山下清は1922(大正11)年、東京・浅草に生まれ、幼少期に患った重い消化不良により、軽い知的障害がありました。18歳で放浪の旅を始め、記憶に残った旅先での風景を緻密で色鮮やかな貼絵に描き、「放浪の天才画家」と称されています。
本展覧会では、「日本の原風景」と称される代表的な貼絵を中心に、独特な手法で描かれた油彩、水彩画、ペン画、少年期の貴重な絵など、初公開作品も含めて約170点が展示されます。サブタイトル「百年目の大回想」とあるように、これまでテレビドラマ等の中で語られていた山下清像を再検証し、フィクションではない芸術家としての山下清の真の姿を追求しています。
激動の昭和を自然体で生き抜いた山下清。「今年の花火見物はどこに行こうかな」の言葉を最後に49歳で亡くなった天才画家の生涯をたどる展示です。
山下清プロフィール
1922年生まれ。東京出身。「放浪の画家」で知られている。
幼少期に患った重い消化不良により、完治後、軽い知的障害となる。10歳頃から知的障害も顕著になり、周囲からのイジメに合う。12歳で八幡学園に入園。学園教育の一環として「ちぎり絵」に出合い、画才を開花させ「貼絵」へと発展させていく。少年期に創作した初期の傑作が生まれたのもこの頃である。
1940年、18歳の時に八幡学園から突然姿を消し、日本中を放浪し始める。学園での生活から自由になりたかったことが契機となり、兵役検査から逃れるために放浪に出たのである。
気ままな放浪を続けていた1953年、31歳の時に、アメリカのグラフ誌『ライフ』の記者が、彼の少年時代の「貼絵」を見かけたところ、その天才ぶりに驚き、放浪中の山下を捜し始め、新聞の捜索記事によって翌年に鹿児島で発見される。
山下は、放浪中には絵を描いていなかったという。彼は驚異的な記憶力の持ち主で、数ヶ月から数年に渡る放浪生活中に見た景色などは克明に記憶しており、放浪から戻ってくる度にそれらを思い出して作品を制作した。
作品は貼絵の他に、油彩や水彩画、ペン画、陶磁器の絵付けなど、様々な手法による作品を残した。
1956年、34歳の頃に開催された東京の大丸での個展では80万人を動員した。その後、全国でも個展が開かれ絶賛される。作品はもちろん、彼の話す言葉や人柄は多くの人を惹きつけた。
1971年、49歳永眠。花火のような一瞬の輝きで昭和という激動の時代を駆け抜けた人生だった。