵は「お城」。直線を美しく描く塗さんは、建物の絵がとても得意。


“塗アート”のはじまり

「塗さんは平成3年から〈こぶし〉に入所しています。ここでは当時からアート、縫製、七宝焼き、清掃の活動を提供しているのですが、その中で塗さんはアートと縫製を選択されました。最初は絵を描くことについて、さまざまに模索していましたが、絵画のワークショップを開いたときにイラストレーターの高橋里実さんと出会いました。高橋さんには、そこから次第に〈こぶし〉のアート活動においても外部指導員としてアドバイスをいただくことになっていったのですが、塗さんをはじめ、他のメンバーの皆さんも高橋さんとのやりとりの中で、それぞれの作風を見つけるきっかけを作ることができました。

塗さんは初め、高橋さんから渡された写真集に興味を持たれて、自分で色を変えて模写されていました。それが、あるときモノクロ写真を提供したことで、塗さん独特の色選びで描かれるようになったんです。そうして現在の塗アートが確立していきました」(渡部さん)

ぬりさんのさくひんしゃしん

色彩のない静かな世界を見つめながら、画用紙に吸い込まれるように熱中している。サインペン、ボールペン、色鉛筆、次々と筆を変えながら描き上げていく塗さんが、ふっと息をついた瞬間に、少し話しかけてみた。

「お城ですか?」(私)
「お城ですか?」(塗さん)

「じょうずですね」(私)
「じょうずですね」(塗さん)

「楽しいですか?」(私)
「楽しいですか?」(塗さん)

塗さんの障害名は自閉症。挨拶は交わしたけれど、会話は少し難しそう。まして初対面の私ではもちろんだと思いながらも、もうひと言だけ続けてみた。

「好きな色はなんですか?」(私)
「あお!」(塗さん)

塗さんは青が好き。今描いている途中のお城も、青いペンでふちどられている。鼻歌を歌いながら、ご機嫌に青い線をひく。現在、指導員として塗さんの制作活動をサポートしている土谷さんが、こう教えてくれた。

つくえのうえやクリアボックスのなかにぬりさんのさくひんがたいりょうにほかんされている。

作品の中には、山形の花笠まつりや、地元の仙台駅をモチーフにしていたりと、日常の“色”も多く描かれている。

みぎてでマグカップにはいったのみものをのみながらかめらめせんのぬりさん。

「塗さんは、自分の目で見てきたもの、その記憶の中から色を起こしているんですよね。食べ物とかすごくカラフルなんです。以前、もみじが紅葉している写真をモノクロでプリントして塗さんに渡したら、ピンクで塗られたさくらをイメージした絵になっていたんです。塗さんは、あの写真を見てさくらが浮かんだんだなと思うと、すごい想像力だなと思いました。

今は集中して一気に描き上げられる小さいサイズの絵を描くことが多いです。描き方はいつも一定ではなく、線が多い絵などは23日かかるときもあって。障害の特性上、切り替えがむずかしいときがあるんです」(土谷さん)

施設長の渡部きみ江さん(塗さんの右隣)をはじめ、いつも塗さんを見守る事業所のみなさんと記念撮影。


失くしても、続いていくこと

現在は、見晴らしのいい場所にある「こぶし」だが、以前事業所が入っていたビルは、2011年の震災で大きな被害をうけたそう。

「そこにはみんなが描いたアートの宝がいっぱいあったのですが。でも、これからまた皆さんでたくさん作り上げていきます」(渡部さん)

こぶしからみたせんだいしゅうへんのまちなみとそらのしゃしん。

仙台駅から車で15分ほどの、学校や住宅に囲まれた環境に位置する「こぶし」。小高い土地にあるので、窓からの眺めも気持ちよい。

「震災の一週間後には、いつ倒壊してもおかしくない建物ということでビルに立ち入り禁止の張り紙がかけられました。塗さんの作品もなるべく回収しましたが、それまで絵のベースにしていた写真集や画集もほとんど処分されてしまいました。今はインターネットのフリー素材を何種類かダウンロードをしてモノクロで出力したのを一緒に見ながら『次は何を描きたいですか?』って聞くと、『これーっ!』と選ぶので、それでよろしくお願いします!という感じです(笑)。建物の絵は得意で、線も綺麗に描きます。反対に、動物や人物は丸みをおびておおらかで、だいぶ描き方が変わりますね。候補として渡す素材は、今まで塗さんの作品を見てきた中で、得意だなと思うジャンルと、あまり選ばれてこなかったなというものを半々くらいにして可能性を広げていけたらなと思っています。描いている途中で、気が乗らないと、やぶくこともあります(笑)」(土谷さん)

塗さんの体調や様子を見ながら、日々制作のサポートをしている土谷康司さん(右隣)。


記憶の彩りを守るために

今、“塗アート”は、東京で個展を開催したり、合同展示会に呼ばれたり、仙台市内のスターバックス2店舗で作品が展示されたりと、たくさんの人を魅了しながら広がりを見せている。

「『大きい絵を描いてもらえますか?』とリクエストをいただくこともあるのですが、そのときの本人の状況をお伝えしながら、調整しています。今は、アートに没頭して活動するというよりも、ここにいるみんなとゆったり過ごし、周りからもよい影響をうけて塗さん自身もリフレッシュしながら、限られた時間の中で絵を描いてもらえらたと考えていて。高橋里実さんが確立してくれた塗さんの作風はずっと変わらず進化していますが、その一方で、事業所として以前より専門家との関わりが減ってしまったり、良い画材が揃えられていなかったりという現状があるので、渡部と私で少しずつ環境を整えていきたいと思っています。今後は、プロの写真家さんの作品をもとに描いてもらうのも良さそうだなと思っているんです」(土谷さん)

かめらにむかってえがおでダブルピースをしているぬりさん

相変わらず周りに目もくれず、「ふふふふ〜ん」とご機嫌に絵を描き続けている塗さん。

土谷さんが「敦子さん、これから給食だから、ここで終わりにしましょうか」と声をかけても、今日はその手と鼻歌は止まる気配はなさそうだ。最後まで「さすが塗さん!」と嬉しくなり、私たちも目を合わせて笑った。


関連人物

塗 敦子

(英語表記)Atsuko Nuri

(塗 敦子さんのプロフィール)
1971年生まれ。仙台市在住。社会福祉法人仙台市手をつなぐ育成会こぶし・あーとらんどくらぶ所属。1999年よりアート活動をスタート。2016年、東京の〈A/A galley〉にて個展を開催した。「一般社団法人 Get in touch」の企画で、現在〈スターバックスコーヒー〉エスパル仙台本館店、台原店にて作品を展示中。