レポート
今回のダンス作品は日本に古くから伝わる怪異、「狐の嫁入り」をモチーフにした作品。演出のひとつに「和傘」を用いたダンスがこの作品の見どころのひとつです。初回の稽古から数回は「和傘」の使いこなしや魅せ方を細かく指導していただきました。
音が振りのきっかけになる場合は聴覚に障害のあるダンサーにはきっかけが分かりづらく、その場合は手を叩いてもらうなど、それぞれの特性に合わせた工夫をして、稽古は丁寧に進められました。
振り入れが終わると、手足の動き、和傘の角度や動き、複雑なフォーメーション、動線のなどの細かいチェックと直しが繰り返されました。初めの頃はメンバー同士の接触やタイミングのズレなどが何度もありましたが、稽古を重ねるごとに、息も合うようになり、スムーズにこなしていけるようになりました。
光牡丹-BOTAN-チームには低身長症や先天性の指欠損、聴覚障害など、色んなメンバーがいました。音楽が聞こえないことや振りの中での移動が間に合わないことなど、様々な壁にぶつかることもありました。どのような工夫をすることでこの壁をなくし、「できること」に変えていけるか試行錯誤の繰り返しでした。ゆえに毎回の稽古で、たくさんの意見が飛び交いました。
今回のダンス作品の音楽には、比較的テンポを取りやすいドラムの音の部分とワルツのパートでピアノの音がいくつか出てきました。私の「聞こえ」ではこの部分が特に聞こえにくく、リズムを取ることが難しかったです。このピアノの部分では3拍子のカウントを頭の中で数えながら踊ることで次の音に繋げることにしました。
カウントを数えたり、視覚的なもので、きっかけを作るだけではなく、この作品の音楽が、どんな音で作られているのか、この音はどんなイメージを連想させるのか、また、音楽からイメージできる情景や感情などが文字化されたことで、音楽からこの作品のストーリーが見えてきました。自分が今踊っている部分には、こういう音が流れていて、「ここは静かに踊ってみよう」など、この作品が伝えたいことが想像しやすくなりました。
衣装合わせにて
稽古場は色んな人がいたから、いい意味でとてもうるさかったですし、とても面白いチームでした。ゆえに、気がついたらあっという間に全稽古10回が終わっていました。「あっという間」に感じたほどメンバーひとりひとりがこの作品に集中することができたと思います。
(光牡丹-BOTAN-メンバー 鹿子澤)
アーティスト・インタビュー
3月23日から25日までシンガポールで開催された「アジア太平洋障害者芸術祭 True Colours Festival」インドア・スタジアムのオープニングで披露された作品「Seek the Truth(真実を求めて)」を振付した長谷川達也さんへのインタビューを行いました。障害のある方とともに作品を作った過程やそこで感じたことなどを語っていただきました。
――障害のある人と一緒に作品を作るにあたって、最初はどのように考えていましたか?
最初にオーディションとワークショップがあった時に、参加するメンバーにどのような人たちがいるのか応募資料をまとめていただきましたよね。車いすの方であるとか、手に障害があるとか、音が聴こえない、聞こえづらいとか、精神面に障害があるというように、いろんな障害種別の方がいたので、どんな振り付けをすればいいのだろうかと、正直思いました。いろんな人たちができる踊りがいい、たとえば車いすの方だったら足を使わなくてもできる踊りがいいんじゃないか、聴覚に障害のある人は、手話ができるので指を使った動きがいいんじゃないか、そういったことを織り交ぜた作品にすれば面白いのではないかと思いました。
――それはアーティストとして、これまでと違った可能性を見出そうとされたのですか
作品の中で彼らが際立つような作品にしたいなというイメージをもっていましたが、アジア太平洋障害者芸術祭の演出側からハイエナジーで日本的な作品をオープニングでやってほしいという依頼があったので、みんなでまとまって見せられる作品がいいのかなと思い、今回のかたちになりました。
――ダンスは絵画とは違って、人間同士が向きあいながら一緒に作品を作っていくところが良いですよね。舞台芸術作品は人と人が関わらないとできない、人との繋がりを作ることによってこれまで作品を作られてきた中で、ご自身の考えや思いを聞かせてください。
