俳優・窪田正孝の写真集やMr.Children、クラムボン、森山直太朗などのアーティスト写真を撮影してきた“ろう”の写真家・齋藤陽道が、自身の子育てを通して、嫌いだった「うた」に出合うまでを記録したドキュメンタリー映画『うたのはじまり』が公開中です。
先天的な聴覚障害のある齋藤陽道は20歳で補聴器を捨てカメラを持ち、「聞く」ことよりも「見る」ことを選んだ。彼にとっての写真は、自分の疑問と向き合う為の表現手段でもある。そんな彼の妻・盛山麻奈美も“ろう”の写真家である。そして彼女との間に息子を授かった。“聴者”だった。
幼少期より対話の難しさや音楽教育への疑問にぶち当たり、「うた」を嫌いになってしまった齋藤が、自分の口からふとこぼれた子守歌をきっかけに、ある変化が訪れる…。生後間もない息子の育児を通して、嫌いだった「うた」と出合うまでを切り取った記録。抱いた赤子に突然泣かれ、ふと子守歌がこぼれる、誰にでもある経験。音は「どんな色をして、どんな形をしているのだろうか?」。無意識に現れた「うた」は一体どこから来たのか。
*劇中には出産シーンがございます。映倫(映画倫理機構)の審査結果では【PG12】(※小学生には助言・指導が必要)という区分ではございますが、お子様や体調の優れない方、持病をお持ちの方には刺激の強い描写となっておりますので、ご鑑賞前には予め十分にご配慮、お気をつけ下さいますようにお願い申し上げます。
「ダイジョウブ」という言葉が、これほど尊くうたわれたことがあっただろうか。
—— 柴田元幸(翻訳家)
本能的な眼差し。人間が持つノイズ。河合宏樹は違和感から世界を繋ぎ、均質化を壊していく。
——蓮沼執太(音楽家)
ここには、ほんとうのうたが記録されています。
——高木正勝(音楽家)
思うより前にこぼれる こえ や
伝わらなくってもいいよというやさしい うた にあふれている
美しいのは、水際にこえがうまれる瞬間。
あなたとわたしがはじめまして、と出くわしたとき、いちばん二人に合ったコミュニケーション方法“こえ”はなにか、数秒の間で見つけ出そうとする。ことばの速度、種類、ジェスチャー、手話、視線など、あなたに興味をそそられたから、わたしはたくさんの“こえ”のなかから最適なものを探し出そうとする。その歩み寄り、共同作業が愛おしい。
——コムアイ(水曜日のカンパネラ)
音楽が大好きだというあの娘や、ステージ袖でガチガチに固まっているあいつや、歌詞が書けないだなんて悩んでいる彼に見せたい映画でした。もちろん、君にも見てほしいし、むしろ僕こそが見るべき作品だ!と思いました。
——後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)
あらゆる「うた」には響きがある。それは結局、愛には響きがあるのだ
——古川日出男(作家)
うたは、だれにでも。
うたは、生きていることが。
——青葉市子
〈耳が聞こえない人〉という、紹介文の一文が目に入り、最初、この映画を見ることが怖かった。僕がいつか、テレビに絶望した日のことを思い出されたから。ある晩、震災で逃げ遅れた聴覚の不自由な方を描いたあるドキュメンタリー番組があって、その中で聴覚の不自由さを伝えるためなのだろう、音をカットする表現がなされていた。あまりにも暴力的な行為ではないか?と思って、その番組を見た晩に僕はテレビをゴミ捨て場に捨てた。耳が聞こえない、という状態が僕にはわからない。想像をしてもわからない。
あの晩、僕はせめてもとゴミを捨て終えた後で、夜道に立ち尽くし、耳を塞いでみた。ゴォーっという心臓の鼓動が聞こえてきた。〈耳が聞こえない〉を0デシベルで表現して本当に良いのだろうか? わからないことを、わかったフリをして描く表現に触れるのが怖いから、この映画を避けていた。でも、勇気を出して、映画を見た。素晴らしかった。この映画は、うたの鳴る/生(な)る、樹。そう思った。マジックペン、鋏、ほうき、木の葉、シャッター、落ち葉、靴……その樹に揺れ音を奏でるのはそんな楽器たち。河合くん、「うたのはじまり」という映画を作ってくれてありがとう。「うたのはじまり」は〈耳が聞こえない人〉の映画ではなく、〈奏でる人〉たちの映画でした。最高でした。僕も、セカイの音色に敏感でありたいと思いました。
——太田信吾(映画監督)