ステージで踊るという時点で必ず人と関わらないといけないので、それが一人であろうと何人であろうと、踊る時に音響や音楽がどうであるとか、照明がどうであるとか、ステージに立つまでにいろんな人と関わらないとステージに上がることすらできません。そう考えると、それまでにコミュニケーションを取らないといけないですし、作品の共有をしっかり行っていないと良いものができなくなるので、人との繋がりはしっかり意識しないといけないと思います。特にDAZZLEは9人でやっていますので、体格も違う、性格も違う、価値観も違う、そういった人たちが集まって同じ踊りをするというのは、すごく難しいことなんです。でも、それを1つの踊りに合わせていく作業って、感覚を共有していくことになるし、意識を同じ方向に向けていくことになるんです。普通に生きていたらそこまですることもないし、それぞれの考えで生きてはいけるんですけど。それだとダンスでは揃わないので、ショーとしてはダメ、作品としてもダメとなるんです。みんなが同じ方向に向いて、この作品はどういうことを表現したいのかということを共有してから実際に表現しないと、伝えたいものが違ってしまうので、それをまとめていく作業を行うと、今度はすごいエネルギーになるんです。今までダンスを作ってきて、“一体感”が持つエネルギーのすごさというものは体験してきました。そのエネルギーを出せるようにしていくことが本当に大事ですし、それがないと作品の強度が低くなっていくので。人と繋がっていくことは必要だと思います。
――障害のある人が対象でしたが、DAZZLEのメンバーがそれぞれ違うように、自分以外の違う人の中で作品を作るということでは、障害は関係なかったかと思いますね。
そうですね。
――今回、10回の稽古と本番が3公演でしたが、本番まで長谷川さん自身、これは難しかったとか、悩まれたこととかありましたか?
正直ほとんどなくて、最初、コミュニケーションをどうやってとれば良いのかと思いましたが、手話通訳の方も常に帯同してくださいましたし、まったく不安はなかったです。むしろ、みんな勘が良かったので、こちらが意図することを読み取る力が長けていました。作品づくりの進行やリハーサルの進行も普段より早かったので、とても助かりました。あと、音楽が聴こえないメンバーから、音が聴こえないことに対して表現のアプローチをどうすれば良いのか悩んでいたことを聞きました。確かに、例えば悲しいメロディーなどが分からない人たちに、音楽のイメージ、こういう物語だからこう表現してほしいとちゃんと言葉で伝えなければ伝わらないということに気づかされました。
――今回作品を作る前と後で、ご自身で何か変わられたことはありますか?
ダンス表現を追求していった時に、技術を追求しながらも一番大事なことは独自性だと思うようになってきたんです。今回、障害のあるみなさんと一緒にやっていると、障害というと身体的機能が劣っているというイメージを持たれる方も多いと思いますが、実は、そうではなく個性として存在していて、特に今回のイベントで海外の方たちも障害をオリジナリティのある表現に変えているなぁと。それは素晴らしいなと思いました。輝いているみなさんを見ていると嬉しく思いましたし、逆に悔しいとも思いました。独自性を求めてDAZZLEというスタイルを作って、いかにみんなができないことをやってやろうとか、これが長谷川達也だという踊りを作って表現し追求してきたのに、存在感とパフォーマンスで適わないなぁと思いました。「なんだ俺がやってきたことは普通じゃん」と悔しく思いましたね。
――公演でステージに立った時にみんな緊張していましたね。本番前に円陣になって声をかけていただいた時にすごく嬉しかったとみんな言ってました。
本当ですか?
――みんな一体となって、一つのものを作るという実感が湧いたようです。
DAZZLEではいつもやっているんです。
――長谷川さん自身、今回の経験を通じて今後やってみたいことや目標はありますか?
DAZZLEの舞台活動をずっとしていて今年で22年目を迎えたんですけれど、もっともっと追求して良いものを作っていきたいとは常に思っています。日本での公演もそうですし、海外での公演もどんどんやっていきたいです。演劇祭に招かれて表現しに行くこともあるし、自分たちでもパフォーマンスを作りに行くことも考えています。今回、障害のあるみなさんと一緒に作品を作ってきたことで、2020年の東京オリンピック・パラリンピックでも表現というところで、またみんなと一緒にやってみたいなと思いました。
――最後に、BOTANに対してメッセージをお願いします。
一緒に作ってきて長いようで短い時間でした。このシンガポール公演は一応ゴールではあるんですけれども、彼らにとっても僕たちにとっても、ダンス人生、表現者としての人生はまだまだ続いていくものなので、この経験を糧にしてもっとレベルアップをしてもらいたいですし、良い表現者になってもらいたいなと思いました。